親子と影の正体
関所を守りぬいた兵がいた。彼は母親の足を治療するため、そして誰かを守りたいという想いから兵へ志願する。
母親はそんな息子を誇りに思い、子の夢を止めることなどできなかった。けれど代わりにと、祝いの品として一本の蝋梅の木を送る。
「それが、この枝の元の蝋梅。あの男の人に大切に育てられて、あなたの……母親が息子を想う気持ちがこめられている。それがこの木に力を与え、あなたの元へと届けてほしいって願ったんです」
花や植物の気持ちなと、誰もわかりはしなかった。けれど華 閻李という少年は花の心を伝え、想いを力にする能力を持つ。それは仙術のようで違う。けれど、それを成し遂げるだけの力を有していたのは間違いなかった。
もちろん眼前にいる中年女性には、そのことなどわかりはしない。
だからこそふたりは頷き合った。子供の隣に全 思風が立ち、その細い肩を支える。
廃屋に避難している人々は何が始まるのかと、興味津々に彼らを見た。
「──僕は、あの人の想いを全て届けられるわけじゃない。だけど、知ってほしいんです。あの人がどんな想いで亡くなったのか。最後に願った事は何だったのかを……」
子供の声が廃屋の中を泳ぐ。
両手を胸の前に、そっと置いた。そして枝に丁寧なまでの口づけをする。すると華 閻李の体が優しい光に包まれていった。それは蛍火のように小さな粒で、夕焼けのように美しい。
そのときだった。子供の背中から、ひとつの大きな彼岸花が現れる。けれどそれは花びらを散らし、姿、種類すらも変わっていった。
一本の大きな木。桃色の花をつけた大木が、残像のように具現化した。
「蝋梅に残された記憶よ。今、届けたい者の元へ──」
両手に握る枝を掲げる。瞬間、子供の後ろにあった木が、ゆらり、ゆらりと揺れた。花びらが一枚、また一枚と木から離れていく。
風もないのに裏返しながら、ゆっくりと中年女性の元へとやってきた。
中年女性は驚いて、どうすればいいのかと問う。
「その花びらに触れてください。そうすれば、彼がどう過ごしていたのかわかるはずです」
華 閻李が儚げに笑んだ。
中年女性は涙を飲みこみ、花びらに触れる。
「……ああ、これは。あの子だわ。ふふ、すごいわね。あんなに慕われているなんて……」
中年女性の頬は緩んでいった。泣いて、微笑み、そしてまた泣く。何度もそれを繰り返していた。
「ねえねえ小猫、あの人何を見てるんだい?」
支えてる子供にひっそりと尋ねる。すると華 閻李は微笑した。
「蝋梅が持っている記憶だよ。あの兵がどんな人柄だったとか、のね。亡くなるまでの、蝋梅自身があの女性に伝えたかった事を視せているんだ。ただ、さすがに殭屍になってしまった時のやつは視せられないからね」
あの悲劇の日は、身を呈して市民を守りぬいたこと。そして、森の木に凭れて亡くなった瞬間のみを伝えているのだろうと口述する。
全 思風は納得し、様子を見ることにした。
しばらくすると中年女性は膝から崩れ落ちていく。花びらを包容しながら*紅涙を絞った。口を押さえ、声にならぬ声で涙を頬に伝わせる。
「ほん、とに……馬鹿な、子だよ。自分より、も、他人って……っ!」
周囲にいた人たちが、突然泣きだした中年女性に声をかけた。それでも彼女は泣くのをやめず、花びらを愛しそうに包む。
「おばさん……」
「小猫、あれ……何?」
華 閻李が泣き続ける中年女性を慰めようと、手を伸ばした。瞬刻、全 思風は驚いたような声を放つ。
その声に誘われるかのように子供が視線を向けると、そこにはひとりの男が立っていた。男といっても体が透けているため、とても人間とは思えぬ姿である。
華 閻李は知らないと、驚愕混じりに首を左右にふった。
「ええ!? ぼ、僕知らな……あっ!」
慌てふためくふたりをよそに、実体を持たぬ男は彼らを横切る。泣き崩れている中年女性の前に立ち、にかっと白い歯を見せながら笑った。
『──おっかあ』
この声に、中年女性は急いで顔を上げる。そこにいる男の姿を視、涙でぐしゃぐしゃになった瞳を大きく見開いた。
「チ、潮健……潮健なのかい!?」
『そうだよ、おっかあ。あんたの息子、潮健さ』
男──潮健──は、無邪気な笑みを見せながら中年女性に抱きつく。
彼女は言葉すら失いながらも、懐かしい子へと手を伸ばした。けれど潮健は実体のない存在である。体は透けてしまい、女性はその場に両手をつくかたちとなった。
「……!? 何で……何であんたに触れないんだい!? ううっ……!」
やりきれない怒り、そして悲しみが募り、床を無我夢中で叩く。どれだけ血が出ようとも、痛みが伴おうとも、我が子に触れられない苦しみが増していくだけだった。
顔を床につけるように丸まり、嗚咽を響かせる。
『……おっかあ、ごめんな。親不孝な息子でごめんな』
恥も、見栄すらもない母親の体を、彼はくるんだ。目尻には微かに、水が溜まっている。
『だけど……お願いだ、おっかあ。笑ってくれ。じゃなきゃ俺は……』
透明なほどに穏やかな声が、中年女性の顔を上げさせた。
彼の両目からはたくさんの涙が溢れている。それでも必死に笑った。
『安心して、あの世に行けねーよ』
それを聞いた中年女性は、両手をギュッと拳の形へ変える。顔を雫でいっぱいにした。
「……は、はは。本物に、馬鹿息子だよ。あんたって子は……」
しょっぱい水が口に入ってしまおうとも、鼻水で顔がぐちゃぐちゃになろうとも、中年女性は微笑んだ。
潮健は安心した様子で立ち上がり、ふわりと浮かぶ。中年女性が名残惜しそうに両手を伸ばすが、彼は首をふって笑顔を作った。
『おっかあ、約束だ。俺のぶんまで生きてくれ。長生き、しろよ?』
彼の声は、姿とともに薄くなっていく。そして光の泡となり、砕けながら天へと昇って逝った。
枝がゆらゆらと、華 閻李の手のひらへと落ちていく。子供はそれを受け取り、そっと両手で撫でた。瞳は潤み、泣きたいのを堪えている。
けれど直後、無理がたたったのだろう。ぐらりと体が横へとズレていった。
全 思風は無言で子供を受け止める。子供の額を濡らす汗を拭 い、お疲れ様と囁いた。
瞳を閉じる少年に「お休み」と、優しく伝える。横抱きにして、空いている場所へと寝かせた。
美しく、さらりとした銀の髪を掬う。髪は指の間をするりと抜けていった。
それに気をよくした彼は微笑み、その場へと腰を下ろす。がに股になり、片肘をつけた。それをつっかえ棒代わりにし、手のひらへと顎を乗せる。
眼前にいる人たちへ視線を送り、不機嫌丸出しに口を尖らせた。
──残念だけど、私は小猫ほど君らに感情移入はできないんだ。あの兵がどうなろうが、その母親が泣こうが、私には全く関係ない。
とどのつまり、華 閻李さえ幸せならどうでもいい。だった。けれど肝心の子供が親子の笑顔を望んでいるので、それを無下になどできるはずがない。
やりきれない気持ちに舌打ちをした。
すると泣いていた中年女性が涙を拭きながら、ふたりへお辞儀をする。ありがとうございましたと、泣き腫らした瞼に笑顔を落としこんだ。
「ん? ああ、息子と再会できてよかったね」
作り笑顔で答える。けれどすぐに冷めた眼差しになり、それよりとつけ足した。
「ここにいる人たちにちょっと聞きたい事あるんだけど、いいかな?」
彼の質問に、誰もが小首をかしげる。
「蝋梅の木を送ったって言ってたけど、どうやって?」
「え? ええと……息子の働いていた友中関は、定期的に仙人様が訪れるんです。その人たちに頼んで運んでもらいました」
中年女性は質問の意図がわからないといった様子だ。それでも彼は問いかけを続ける。
「仙人?」
「あ、はい。この町に時々訪れては、私たちの仕送り品を関所に運んでくださっています」
全 思風の両目は細められ、くつくつとした笑いが漏れた。
「じゃあさ、その仙人様って誰?」
いつになく低い声で語らう。鋭く尖った視線が町人たちを刺していった。
中年女性は彼の変貌にびくつき、ひっと悲鳴をあげる。それでも意を決して真剣に向き合った。
「な、名前までは存じ上げません。ただ、広場で兵士を集めて、戦争の準備をしていると聞きます」
この言葉に彼の眉はピクリと動く。
黒かった瞳に赤を宿し、片口をつり上げた。




