殭屍(キョンシー)
開けられた窓から、たくさんの花が部屋の中へと入ってくる。踊りながら侵入するのは椿や牡丹、山茶花など。町中で売られている花だった。
まるで華 閻李を護るかのように囲う。それはとても幻想的で、子供を儚げに繋ぎ止めていた。
華 閻李がそれを手に取れば、柔らかで甘い蜜の香りがした。花びらの表面を撫で、眼前にいる爛 春犂へと視線を送る。
「先生、そもそも殭屍とは何なのでしょう?」
最初は遺体を運ぶ為に用いられていた。しかしそれは、何の力もない直人が考案したことである。力がないからこそ物理的な物で運ぶ。知恵を絞って作り出した案、それが殭屍の始まりとされていた。
彼は、そこから殭屍が生まれたのではないかと推測する。
けれど爛 春犂は首を縦にふるわけでもなければ、横にすら動かさなかった。ふうーと口を閉じて鼻で息をする。
「直人が始めた事なのは間違いない。しかしそれが殭屍というわけではない。死者ではあるが、体という器があっても魂なくては動かぬ者。殭屍とは似て非なるものと言われている」
では、亡くなった者がどうやって殭屍になるのか。彼は、華 閻李の答えを待っているかのようにまっ直ぐ見つめてきた。
子供は、彼の意図する部分を捉える。腰をあげて窓枠に片肘をつかせ、手のひらの上に顎を乗せた。
背中越しに座っている彼へ振り向くことなく、花が舞い続ける景色を眺める。
前髪が風に遊ばれた。瞬間、隠れていた大きな黒い瞳が姿を現す。瞬きをするたびに長いまつ毛が震えた。
しばらくすると空や町を眺めることに飽きた子供は、姿勢を正して爛 春犂を見やる。
彼は表情を変えず、じっと待っているようだ。
そんな彼に応えようと、華 閻李は小さな唇を開く。
「──血晶石、ですよね?」
迷いのない目をもって、彼へ告げた。
爛 春犂は一瞬だけ両目を見開くが、すぐに細めてしまう。そして無言で頷いた。
「そうだ。お前の言う通り、死者が殭屍へ変貌するためには、血晶石が必要となる」
血晶石とは呪いである。
その血を媒介にし、死者を殭屍に変える力があった。血液の中に含まれる人知を越えた力……即ち、仙人が持つ特殊な能力を意味する。それが死者の血管へと巡り、殭屍という動く死体を作りあげた。
「その殭屍たちを退治するために、お前たちは夔山の麓の村へと赴いた。そしてその日に退治し、戻ってきた」
ここまではよいなと華 閻李へ確認をとり、話を続けた。
「本来ならば、そこで終了だった。しかし今回は、お前と沐阳殿が退治したはずの殭屍が再び現れて、そこに住む人々を屍へと変えていった。村は一夜もたたない内に滅び、殭屍が跳ねるだけの陰気に満ちた場所へと変わってしまったのだ」
噛まれれば生者であろうと、死者であろうと関係なく殭屍になってしまう。一度なってしまうと戻す方法はなく、退治が最も安らかな眠りとされていた。
爛 春犂の感情を殺したような声が部屋中を走る。
「……閻李、私はその確認のためにお前の元を訪れた。この男……沐阳殿は、本当に、殭屍を退治したのか?」
「しました。それは断言できます。僕はこの目で、黄 沐阳が全ての殭屍を退治したのを見ています」
華 閻李や黄 沐阳、そして爛 春犂。彼らは仙人と呼ばれる者たちだった。そんな彼ら仙人には三つの勢力がある。
ひとつは黄 沐阳や爛 春犂が属する黄族。そして、街の中を歩いていた黒い服の集団が二つめの勢力、黒族だ。
残りは白氏だが、この勢力については仙人たちの間では禁忌とされている。
彼らは直人にはない不思議な力で空を飛び、それぞれの武器を用いて山や岩を砕く。
そして殭屍と呼ばれる屍や怨霊、妖怪などといった人ならざる者たちを払う。
それが彼らの役目でもあった。
そして黄 沐阳という男は腐っていても、仙力を持っていた。膨大な霊力とは言えないものの、並みの修行者では太刀打ちできないほどには強かった。
華 閻李は一ヶ月ほど前まで黄族の屋敷にいて、黄 沐阳の付き人ならぬ召し使いのようなことをしていた。当然、夔山の殭屍退治にも参加はしていた。
華 閻李は嘘ではないと、真剣な面持ちで返す。
爛 春犂は頷いた。漢服を床に擦れさせながら立ち上がり、気絶している黄 沐阳へと近づく。すると彼は黄 沐阳を持ち上げ、あろうことか肩に担いだ。いくら人知を越えた力を有していたとしても、大の男を軽々と持ち上げるなど前代未聞である。
けれど爛 春犂はそれすら気にも止めず、部屋の扉へと進んだ。
「どうやら、沐阳殿が退治をしたというのは本当の事のようだ」
「え? ……まさか、それを確認するためにここに!?」
おそらく彼は黄 沐阳を信用してはいないのだろう。でなければ、華 閻李の元へ確認しになど来ないはずだ。
華 閻李は呆気にとられ、彼の真面目さに頭痛を覚える。
ふと、そのとき、爛 春犂の右手首に包帯が巻かれていることに気づく。それはどうしたんだと尋ねようとした矢先、彼は素早く腕を隠してしまった。
「沐阳殿を止める時に怪我をしてしまってな。なあに、すぐに治るだろうさ」
厳つさは消え、気さくな中年男性の顔を見せる。心配する華 閻李の頭を撫で、大丈夫だと口述した。
「……さて。長居をしてしまったようだ。そろそろ帰らせてもおう。閻李、病気などせぬようにな?」
「あ、はい! 先生も、お元気で!」
爛 春犂は嵐のように現れては、夏風のように穏やかに去っていく。それは呆気ないけれど、華 閻李にとっては、久しぶりに充実した時となった。




