黄と黒、そして王
現皇帝である魏 宇沢は、この友中関で起きた事件に関わっている。
爛 春犂が集めたこの情報は、全 思風の瞳に焔を灯させた。くつくつとした笑みが、静かな関所の中を走る。
淡々と、呼吸すらも知らしめんと、男を見張った。
「……逃げた者たちは皆、怯えておった。夜も眠れぬ者、飯を喉に通す事すらできない者もいた。そんな彼らに聞き出すのは憚れたが……」
眠る美しい子供、華 閻李を間に挟み、彼は横に座る。前方にある薪を見据え、重たい口を開いていった。
「彼らは、こう言っていた。゛殭屍の群れに襲われた前日、白い服を着た者たちが、この関所に訪れた。゛らしい」
その者たちいわく、友中関に貼られている札は効力を喪っているとのこと。國の命により、札の全てを貼り変える作業をするとのことだった。
そして彼らは最後にこう告げる。
「゛これは魏 宇沢様、お達しの命である゛と」
後は知っての通り、この関所が殭屍の群れと化した。
そしてもうひとつ。白い服の者たちは皆、一様に、白い勾玉を首にかけていたのとこと。
ここまで一欠片も溢さず伝えた爛 春犂は、ふーと呼吸を整えた。
「……なるほどねえ、やっぱここでも絡んでくるんだ。あの白い連中は。小猫に、どうやって説明しようかなあ」
うーんと、本気で困ってしまう。
白き服を纏いし者たち。彼らは同色の勾玉を手にし、國の内部で暗躍している。
かつて枌洋の村という、地があった。そこはどの地よりも陰の気が強かった。けれど村人はそこから離れようとはせず、地へと留まる。結果として村人全員が殭屍を造り出す実験体として使われ、村そのものは滅んでしまった。
あの地で全 思風が首を刎ねた者も、白き者たちの一人だった。
「私が奴らの動きを知ったのは、あの村の出来事が切っかけだ。小猫がいなかったら、私はあの村を無視し続けていたと思う」
「あの村と云うと、枌洋の村か?」
爛 春犂の問いに答えんと、彼は頷く。
隣で気持ちよさそうに眠る子供の髪を掬い、指に絡みつけて遊んだ。整った顔で、これでもかと柔らかく笑む。
すると華 閻李が寝返りをうった。
「……あの村の一件で、小猫の心は深く傷ついた。もちろん成長にも繋がったとは思うけど、それでも哀しみの方が強かったと思う」
華 閻李という子供の優しさを知る、いい機会でもあった。けれどそれを云ってしまうと、子供に嫌われるのは明白だった。
他者の不幸の上に成り立つ全 思風の幸せなど、この子供は望んではいないはず。
性根の腐った大人たちのなかで生き続けたにしては、とても純粋ではなかろうか。
全 思風はある意味で心配になると、愚痴のようなものを溢した。そして徐に、ある山の名前を口にする。
「ねえ、爛 春犂。どうして夔山の麓にある村なのに、あそこの人たちは逃げなかったのか。不思議に思った事は?」
「……あるな。というか、今もそれが疑問のままだ」
爛 春犂からは、威厳のある返答がされた。貫禄すら見られる眉をよせ、全 思風の答えを待つ。
「昔、夔山には冥界へ通じる門があった。麓の村に住む人々は夔山を監視するように、その血に植えつけられていたんだ」
人が冥界に迷いこまぬよう、扉から悪しき存在が出てこないために。先祖代々、今に至るまでに、その血に宿命となって流れていたのだ。
村を出ようとする者もいたはずである。けれど何かしらの理由で村に戻ってきてしまい、枌洋からは離れることができなかった。
しかしそれは宿命というには重いため、すでに呪いと化していたのではないだろうか。
全 思風は他人事のように語った。
それもそのはずだ。彼にとって村人など眼中にはない。ただ、華 閻李という美しい少年が気にかけていたから、村を救うという手段へ出たにすぎなかったのだ。
彼はどこまでも華 閻李中心であり、子供だけしか見えていないのである。それを恥ずかしげもなく口にするがゆえに、厄介な性格ともいえた。
「……全 思風殿、貴殿の頭の中には、閻李しかおらんのか?」
「いないよ。当たり前じゃない!」
さらっと言いきる。
爛 春犂がどれだけ頭を抱えたところで、彼の意見は揺るぎはしなかった。
「あー……こほんっ! 夔山の近くにあった枌洋の村についての事はわかった。しかし問題はそこではなく、白き者たちだ」
これ以上は聞くに耐えないと、爛 春犂からは諦めのため息が落とされた。
全 思風は相づちをうち、笑顔でそうだねと話を切り替える。
「……それで爛 春犂、今の皇帝はそんなに頼りないのかい?」
立場は違えど、冥界の王という地位に彼はいた。同じ王でありながら、頼りない存在とはどんなものか。子供のように目を輝かせて尋ねた。
「残念ながらな。先ほど申したとおり、魏 宇沢様は政について、関わりを持ってはおらぬ」
「うん? じゃあ、この國を動かしているのは誰なわけ?」
きょとんとしながら、両目を瞬く。
爛 春犂は、ふっと瞼を閉じた。
「今は四夫人だと聞く。正妻の玉 紅明様は体が弱くてな。息子である魏 宇沢様を生んだ後に、還らぬ人となった」
正妻が亡くなり、失意の底にいた魏 宇沢を救ったのが四夫人である。彼女たちはそれぞれが違う性格ではあるが、正妻の次に権力を持っていた。
そんな彼女たちのなかの誰かが、今の國を動かしているという噂もある。また、彼女たちはそれぞれで正妻の座を狙っているという話もあった。
「うっわあ、何それ……女、こわっ!」
全 思風は身震いする。
珍しく青ざめた表情をしながら、眠っている華 閻李に癒しを求めた。子供の髪をくるくると自身の指に巻きつけ、香りを楽しむ。
「んー、やっぱり小猫の薫りは落ち着くね」
引き気味な爛 春犂を無視し、己のやりたいように行動した。ふと、彼の脳裏に、ある疑問が浮かぶ。子供の細い銀髪を指に絡ませたまま、爛 春犂へと見向いた。
「あれ? あんた確か、生き残った人たちは魏 宇沢の名を口にしてたって言ってたよね? でもそいつは政とかには関わっていなかったんだよね? それなのに名前出てくるのっておかしくない?」
表では気の弱い影のような存在として振る舞い、うらでは暗躍をしているというのか。ならばその男は、非常に食わせ者ではなかろうか。
そう、問うた。
瞬間、爛 春犂は首を左右にふって否定する。
「いったい何が起きているのかまではわからぬが、これだけは言えよう。誰かが魏 宇沢様の名を語っている可能性がある、と」
信頼ではなく、信じてみたいのだと、柔らかく口述した。




