違和感
「──へえ、あの男が黄 沐阳なんだ」
全 思風の声はいつになく低い。瞳の色は焔のような朱にまみれていた。
一緒に隠れている子供を後ろから軽く抱きしめる。あの男殺そうかと、物騒な相談を持ちかけては、華 閻李に注意された。
「もう、思ってば! ……それよりも、どうしてあの二人がここにいるんだろう?」
率先して兵たちを煽り、まるで戦争をするように仕向けているかのよう。兵たちも彼らを神のように崇め、血気盛んになっていた。先刻までの、のんびりとした空気などない。あるのはビリビリとした、戦場にも似たものだけだった。
子供は彼から視線を外し、櫓にいる男たちを見つめる。彼らは親子というだけあり、背格好や顔立ちがよく似ていた。
「……でも、おかしいなあ」
「ん? 何がおかしいんだい? あ、もしかしてこの体勢かな!? だったら、小猫を横抱きにし……」
「黙ってなさい」
「……はい」
明後日の方向にしか行かない彼の口は華 閻李によって、言葉で塞がれてしまう。そのことに多少の不満があり、子供っぽく頬を膨らませた。
──まあ、いいか。この一件が終わったら、たっぷりと小猫を抱きしめる予定だし。
少年の美しい銀髪を眺めながら、ふふっと心の中で笑った。
「……それで小猫、何がおかしいんだい?」
優しい薔薇の薫り漂う子供に問う。すると華 閻李は頷き、黄 茗泽を指差す。
「黄 茗泽様ってさ、戦争に率先して参加する人じゃないと思うんだ。あの人は臆病で、いつも奥様の言いなりだった。息子である黄 沐阳が悪さをしても、怒る事もできない人なんだ」
大人として。子を持つ親として、非常に頼りない男であった。女の尻にしかれ、常に顔色を伺っていた。
しかしそれはしかたのないこと。
黄 茗泽は当主であると同時に、妾の子でもあったからだ。
彼の父が死に、後を継ぐ。望んでいたかどうかは定かではない。けれど当時は唯一、黄家の血を引く存在であったと聞く。
「当主になった数年後に奥様と結婚し、黄 沐阳を授かったそうだよ」
そんな男ではあったが、あの腐った一族の中にいても、優しさを忘れずにいた。
華 閻李が引き取られた後も、黄 茗泽という男は穏やかな笑みを浮かべ続けていたのだと語る。
「ちょっと頼りないけど、すごく優しい人でさ。誰かが死ぬところ見るだけでも、気絶してしまうような人なんだ」
そんか人がなぜ戦争に参加をしているのか。これではまるで別人。
子供の口からは、疑問だけが飛び出ていた。
「そんな人が、今回みたいな事するのって違和感があるというか……」
うーんと、首をひねる。
櫓で演説を続ける黄 茗泽を見、喉に小骨が刺さったよそうな感じがすると呟く。
「それに、黄 沐阳も気になる」
「ん? ああ、小猫を傷つけようとした男の事? 話を聞く限りでは、特にどうこうってわけじゃないと思うよ?」
子供から身を離し、邪魔になっている枝を退けた。そこから見えるのは、櫓を囲うようにして立つ兵たちと、黄族のふたりである。
父親は手をふり、常に笑顔を絶やさなかった。
しかし息子である黄 沐阳は、黄 茗泽とは正反対の表情をしている。眉はつり上がり、父親を睨むように凝視していた。さらには舌打ちという、態度の悪さが表に出てしまっている。
しばらくすると、黄 茗泽が演説を終えた。踵を返して櫓から降り、兵たちからは歓喜にも似た何かをもらっている。そして黄 茗泽は、数人の者たちを引き連れて広場から去ってしまった。
「あっ! 思、あの人を追って!」
「え!? いや、でも……」
追いかけて、真相を探りたい気持ちはあった。けれどそれは、大切な子をひとりにしてしまう可能性もある。一緒に行けば話は早いのだが、華 閻李にそれを拒否されてしまった。
「……僕、どうしても黄 沐阳と話がしたい。あの男のあんな顔、初めて見るから」
だからお願いと、真剣な面持ちが大きな瞳に乗る。 全 思風自身が、子供に弱いということを逆手に取っての決断なのだろう。
案の定、彼はグッと言葉を詰まらせてしまった。それでも子供の想いを優先しようと、深くため息を吐く。
「……っ! わかった。じゃあ私は、あの男を追ってみるよ。だけど、無茶はしないでね!?」
少年を凝望した。
「いい? 無茶だけはしない事。それだけは守って」
そう言って、子供の首に黒い勾玉をかける。
「君に何かあれば、この勾玉が反応するようにしてある。危険だと思ったら願って」
すぐ様、うさぎのように飛びはねては軽々と屋根へと登っていった。少年へと一度だけ振り向き、黄 茗泽を追いかけていく。
全 思風の姿が見えなくなると、子供は少しだけ腰を上げて周囲を見渡した。
櫓の周囲だけではない。町の東西南北へ続く道、それら全てに兵が配置されていた。見回りであろう兵たちは武装し、腰に剣を携えている。
ここにいてはいずれ見つかってしまうと思い、華 閻李は前進した。直後……
──あ、どうしよう。前後囲まれちゃってる。
前からは数人が。後方にはひとりの槍兵が近づいてきていた。八方塞がりな状態となってしまう。
もう駄目だと両目を強く瞑った。瞬間──
誰かに口を塞がれ、建物の影に押しこまれてしまった。




