本格化する内戦
狭い廊下に襲い来る灰色の渦を目の前に、三人はそれぞれのやり方で蹴散らしていった。
全 思風は指先から黒い砂のようなものを出し、それを器用に動かす。迫る灰の渦を弾き、床へと叩きつけていた。
黄 沐阳はそんな彼の腰にある剣を抜く。腰を大きく曲げ、全 思風の腕下から剣を突き刺し、切り刻んでいった。
前衛で戦うふたりの後ろでは、華 閻李が花を意のままに操る。ふたりが捌き損ねた灰の渦。これが彼ら目がけて突貫する。それをふたりに近づけさせまいと、花で防御壁を張った。
それぞれの持ち場を理解している彼らは、互いに死角を補っている──
「小猫、あまり私から離れないでね?」
子供の細腰を抱き、楽しそうに話しかけた。戦闘中であることを忘れてしまいそうな笑顔を浮かべながら、余裕然と灰の渦を消滅させていく。
その強さたるや。すぐそばには、剣を使って灰の渦を薙ぎ払っている黄 沐阳がいた。そんな彼の攻撃が赤子と思えてしまうほど、全 思風の動きや強さは別格と謂える。
「……うーん、単純でつまらないね」
切っても切っても沸いてくる灰の渦を見て、飽きたと呟いた。
瞬間、彼の周囲を漆黒の砂塵が包む。かと思えば『潰せ』と、低く口にした。
すると彼の命令に従うように、漆黒のそれは廊下全体を押し潰していく。この場にいる彼らをのぞき、灰の渦だけが犠牲となっていった。
しばらくすると灰の渦は塵と化し、砂粒のようになって消えていく。
「終わったよ小猫、怪我はないかい?」
何ごともなかったかのように、腕の中にいる少年の頬を撫でる。子供は慣れた様子で頷き、お疲れ様と、彼を労った。
彼はふふっと優しい笑みとともに、子供の額に軽やかな口づけを落とす。
「私は基本、あの程度のものに遅れはとらないからね」
今度は華 閻李にではなく、共同戦線をはっている男を見張った。
男はぜえはあと、腰を曲げて膝に両手をついている。笑う膝、そして顔中に流れる汗など。全 思風とは正反対に、疲れを見せていた。手に持つ剣を床へと落とし、その場に座る。
「……あ、あんた。何でそんなに強いんだよ!?」
息も絶え絶えになりながら睨みつけてきた。疲労が顔に出ており、顔が少し青ざめている。
それでも全 思風の例外すぎる強さに驚きを隠せないようで、注視し続けていた。
「そんなに強いのに、仙道の中に名が知れ渡ってないってのは、どう考えてもおかしいだろ!?」
名が多くの者に知られるということは仙道のみならず、誰であっても嬉しいことだった。それだけでも価値があり、どんなことでも有利に運べる可能性すら持ち合わせている。
京杭大運河で人を焼死させた黒族の男、黒 虎明。彼のように獅夕趙という、ふたつ名がある者は少数であった。
ふたつ名のことを差し引いても全 思風という、とてつもない強さを誇る男が無名として扱われている。
黄 沐阳は、それが納得できなかった。
しかし当の本人である彼は、なんのその。そんなのはどうでもいいうえに必要ないと、あっけらかんとしていた。
「私は、地位や名声が欲しくて強くなったんじゃない。この子を……華 閻李、君だけを護れる力が欲しくて、強さを手に入れたんだ」
ふたつ名など、つけたいものが勝手につければいい。全 思風という名を使いたいのならば、勝手に使用すればいい。
子供に怪我がないかを確認しながら発語した。床に転がる自身の剣を鞘へとしまう。
「さあ小猫、とっとと先に進もうか」
大きくて無骨な手を差しだした。
子供は少しだけ頬を赤らめ、おずおずと手を伸ばす。
「……君さ、いつまでそうしてるわけ?」
早く立て。そう云わんばかりの冷めた眼差しを、黄 沐阳へと向けた。
あからさまに違う接し方である。
当然男は苛立ちを顕にし、怒りだけで疲労を吹き飛ばした。
「……お前、ろくな死に方しねーぞ?」
「ああ、その心配は要らないよ。私は既に一度死んでいるからね」
この言葉には、男だけではない。華 閻李すらも、両目を丸くした。子供が「それ、どういう……」と、恐る恐る尋ねようとする。
一瞬間──
体を大きく揺らす音が鳴り響いた。それは一回や二回ではなく、何度にも渡っている。しまいには建物すら揺れ始め、壁などが崩れたりもしていた。
咄嗟に子供を、自身の中へと包む。
揺れや轟音は収まるどころか、激しくなる一方だった。
──これは、ちょっとまずいかもしれないな。
そう考え、華 閻李の手を握った直後、廊下の右奥にある扉から数多の人間が現れた。彼らは武装しており、慌てた様子で次々と廊下を走り抜けていく。
「黒族が攻めてきたぞーー!」
「準備をしろ! 絶対に負けるな!」
「黄族の黄 茗泽様にお知らせしろ!」
兵たちが口々にそう云いながら、廊下を駆けていった。
華 閻李、そして黄 沐阳も言葉を失う。ふたりの顔色は悪くなり、どちらもが体を震わせていた。
「……やっぱり始まってしまったか」
ただひとり、全 思風だけはいつもと変わらない出で立ちで語る。
彼の声は低い。それなのに、鳴り響く恐怖の音源が消されていくような……そんな安心感を得られる声だった。
「京杭大運河で戦争をしていたんだ。いずれはこの町、杭西に来るだろうとは思ってた。黒族が町を襲い始めた以上、避けられないだろね」
全面戦争を。
不思議とよく通る声が、華 閻李の身を怯えさせた。彼の厚い胸板の中で声を殺し、泣いてしまう。
全 思風は子供を優しく抱きしめた。
そのとき、ドンッという、何かを強く叩く音が聞こえる。顔をあげてみれば、それの正体は黄 沐阳だった。拳で壁をたたいていたようである。
瞳はきつく細められ、憎しみのようなものが浮かんでいた。血が出るほどに唇を噛みしめる。
「全面戦争だと!? それを阻止するために、ここまでやって来たってのに……くそっ!」
悔しさを乗せた拳が、再び壁を殴った。




