杭西(こうせい)での激突
町のあちこちは火の海になっていた。避難民がいる河沿いも、町の入り口や広場すら、焔に埋もれてしまっている。
必死に火を消す兵たち、逃げ遅れて瓦礫の下敷きになっている市民など。町のいたるところでは紅色の焔とともに、阿鼻叫喚が飛び交っていた。
そんな事態を引き起こしたのは、黒い漢服を着た男である。
彼は黒 虎明、獅夕趙というふたつ名を持つ男だ。
右手に大剣を、左手には鳥籠を持っている。
「俺は黒 虎明。黒族の長である黒 虎静の弟だ。このたび黄族の連中が条約を破り、我が黒族の領民を、友中関にて虐殺した!」
大柄な体格どおり、とても声が大きい。
焔が火の粉を飛ばす音すら、かき消えるほどだ。
怒りを携えた瞳で、町の入り口を陣取っている。後ろに控えている兵たちを見ることなく、ただ、言いたいことだけを叫んだ。
「──友中関には俺の心の友、雪 潮健がいた。しかし彼は黄族の罠にかかり、命を落としたのだ!」
大剣の先端を地面に刺し、豪快な仁王立ちをする。片手で持つ鳥籠を顔の前まで上げ、瞳を細めた。
「卑怯者の黄族が町を支配するなど、笑止千万! 俺の友、雪 潮健の怨みを受け取るがいい!」
彼の声音が合図となり、後ろにいる者たがこぞって下がる。
瞬間、鳥籠は焔のように赤く燃え始めた。けれど彼は痛くも痒くもない様子で、片口をつり上げる。燃えゆく鳥籠を瞳に映し、ただ沈黙を貫いた。
そのとき、鳥籠の焔に変化が訪れる。赤から朱、黄を帯びた荒々しい色になっていった。そして少しずつ姿形を変えていく。
やがて、二枚の翼を作った。眼や嘴も形成されていく。
「さあ、朱雀よ。黄族の横暴による犠牲を屍に、この町を……黄族の連中を、焼き払え!」
朱雀と呼ばれた朱い鳥は、彼の言葉を聞いて鳴いた。
ピィィーー
鷹に似た鳴き声を響かせ、空高く登っていく。
戦場に似合わぬ蒼空を、雲を突っ切って上がっていった。雲と、海のように蒼い空しか見えない場所まで登ると、翼を大きく羽ばたかせる。その場で浮遊しながら地上を見、嘴を大きく開けた。
すると鳴き声とともに強烈な焔が飛び出す。決して小さくはないそれは、地上目がけて急降下していった。
朱雀の放つそれが地上についた瞬間、一瞬にして建物や木々が燃えてしまった。
町にいる人々は泣きながら逃げままとう。焔に焼かれた家屋から離れる男や、子供の手を引いて別の場所へと避難する女性。なかには河へと飛びこむ者もいた。
幸いなことに死者は出なかったものの、怪我人が続出してしまう。
「……ちっ! あの馬鹿鳥め。直人に危害を加えるなと、あれほど言っておいたのに!」
使えない鳥だと、舌打ちをした。それでも攻撃を止める素振りはない。
つまらないことをしたと踵を返し、燃える町に背を向けた──
転瞬、鋭い何かが焔の中から現れる。それは黒 虎明の頬を掠めた。彼は咄嗟に地面に突き刺していた大剣を抜き、襲いくる何かから身を防御する。
「……っ!?」
異常なまでに重たい一撃が、彼を大剣ごと後ろへと押していった。
「……い、いったい何……っ!?」
何だと、問いかけている暇などないのだろう。焔から伸びた金属性の何かは、目にも止まらぬ速さで黒 虎明を追いつめていった。
彼の額には汗が滲んでいく。余裕のあった眉はすでになく、きつくしめられた口とともにあるだけだ。
そんな男を追いつめるかのように、焔の中にある何かは姿を見せていく。
金属性の何かは磨かれた銀の刃を持つ剣だ。そしてそれを手にしながら黒 虎明との距離を縮めていくのは三つ編みをたなびかせてる全 思風、その人である。
「貴様、何者だ!」
受け止めるのがやっとだったのか、黒 虎明は片膝をついていた。息遣いは荒くないものの、汗でぐっしょりと濡れた頬に髪が張りついてる。
「……んー? 何者と言われてもねえ。無名の輩だから、聞いたところで意味ないんじゃないかな?」
片や全 思風の呼吸はいつもと変わらずだった。余力すら垣間見える笑みを浮かべ、剣を腰にかけてある鞘にしまう。
「あ、そうそう。あんたが鳥籠を使って出した焔だけど……無駄骨に終わるよ?」
「…………は?」
全 思風は、あっけらかんとした口調で語った。
呆然と立ち尽くす男を前に緊張感が皆無な、それはそれは締まりすらない笑みをする。
「だって私の小猫が、この焔を浄化してしまうから──」
瞬刻、黒い瞳が朱に豹変。焔を滾らせる色に埋めつくされた。
そんな彼は男に向かって、空を見ろと指差す。
黒 虎明は何のことかわからなかった。それでも無意識に見上げてしまう。
「……っ!? な、何だこれは!?」
先ほと変わらぬ蒼空だ。けれど空にはいくつもの花が浮かんでいる。
薄い桃色の花びらのものだ。葉っぱは大きくて丸い。そんな花が半透明な状態で、無数に空を泳いでいた。




