杭西(こうせい)へ行く前に腹ごしらえを
華 閻李が行く先を決めた直後、昼休憩として緑にまみれた村を訪れていた。
村の人口はおよそ数十人で、非常に小さな村である。
建物は蔦や苔で覆われており、幻想的な雰囲気があった。この村は枸杞という名で、杭西へ向かう途中の休憩所としても使われることが多い。
村を囲むのは緑溢れた山々で、隅には運河が流れていた。それは京杭大運河であり、どこまでも続いている。
そんなのどかな村の入り口からすぐ近く。小さな飲食店があった。看板はボロボロになっていて名前は読めないが、年期の入った家屋である。
三人はそこへ足を伸ばし、昼食を交えながらこれからについての話し合いを始めた。
「──え? 先生、一緒に行かないんですか?」
二段構えの丸い机を囲み、彼らは各々が食べたいものを注文していく。
窓際に華 閻李が座り、壁側に全 思風。そして扉側には爛 春犂が腰を落ち着かせていた。
「うむ。私は先代皇帝、魏 曹丕様の命で動いている。目的は知っての通り、各地で起きている殭屍事件の全貌だ」
机の上にある烏龍茶を飲む。ゆっくりと口に入れていき、コトリと音をたてて茶杯が置かれた。
「私は一旦、王都へと戻る。現王である魏 宇沢様の真意を探るためにな」
「……わかりました。じゃあ僕たちは、杭西へ行きます。そこであの兵のお母さんに、真実を伝えようと思います」
「そうしなさい。それがいいのか悪いのかではなく、己が考えた道を進む。それが一番大事な事だ」
そうこうしていると、注文した食材が運ばれてくる。
温かな湯気がたつ卵湯を一口すすれば、ピリリとした胡椒が利いていた。
真っ赤な色と白い豆腐が特徴の麻婆豆腐は、口に入れた瞬間に辛さが引き立つ。
塩水鴨と呼ばれる、茹でたアヒルを薄く切った塩漬けは、口に含めば溶けていった。
木でできたセイロの蓋を開ければ、湯気が天井まで上っていく。中に入っているのは小さな小籠包で、箸でつついただけでも肉汁が溢れていった。
緑と茶色という対照的な色の野菜でできた青椒肉絲、白米に卵を混ぜて炒めた炒飯など。
これだけでお腹いっぱいになるだろう。けれど、次から次へと運ばれてくる。しばらくすると、これでもかというほどに数々の品が机上を埋めつくしていった。
「…………」
これには爛 春犂、そして会話の成り行きを見守っていた全 思風ですら絶句してしまう。
「わあー、美味しそうー! いっただきまーす!」
これらの料理を注文したのは、この場にいる唯一の子供だった。彼は絶句して声が出ない二人をよそに、次々と平らげていく。
それらは数十分もしないうちになくなった。全てが、この子供のお腹の中へと消えていったのである。
机の上には空の皿が山ほど置かれていた。今にも崩れてきそうな、絶妙な乗せかたで平衡を保っている。
「……し、小猫、美味しかったかい?」
三つ編みの美しい男、全 思風がおそるおそる尋ねた。
子供は一瞬だけキョトンとしたが、すぐに笑顔になって「うん」と答える。そしてあろうことか、机の隅にある献立表へと手を伸ばした。
これには全 思風たちはギョッとしてしまう。
──え? まさか小猫、まだ食べるつもりかい!? いやだって、こんなに食べたんだよ? もうお腹に……
入らないはず。そう決めこんだ。けれど……
「お姉さーん! ごま団子と杏仁豆腐、それから包子と餃子、追加お願いしまーす!」
「うん、知ってた! 食べる事、知ってた!」
子供の底なし胃袋に、感情すら失う。
それでも彼は目の前の少年が幸せならばと、駄目という意見を心の奥へとしまった。
自身の袖に手を突っこみ、手のひらに乗るほどの布袋を取り出す。中をのぞきしばし無言になった。そして斜め向かい側に座る爛 春犂へと、椅子ごと向かう。
ひそひそと耳打ちするように、子供に聞こえぬ声で話した。
「ねえ、私そんなにお金持ってないよ? というか、全然足りないんだけど。あんた持ってる?」
華 閻李の底なし沼な胃袋のことは知っている。しかしまさかここまでとは思わなかったと、子供に聞こえぬように告げた。
爛 春犂は、無言で自身の袖口に手を伸ばす。そこから現れたのは白い布で、ジャラリという音がしていた。
「一応は支給品として、 銀銭と金銭を持ってはいる」
銀と金の塊を見せる。
全 思風と爛 春犂は目線を合わせ、頷いた。
爛 春犂は立ち上がり、急いで会計場へと向かう。
全 思風は、子供の前で膝を曲げて見上げた。
「小猫、あまり食べすぎるとお腹いっぱいで動けなくなるよ?」
いつものように、紳士的な振る舞いをする。華 閻李の細い両手を優しく撫で、慈愛に満ちた笑みを向けた。
「……それもそうだね。うん。いっぱい食べちゃうと、このお店の食材もなくなっちゃうだろうし」
「え? ああ、うん。そうだね、お店が開けれなくなっちゃうね」
いささか答えが違ってはいたが、理解を示してくれて嬉しいと彼は喜ぶ。
華 閻李は椅子から離れた。そのことに彼らは喜びと、安心をため息に乗せる。しかし……
「このお店は諦めて、そこにあるサンザシ飴屋さん行こうよ」
安堵したのも束の間、子供は次なる標的として、窓から見える屋台を指差した。
「小猫、本当に胃袋底なしだよね!?」
「あれだけ食べて、まだ食べるのか!?」
二人の声が重なる。
華 閻李は彼らの驚愕や落胆など無視し、全 思風の手を引っぱった。
──いったい、この小さな体のどこにあんなにたくさん入るんだろうか? ……まあ、小猫が幸せそうだし。いいかな。
一にも二にも、優先すべきは華 閻李である。彼のそれは絶対的なものであり、決して揺るがぬ心といえた。
楽しそうに村を駆け回る子供の背に、ある種の決意を向ける。
唯一無二な存在は華 閻李であること。命を投げ出してでも護り、寂しさを与えてはならぬ者。そして与えるのは惜しみない愛である。
幼くて頼りない背中に、彼は改めて誓いをたてた。




