謎めく者たち
息子の想いを届けることに成功した翌日、全 思風は、ふっと目を覚ました。
──あれ? 私はいつの間に寝てしまったのか。……ああ、眠るなんて行為、本当に久しぶりだ。
華 閻李という愛しい子を隣に置くだけ。たったそれだけなのに、彼は安心して眠ることができた。そのことにほくそ笑みながら上半身を伸ばす。
「……あれ? そういえば小猫は?」
キョロキョロと、周囲を見渡した。ふと、廃屋の奥にある台所に目が止まる。
そこには愛してやまない少年が立っていた。後ろ姿ではあったが、一際目立つ銀の髪が頭部でひと縛りされている。
いつもと違う髪型に首をかしげつつ、華 閻李の元へと近よった。
子供の髪から薫るのは薔薇か。とても落ち着く、品のある薫りである。ふわりと靡く銀髪は、壁の隙間から差しこむ太陽の光を受け、黄金色に見えた。
全 思風は子供の神々しさに両目を見開く。
「──あ、お早う思。よく寝てたみたいだね。もう起きるの?」
彼の視線に気づいたようで、子供はくるりと振り向いた。昨日のように青ざめた顔色ではない。血色のよい、薄い紅色を頬に浮かばせていた。
そんな少年は、顔のところどころに煤をつけている。
いつもは服で隠れてしまっている白い細腕や首筋が見え、妙に色香を漂わせていた。
「思。今、朝ごはん作ってるから、ちょっと待っててね」
「華 閻李ちゃん。大根は葉っぱも食べれるから、捨てちゃだめよ?」
「はーい」
テキパキと。少年を含む女性たちは、勝手知ったる台所のように動く。一緒に料理を作り、楽しそうに井戸端会議をしていた。
それを見ていたこの場にいる男性数人は唾を飲みこんでいる。子供にむかって「嫁にほしい」だの、「可憐だ」や「美しい」といった褒め言葉を呟いていた。頬を赤らめ、欲望を剥きだしにもしている。
当然、そんな男たちの欲まみれな視線を全 思風が許すはずもなかった。彼は自身の体を盾に、男たちから子供の姿を隠す。
すっと目を細めて彼らを睨めば、怖じけづいた男たちは縮こまった。
「ねえ小猫、何を作っているんだい?」
ここぞとばかりに子供へと抱きつく。
「えっとね。大根と蓮根の薄塩粥と、大根の葉の唐辛子炒めだよ。あ、それと、小魚を軽く焼いて塩をまぶしたやつもあるよ」
「へえ、美味しそうだね」
子供の左手には包丁があった。それを使い、慣れた手つきで大根を薄切りにしていく。切り終えた大根を大きめの鍋へ入れ、細かく切り刻んだ唐辛子と一緒に炒めていった。
「……小猫、料理得意なの?」
調理器具の使い方が素人のそれではないなと、彼は首をかしげる。
子供は頷き、ふふっと微笑みながら語った。調理を中断し、彼へと向き直る。
「ほら、僕って黄家で家僕やってたでしょ? その時に炊事洗濯は、一通りこなしてたんだ」
華 閻李の背中が、とても弱々しく見えた。もともと線の細さがある子だ。しかし今は、それがさらに強調されてしまっている。
「ふふ、そうか。小猫は、しっかり者だね」
全 思風は子供を優しく抱擁した。そっと手を子供の指と絡めさせ、ゆっくりと抱きしめる。
──だからこそ、私はこの子を守りたいんだ。あの人の、二の舞になんかさせない。
誰にも悟られることない言葉を胸にしまい、大切な子の手作り料理を堪能した。
□ □ □ ■ ■ ■
朝ごはんを終えたふたりは避難民たちと別れ、中央広場へとやってきていた。
広場といってもこじんまりとした空間で、周囲には建物が何もない。あるのは物々しい空気、そして中央にある櫓だけであった。
人は疎らで、兵が数人いるだけである。戦争前の静けさというよりも、ただ巡回しているだけ。そんな様子に見受けられた。
「──ねえ思。戦争真っ只中でも、こんなに静かなものなの?」
全 思風たちは彼らに見つからぬよう、木陰に身を潜める。遠巻きに兵たちの様子を伺いながらここで何が起こるのかと、待ちわびていた。
「それにほら。あの兵、すごく暇そうにしてる」
華 閻李が指差したのは、武装した数名の兵たちである。彼らは革の鎧を身につけ、槍や剣、弓などの武器を持ってはいた。けれど使うときがないといわんばかりにダラけ、あくびすらしている。
あまりにも緊張感がない状態に、子供は小首をかしげるしかなかった。
「……確かに、云われてみるとそうだ。昨日なんて、すぐ側の運河で闘いがあったっていうのに」
彼は顎に手を当てる。直後、どこからか鐘の音が鳴り響いた。すると、先ほどまで背中を丸めていた兵の姿勢がよくなる。同時に町の四方から兵たちが、続々と集まってきた。
それに驚くふたりをよそに、櫓にふたつの影が現れる。
「──皆さん。先の戦では、我が軍は敗北してしまいました。実に悲しい事です」
低い声が、広場内を駆けた。
「ですがご安心ください。この私が、遂に表舞台に出るのです。あの、残酷非道なる男……黒 虎明を、この手で切り刻んでくれましょうぞ!」
ふたつの内ひとつ、声の主が前へと躍り出る。
声の主は、五十代の男であった。
身長は百七十センチほど。肩ほどまで伸びた黒髪は少し癖っ毛で、白髪すら混じっている。
糸目、低い鼻、かさついている唇など。お世辞にも整っているとは言えない見目である。
そんな男の服装は、上は黄で、下に進むにつれて白くなる漸層の漢服だ。
男はこれでもかというほどに演説を続けている。
それを隠れながら観察していた華 閻李は驚愕した。
「……え!? 黄 茗泽!? どうしてあの人がここに!?」
「小猫、知っているのかい?」
子供へ視線を送り、再び演説主たちを注視する。
「知ってるも何も……あの人は黄族の現当主、黄 茗泽だよ。黄家の屋敷で何度か目にしてるから、間違いないよ」
なぜ、黄族である彼がここにいるのか。そして、率先して兵たちを盛り上げているのか。
華 閻李には、そこがわからなかった。
ふと、もうひとりの影が動く。影から脱げだすように、黄 茗泽の隣へと並んだ。
そこにいたのは、華 閻李の知る人物である。かつて華 閻李を襲い、黄家から追い出した張本人、黄 沐阳だった。
彼は口を尖らせたまま、無言で立っている。不機嫌丸出しの表情をし、ちっと舌打ちまでしていた。
そんな彼は兵を直視するでもなければ、会話に参加するつもりもないよう。ただずっと、父である黄 茗泽を睨み続けていた。




