灰と黒の攻防
扉を開ければ、そこは真っ暗な部屋となっていた。
部屋に到着するなり、全 思風は手に持つ提灯を握り潰す。
「──ここから先、提灯の灯りは使えない。提灯だけが見えてしまっている状態だからね。使うとしたら術で作った灯り……おや?」
ふと、視界に橙色の花が飛んできた。それは何かと周囲を見渡せば、銀の髪を揺らす華 閻李がいる。橙色の、提灯のような……少し丸みのある、三角形をした花が浮いていた。
「小猫、それは?」
どうやら子供が花の術を使い、灯りとなるものを出現させたようだ。ふわふわ浮くそれは、三人の前でくるくると回る。
「鬼灯だよ」
「……え? でもそれ、橙色だよね? 私の知ってる鬼灯は、白い薄皮の中に黄色い身が入ってるやつだけど……」
金灯、金姑娘、姑娘儿など。地域によって呼び名は様々だが、共通して言えることは、この鬼灯は果物であるということだった。
それを伝えてみると子供は、ふふっと微笑む。
「うん、それは食用の鬼灯だね。どっちも元は、橙色の鬼灯だよ。それを花として見るか、食べ物にするかの違いかな?」
優しい光を放つ鬼灯は、彼らの周囲を回転しながら浮いていた。
「……それで思、光はこれでいいとして、これからどうするの?」
ここには米俵や塩などの調味料など様々な食材が置かれている。どうやらここは建物の備蓄庫のようで、食品以外にも布や巻物などもあった。
全 思風は軽く首を縦に動かす。部屋の外へと繋がっているであろう扉へと手を伸ばし、音を殺して開けた。
扉の先には長い廊下がある。等間隔に灯籠が設置されているものの、灯りはついていなかった。
彼らは華 閻李の術に頼りながら、廊下へと出る。
「……静か、だね?」
ほんの少しだけ、子供の小声が廊下に響いた。
内戦の最中とはいえ、この静けさは異常ではないだろうか。そうとすら思えるほどに、人の脈動や息遣いが聞こえてこない。足音すら耳に入ってこない現状に、全 思風たちは眉根をよせるしかなかった。
「……確かに、小猫の言う通り、おかしいね。内戦中ということは少なからず、誰もが警戒しているはずだ。それなのに見回りすらないようだし」
何かあるのかもしれないと、左右を注意深く観察する。右奥にはひとつの扉があった。左奥は角で左右に道が分かれている。
暗いながらも、全 思風にはハッキリと見えていた。それは彼が人間とは違う存在であり、冥界の王という証でもある。夜行性の動物にも似た目をしている彼は、左右を指差した。
「どっちに行く? 右奥にある扉からは何人かの話し声が聞こえる。左奥の分かれ道には人はいない。だけど……」
邪に魅了された者の気配がする。淡々と、そう告げた。
しかし手は子供を誘っている。かわいらしく小首をかしげる華 閻李の手、そして体を抱擁した。
「ねえねえ小猫、どうする?」
甘えるような猫なで声で、子供にすがる。グリグリと、顎を華 閻李の頭部に押しつけた。
しかし子供は慣れた様子で、彼の行動を諌めようとはしない。それどころか嬉しそうに頬を赤らめ、小動物のように愛らしく笑っていた。
もちろん、そんな様子のふたりを見慣れない者もいる。黄 沐阳だ。彼はあっけにとられながら、頭痛を覚えたかのようにこめかみを摘まむ。
「……おい、俺はいったい何を見せられてるんだよ!?」
惚気なら他でやれと、頭を抱えた。地団駄を踏み、ふたりを睨む。
「お前ら、今の状況わかってんのか!? 内戦だぞ!? 爸爸のところに行って、どうしてこうなったのか聞いて……」
「──聞いてどうするんだい?」
怒りに身を任せた黄 沐阳を、冷静な彼の声が遮る。その目には優しさなど、欠片も落ちてはいなかった。鋭い、鋭利な刃物のような。そんな朱き瞳に変貌していた。
黄 沐阳は、ぐっと言葉を堪えている。
「私はともかく、小猫を危険な目に合わすのだけは許せない。目的があっても、考えなしに闇雲に動くようじゃあ、困るんだよ」
華 閻李至上主義な、彼らしい価値観を投げた。
投げつけられた男は言い返せないようで、唇を噛みしめている。
「さっきも言ったけど向かう先は、全く違う気配だ。特に左は危険を伴うだろうさ」
何の考えもなしに突っこんでいい場所ではない。それをハッキリ伝え、再度、黄 沐阳へ問うた。行く場所の妥協は許しても、大切な子を傷つけることは死を意味する。そう、つけ足した。
すると男は強張っていた体から力を抜く。首を左右にふって、全 思風を凝視していた。
「お、俺には邪の気配なんてわからねー。あんたは気づいてるんだろ? どんな感じなんだ?」
ぶっきらぼうに、礼儀すらない様子で質問する。
そのことに全 思風は片眉をピクリとさせた。けれど両手で包む子供に頬を撫でられ、怒りを抑える。
廊下の左を注視し、両目を細めた。彼の瞳に映るのは白く、それでいて濁った渦のようなものである。灰色にも見えるそれは、一直線に廊下へと洩れ出していた。
そのときである。
煙のようで、そうではない。彼の瞳に映っていたものが、一瞬にして子供たちにも見えるようになった。
それに驚いて声を上げたのは黄 沐阳である。華 閻李も驚愕してはいるものの、体をびくつかせただけであった。
唯一、動揺すらしていない彼は抱擁している華 閻李から腕を離す。下がっててと優しい声音で語り、子供を背に隠した。
同時に煙は渦を巻きながら、彼らへと疾走を開始する。
「…………」
それを見ても、全 思風は慌てる素振りすらなかった。むしろ余裕のある笑みを浮かべていた。
右手の人差し指を前に出す。するとそこから黒い渦のようなものが出現した。だんだんと、砂のように細かな粒子へと形を変えていく。それが爪先で固まり、一本の剣のようになっていった。
彼の瞳は鮮血のように朱く、獅子としての強さを感じさせる。
「──行け」
低く、鉛のように重たい声が、この場を冒した。
声に誘われるかのように黒き尖りは、灰の渦を弾いていく。
灰の渦が黒きそれを躱せば、彼の指はきれいに弧を描いた。
すると灰の渦は床へと落ちていく。けれどすぐに体勢を立て直しては、不規則に踊っていた。瞬間、増援ともいえるものが次から次へとやってくる。
次第に灰側の速度が上がっていった。
それを右の指一本のみで応戦していた全 思風だったが、今度は左の指も使用するようになる。両手で指揮を取るような動きを見せては、口元に笑みを浮かべた。
しかし一瞬の隙を見透かされ、足元から攻撃されてしまう。
瞬刻、黄色の服が彼の視界に映った。それの正体は黄 沐阳で、彼は剣で突きながら灰の渦を消滅させる。
そんなふたりの周囲には彼岸花が舞った。花びらが大きく開き、灰の渦からの攻撃を弾いていく。
「──僕が今できるのは、援護だけ。思、黄 沐阳も、負けないでよ?」
子供は少しだけ汗をかきながら微笑んだ。
「わかってるよ小猫、私は無敵なんだ。負けるなんて、あり得ないからね」
隣に華 閻李ではなく黄 沐阳を添えて、彼は灰の渦を蹴散らしていった。




