波乱の河
京杭大運河の中枢から少し離れたところに、大きく横に広がった場所がある。縦に長く続く河、両脇には人の力では到底登れぬ崖があった。
そんな河を陣取るように、二種類の船が横に並んでいる。ひとつは杭西、もう片方は枸杞の村側へと背を向けていた。
杭西側を陣取る船の先端には、朱の鳥が描かれた旗が掲げられている。
枸杞を背にする船はひとまわり小さいが、反対側に浮くものよりも数が多かった。先頭をいく一隻には、緑の亀が刺繍された旗が立てられている。
そのどちらもが互いを睨み、冷戦状態となっていた。しかし……
「──矢を放て!」
誰かの一声が場に轟く。瞬間、朱き旗を持つ側から、無数の矢が放たれた。
ひとまわりも小さな船に向かって疾走する矢は高く上がり、勢いをつけて落下。先頭にいた緑の旗を携える船が沈没していった。
されど、緑の旗の者たちも負けてはいない。弓という飛び道具を使用せずに、剣や槍などで弾いていった。
それでも生身の人間であることにかわりない。懸命に応戦するが、次々と弓矢に体を貫かれてしまった。
朱旗側の圧倒的すぎる力、それがこの場を収めていく。これでは緑の旗を維持すること叶わず。誰もが、絶望色に顔を染めていった──
瞬刻、形勢を有していた朱旗の船に悲劇が訪れる。
突然、彼らの周囲に波が現れたのだ。朱旗の船は波に拐われ、ひっくり返ってしまう。何隻かは無事だったものの、被害は大きい。
先ほどまで優勢だった朱旗たちは、一気に窮地へと立たされてしまった。
そんな戦場を少し離れた位置から、全 思風と華 閻李の両名が眺めていた。
「──ねえ思、これってどういう事なの?」
結局、どちらが優勢なのか。華 閻李は頭を抱える。
「多分、緑の旗が勝ってるんじゃないかな?」
美しい子供を膝の上に乗せながら、全 思風は戦場を凝視した。
戦闘の余波で舟が揺れるものの、驚くほどではない。そんな舟に座りながら、がに股で見学を決めこんでいた。
「正直な話、戦力がどの程度あるのかわからないからね。どっちにも利点はあるし……」
船の大きさは圧倒的に朱旗が有利である。けれど数で云うならば緑の旗だ。どちらもがそれぞれに有利な点があり、不利にもなる部分はある。
「朱旗の船は大きい。頑丈にできてるから、生半可な事じゃ破壊されないんだろう。だけど河という場所では、その大きさが不利にもなるんだ」
袖からサンザシ飴を取り出し、膝の上に座る子へと渡した。
「ああいった大きな船は、小回りが利かない。こんな両脇が崖や陸になっている場所では、逃げる手段がないんだ」
船を転回させるにも、大きさが仇となって無理が生じる。
反面、緑の旗を持つ船は小ぶりだ。簡単にとはいかずとも、朱旗の船よりは小回りが利く。
「だけど、あっちの朱旗の船ほど頑丈ではない。小回りが利くぶん、防御力は低いんだろうね」
どちらがいいかではない。両船ともが有利に進むときもあれば、不利になる場合も出てくるのだ。どんなものや人であってもそれは必ず起きること。
何があるかわからないのがこの世の理だよと、めんどくさそうに語った。
「だけど、こんな場所で戦争おっ始めようだなんて……はた迷惑な連中だよ」
子供をギュッと抱きしめる。未だに続く冷戦状態に辟易し、いっそのこと割って入ってしまおうかと提案した。
けれど華 閻李に駄目と、強く否定されてしまう。
「仙道はね。人間の争いに介入しちゃいけないんだ」
人知を越えた力を持つからそこ、人間同士の争いに参加をすることは禁じられていた。
もしも参加してしまったのならば、仙道という存在そのものが直人から疎まれてしまう。下手をすれば不思議な力を恐れた人間たちに、討伐対象と認定されてしまいかねなかった。悪用されるということもあるのかもしれないが、何よりも迫害を受けてしまう。
これが一番、仙道の心を破壊する可能性があった。
「仙道っていったって、僕らは彼らと同じ人なんだ。人知を越えた力を持っていても、心は人間なんだ」
それはまるで、自身に訴えているかのよう。
例え華 閻李が仙人でも道師という位についていなかったとしても、あの不思議な力を持つことに変わりはなかった。
化け物と言われ、人間たちから白い目で見られる。これがどんなにつらいことか。
子供には、それがわかっていた。
「……めんどくさいね、人間って」
少年の気持ちを優先する。
「小猫が言うのなら、私も参加はし……っ!?」
「わわっ!?」
そのときである。
河が今まで以上に大きく波うった。反動で、何隻もの朱旗の船が横に倒れていく。多くの悲鳴も聞こえてきた。
波の余波は当然、彼らの乗る舟にも影響を及ぼしていく。
全 思風が華 閻李を守るように両腕で包んだ。高波に襲われた舟は、その場でひっくり返りそうになる。
全 思風は眉をよせながら片手を前にだした。そこから黒い渦が出現し、舟全体を包囲していく。一瞬だけ、ドシャンという音とともに振動がふたりを襲った。
波しぶきが舞うなか、舟は荒く揺れる。しばらくすると揺れが収まった。
「……? ねえ、小猫。あの人、誰かわかる?」
「え?」
ひとときの騒がしさが止めば、全 思風は朱と緑の船を見張る。そして朱旗の船へ指をさした。
朱旗の集団の、先頭にいる船を注視する。
その船の旗の近くに、体格のよい一人の男性が立っていた。
背中ほどまで伸びた髪を首の後ろで縛ってある。肌は褐色で、右頬に大きな傷があった。服装は、上から下まで黒に染まった漢服を着ている。そんな男は片手に、鳥籠のようなものを持っていた。
「いい加減に、観念したらどうだ!?」
体格のよさから出る声はとても大きい。ビリビリと、周囲に痺れを与えては、側にいる朱旗の者たちの耳を塞がせてしまうほどだ。
少し離れたところにいる全 思風たちですら、耳を塞がずにはいられない。
それでも男は構わず続けた。
「王都に攻め入ようなどと、笑止千万! そんな事はこの私、黒 虎明が許さんぞ!」
ガハハと、大きな声で笑う。
「え!? 黒 虎明って……」
華 閻李は驚きながら身を乗りだした。しかし全 思風にがっしりと掴まれているため、うまく動くことができないようである。
彼はそんな子供の驚愕した様子に首をかしげ、どうしたのと尋ねた。
「どうしたもこうしたもないよ! 黒 虎明っていえば、黒族の長の弟なんだ。しかもあの人は、獅夕趙っていう二つ名まであるんだよ!?」
「……は?」
黒族の長の弟で、仙道。さらには二つ名を持つという、とんでもない男である。けれどそれは、仙道が人間の戦争に介入してはならないという掟を破っていることにも繋がる。
いったいなぜそうなってしまったのか。
全 思風の脳は混乱を極めてしまっていた。




