國の思惑
黒の一族、黒。術を得意とし、戦略に長けた者が多いと云われていた。そのなかでも長である黒 虎静は、群を抜いて素晴らしい才能を持つと云われている。
そしてその弟である黒 虎明は兄にこそ及ばぬものの、それでも黒族のなかでは優秀な分類と噂されていた。
しかしあるときを境に、弟である黒 虎明は反旗を翻したとされる。理由は不明、今どこにいて何をしているのか。それすら謎とされていた──
「──他族の事だから、僕も詳しくは知らない。だけどあの人は獅夕趙なんていう、二つ名まである」
華 閻李は嘘でしょと、大きな目をさらに広げる。
「ああ、その二つ名なら私も聞いた事はあるかな。確か、獅子のように獰猛だけど、場の空気を変える力があるって理由で、そういった名前になったとか何とか」
全 思風自身、膝の上に乗せて守る子供以外には興味などなかった。しかし人間の住む世界にいる以上は、嫌でも何かしらの情報が入ってくるというもの。
彼にとって興味の対象外であった。けれど風の噂というものは自然と耳に届く。それがいいか悪いかではなく、印象に残る何かがある。
──小猫を探している最中、あの男の二つ名を何度か耳にした。兄と喧嘩をして家を飛び出したとかいう話だったな。
それかなぜ、このようなところにいるのか。いったい黒 虎明という男に何があったのか……
──うん。全く、興味ない。
全 思風にとって、完全に興味のないことだった。
しかし側にいる子供は不思議そうに首をかしげ、どうしてだろうとかわいらしく呟いている。
「あれ? 小猫は、彼がどうしてこんなところにいるのか気になるのかい?」
「え? ああ、うん。そりゃあねえー。でも他族の事だし……首を突っこんだら、先生に迷惑かかっちゃうんだよね」
「爛 春犂に? それはいい案だ! あの男に泡を吹かせ……」
「怒るよ?」
「……すみませんでした」
鶴の一声ならぬ華 閻李の睨みで、全 思風の目論見は一瞬で砕けた。
彼はうっと言葉をつまらせ、何度も平謝りをする。
「あっ! 思、黒 虎明が動きだしたよ!」
子供の声が舟内を走った。細く、そして小さな指が、眼前にいる男へと伸ばされる。
華 閻李が指し示した先にいる男──黒 虎明──は、朱旗の船に乗っていた。船の先端に片足を置き、片手に鳥籠のようなものを持参している。それを惜しげもなく見せびらかし、空へと放り投げた。
一弾指、鳥籠は目映い光を作った。それは目も開けていられないほどに明るく、くすんだ黄みの赤である浅緋色に始まる。秒もたたぬうちに濁った朱である潤朱、最後には鮮やかな紅色になった。
紅が空を赤く染めあげてく。
「──逆賊どもよ、見るがいい!」
黒 虎明の表情が、いやらしいまでに歪んだ。自信に満ち足りた面、両腕を組んで仁王立ちする様は、漢然としている。
そんな彼が投げた鳥籠の光が、次第に弱くなっていった。やがて収まったかと思えば、何かがふわりふわりと男の肩へと落ちていく。
それは朱き羽毛をもつ小鳥。
太陽のように燃える翼をもっていた。小鳥なのに、妙に鋭い視線を宿す。朱く、ときおり橙や黄にも変色する焔を纏う小鳥だ。
この場の誰よりも神々しく輝く小鳥は小さく鳴く。瞬間、男の肩から離れ、翼を大きく羽ばたかせた。
すると纏う焔が衝撃波となって、緑の旗を掲げる船へと向かっていく。
緑の旗を持つ船たちは一瞬にして、朱き焔に包まれていった。船員たちの阿鼻叫喚、助けをこう声など。聞くのも恐怖するようなものが、緑の旗がある全ての船から轟いた。
船が柱から燃えてく。骨組みそのものが折れてしまう音が響いた。
緑の旗の船から、肉が焦げる臭いが漂いはじめる。
これには朱旗の船に乗る者たちですら、うっと青ざめてしまっていた。酷い場合、臭いに耐えられぬ者は嘔吐してしまっている。
「……ふん、情けないな」
この惨状をつくりだした黒 虎明は、袖で鼻を抑えながら笑った。くつくつと、まるで人の死を楽しんでいるかのような……そんな笑いである。
「舵をとれ! 王都へと帰還する」
「は、はい!」
家臣と思われる老人が、袖の中に両手を入れて頭を下げた。言いつけどおり、朱旗の船にいる者たちに命をくだしていく。
「つまらんな。実につまらん。玉 紅明め! このような事に俺を使うとは……いい度胸をしている!」
愚痴り終えると、家臣に早くしろと急かした。
しばらくすると彼らは後ろ向きに船を動かし、京杭大運河から去っていく。
朱旗の船が見えなくなり、華 閻李は指をパチンと鳴らした。舟を囲っていた膜は消えていき、ふたりは無言のときを過ごす。
数多の人間が焦げた臭いがし、子供は眉をしかめた。
「……あの男、黒 虎明だっけ? あいつの持っていた鳥籠は、おそらく宝具だろうね」
全 思風の声はいつになく低い。風で靡く髪を押さえながら、船の残骸を注視する。
「あ、僕、それ知ってる。宝具って確か……殷の時代にあった戦争で、仙人たちが使ってたとかいうやつ」
「うん、そうだよ。ほとんどの宝具は消滅したって聞いたね。ただ今の鳥籠ように、隠されてたって道具もあるそうだよ」
小猫は勉強しっかりやってるんだねと、子供を誉め称えながら頭を撫でた。華 閻李はえへへと、かわいらしく頬を赤らめる。
そんな、小動物のような姿の子供を抱きしめた。彼は癒しを求めんと、何度も少年の頬をつつく。
「……ねえ小猫、玉 紅明の名が出てたよね? でも確かその人って皇后で、既に亡くなってたんじゃなかった?」
「んー……そのはず、なんだけど」
華 閻李は顎に手をあてた。
玉 紅明は魏 宇沢が皇帝に就いた十年後、病で亡くなったと発表されたのだと、知りうる限りのことを伝える。
「……それにね小猫、どうしても気になる事がひとつあるんだ」
「ん? なぁに?」
華 閻李はじっとしているのに飽きたようだ。舟の隅で寝ている二匹の動物へと近寄る。白虎のお腹をわしゃわしゃし、蝙蝠の躑躅を撫で回した。
そんな無邪気な遊びをする子供を見、一瞬だけ彼の頬が緩む。けれどすぐに戻り、眉をきつくしめた。
「朱と緑の旗。あそこに描かれていたのは、鳥と亀だ。小猫はこれで何か思いつく事ない?」
そう尋ねられ、子供はうーんと口を尖らせる。どうやら思い当たるものはないようで、首を左右にふって苦く笑んだ。
「……朱の旗の鳥、あれは朱雀だと思う」
「え!? じ、じゃあ緑の旗は玄武!?」
驚愕しながら答える子供に、全 思風は黙って頷く。
──人間たちの戦争に介入してはいけないという決まりを破ってまで参加した、黒 虎明。そして鳥籠から出た朱い鳥。それに、このふたつの旗。死んだはずの女の名が出てるのも気になる。
彼は立ち上がって棒を持つ。そして舟を漕ぎ始めた。
「どうにも、キナ臭くなってきたようだね。この内戦自体、裏があるのかもしれない」
焼けた船の残骸を横目に、彼は舟を漕ぎ続ける。
大切な子供である華 閻李に危害が及ぶのなら、誰であろうと容赦はしない。
冥界の主らしく、瞳を朱く包ませながら、絶対的な誓いを自身へとをたてた。




