疑惑
太陽が陰り、雲に隠されていく。晴れてはいるものの、どこか不安になる。
華 閻李はその不安を言葉にはせず、男と向かい合っていた。
近くには気を失っている黄 沐阳がいる。けれどその場にいる誰一人として、彼を起こそうとはしなかった。
この事態を引き起こしたともされる爛 春犂はため息をついている。
それでも起こさない方が静かだと、二人は無視を決めこんでいた。
部屋の中に新しい机を用意し、その上に小ぶりの茶杯をふたつ置く。
華 閻李は、ゆっくりと茶杯へと緑茶を注いでいった。真向かいに座る爛 春犂が飲んだのを確認し、本題へと入る。
「──爛先生、先ほど言った事は本当なんですか?」
対峙している男は、彼が前までいた所の先生を務めていた。今もそれは健在で、側で伸びている黄 沐阳の師に近い存在でもある。けれど彼と伸びている男は相性が悪いようで、顔を合わせる度に喧嘩になっていたのだ。
──まあ僕も黄 沐阳は嫌いではあるけどさ。爛先生みたいに、明らかな敵意は見せたりはしないかな。
これには、から笑いしか出なかった。それでも今しなくてはならないことは何だったかと、大きく深呼吸して気持ちを切り替える。
「それで先生、厄介な事とは何でしょう?」
「……お前は先月……黄家を出る前、こやつと共に行った場所を覚えておるか?」
爛 春犂は黄 沐阳を指差した。
「あ、はい。確か……」
この妓楼で世話になる前、華 閻李は黄族の屋敷にいた。そこでは衣食住こそあたえられたものの、奴隷のように朝から晩まで働かされていたのだ。ただ、それだけならばまだよかったのだろう。
ある日、黄 沐阳は彼を己の部屋へと呼び出した。
華 閻李は何の疑いもなく出向いた矢先、襲われてしまう。それは文字通りに襲うだった。けれど爛 春犂が助けに入ったことにより、未遂に終わる。
この事件がきっかけとなり華 閻李は、黄族の跡取りである黄 沐阳を誑かしたと陰口を叩かれてしまった。
子供にとっては、陰口自体は痛手にすらならなかった。しかし風紀が乱れてしまったため、黄族の者たちは華 閻李を追い出してしまう。
──もともと僕は、あの場所では馴染めなかった。だから別に追い出されようとも構わなかった。
追い出された直後、梅萌楼閣という妓楼の姐姐に助けてもらう。以降は、下働きとして日々を過ごしていた。
本来なら客を取って稼がなければならないのだろう。しかし、華 閻李は女ではなく男。細身で痩せこけていても、線が細く小柄であっても、男であるという事実は変えれなかった。
──ただそうなると、一つの疑問が湧く。黄族の屋敷にいたときですら、僕の性別は判明していなかったはず。むしろ、小汚ない男であると認識されていたはずだ。
それなのになぜ、黄 沐阳は僕を手篭めにしようとしたのか。
「…………り? 閻李。聞いているのか? 閻李!」
「……っ!? あ、す、すみません」
爛 春犂の野太く、ハッキリとした声が、思考の海へと落ちていた華 閻李を現実へと戻す。
彼を見てみれば、眉間にシワを寄せていた。
「えっと……出て行く直前に行ったのは……夔山の麓の村でした。あそこに殭屍が現れたから、黄 沐阳とともに退治しに行ったんです」
この國の中には彼ら、黄族が治める領地があった。
その内の一つに、夔山という場所がある。そこは昔から陰の気が溜まりやすく、妖怪や人ならざる者たちが頻繁に出没していた。黄族の領土内でも一際邪気が集まりやすいとされており、注意しなければならない場所でもある。
「その夔山の麓にあった村に、殭屍が発生した。だから僕たちはその村に行って、殭屍たちを一掃しました」
淡々と告げていった。空になった茶杯に緑茶を注ぎこみ、ゆっくりと飲んでいく。
「先生、前々から思っていたんですが……危ない場所なのに、なぜ村人たちは逃げようとはしなかったのでしょう?」
麓にある以上は危険が伴う。けれど村人はなぜかそこから離れようとはしなかった。どれだけ引っ越しを進めても、逃げるように伝えても、動くことはなかったのである。
「……それについては、私も疑問に思ってはいる。だが、今問題なのはそこではない」
首を左右にふり、彼もまた茶杯に手を伸ばした。
コトリ……
静寂が包む部屋の中に、茶杯と机が重なる音だけが響く。
「殭屍とは死人だ。元々は、死体を故郷へと送り返すために行われた儀式でもあった。しかし、それに目をつけた者たちが死体を意のままに操る事を考えてしまった。その結果として、人を食らう化け物へと成り果てた」
彼の力強い声が華 閻李の脳へと届いていった。
「お前たちはそれを退治した。間違いはないな?」
「はい」
華 閻李は彼を凝視する。
彼はそうかとだけ言い、ゆっくりと立ち上がった。窓を開け、外の空気を入れる。
華 閻李は彼の隣に立ち、街を眺めた。
彼らがいるのは三階で、そこからは街全体が見渡せるようになっている。
海のように澄んだ空、地上を燦々と照らし続ける太陽。穏やかに吹く風は柳をせせらぎへと誘う。
多くの建物が朱の屋根や柱を用いて建てられていた。家屋を結ぶように、たくさんの提灯が屋根や窓伝いに繋がっている。
そんな街中では、様々な色の漢服を着た人々が歩いていた。店の前で財布の紐を緩めたり、料理店に入っていったりもしている。
街の中の至るところに流れる川には小舟が浮かび、人を乗せてはどこかへと消えていった。
風とともに、どこからか流れてくるのは油の香り。焼き栗の甘い匂いもし、行き交う人々の食欲をそそった。
そんな平和でのどかな街の中、人に目もくれず飛んでいるのはたくさんの花である。牡丹や睡蓮、薔薇といった花だ。
「……美しい花だ。だが、この平和もいつまで保つのか」
「……?」
爛 春犂は意味深めいた言葉を口にし、手にした花びらを見つめる。そして華 閻李の頭を撫で、ゆっくりと語り始めた。
「……閻李、落ち着いて聞きなさい。夔山の麓の村にいた人たちが、再び殭屍へと変貌してしまったそうだ」
「──え?」
爛 春犂の言葉に、華 閻李は耳を疑った。




