王として
翌朝、逃げのびた人々の行方を探していた爛 春犂が友中関に戻ってきた。
「──そうか。そのような事があったのか。なるほどな」
合点がいったと、焔を前にして頷く。泣きやまぬ子供の頭に手を乗せ、頬に伝う雫を布で拭いた。
華 閻李はびっくりして顔をあげる。けれど全 思風が子供への独占欲を顕にしながら、眼前の男を睨んだ。
「気安く小猫に触れないでもらえるかな? この子は私のなんだから」
恥ずかしげもなく告げる言葉とともに、哀しみに暮れる子供の肩を抱く。
華 閻李は涙を堪えては、再び泣いた。彼に優しく抱きよせられながら、嗚咽を洩らす。
「……全 思風殿、あなたはどうしてそう……ああ、もうよい」
あきれしか思いつかないらしく、背中を曲げてはあきれを含む嘆息をした。
そんな彼らは関所の中区で、三人揃って薪を炊いている。革鎧を着ていた男をあの世へと送り届けるため、静かに焔を眺めていた。
バチバチと音をたて、焔は空高く煙を巻き上げる。数えきれぬほどの紙銭が、別れのときを惜しむように舞った。
「で? 何か成果はあったわけ?」
紙銭を眺めながら、全 思風が喧嘩腰に問う。抱きよせていた子供を両腕でギュッとし、暖かさを味わった。華 閻李の頭を、顎でぐりぐりとする。
子供に全力で甘えながらも、視線は目の前の男に向けられていた。
「……うむ。成果はあった。ここから数公里離れたところに、小さな集落がある。そこに避難しておったよ」
数名ではあったものの、生き証人がいる。それだけでも事件の手がかりになるのではと、爛 春犂は物語った。
全 思風は一度子供を離し、彼へと視線を走らせる。
「生き証人ねえ。確かに何か答えてくれたら嬉しいけどさ……誰が、この事態を引き起こしたのかは知らないんじゃないの?」
意味ないよね? と、嫌味たらたらにほくそ笑んだ。
爛 春犂の眉はピクリと動く。額に血管を浮かび上がらせ、これでもかというほどに彼と距離を縮めた。
全 思風は自身よりも少し低い伸長の男を見下ろし、両目に嫌味を乗せる。人を食ったような笑みを片口を上げ、にまりとした。鼻で笑いながら爛 春犂を挑発する。
「あんた、何のために探しに行ったのさ? あーあ、本当に仙人たちは無能の集まりだよね?」
「……なに?」
爛 春犂の血圧が上がってしまうのではないか。そう思えるぐらいには、表情が強ばっていた。
「まあ、君たち仙人が役にたたないのは、今に始まった事じゃないけどね」
まるで、それを見てきたかのような口振りである。そんな彼の怒涛と名のつく張り声は、さらに加速していった。
しまいには、あーでもないこーでもないと、沸点の低さすら伺える言葉で攻めたてていく。
それに乗せられた爛 春犂は、ついついカッとなってしまった。怒りに身を任せながら全 思風の足を踏みつける。
当然、全 思風は足に痛みを伴った。声にならぬ声で、その場で飛びはねる。しばらくすると直近にいる彼を睨んだ。
「何て事するのさ!? 子供か、あんたは!?」
「全 思風殿が、先に挑発したではないか!」
「はあ!? 当たり前の事、言っただけでしょうが!」
「一言余計だというのに気づかぬとは……いやはや、それで大人とはあきれる」
「……あんたの曲がった根性ほどじゃないよ」
ふたりは本題そっちのけで乾いた笑いをする。しまいには互いの手を掴み、取っ組み合いを始めてしまった。
馬鹿や阿呆といった直接的な物言いはない。けれどそれに近いものが、何個もこの場を飛び交う。
そんなふたりの横で、風に靡く銀の髪をした子供がいた。大きなあくびをし、足元にいる仔猫を抱く。
夜更かしが体に祟ったのだろう。うつらうつらと、立っているのがやっとな状態になっていた。
それにいち早く気づいたのは他ならぬ全 思風である。彼は爛 春犂弄りをやめ、急いで子供を横抱きにした。
子供を見れば、大きな目がとろんとしてしまっている。閉じかけの瞼とともに首までもがうつら、うつら、としていた。
「……ああ、ごめんね小猫、私が側についていてあげるから、ゆっくりとお休み」
爛 春犂と対峙するときと正反対な、優しい声音を響かせる。
大切な子供を労り、慈しむ。それを惜しげもなく晒けだし、ふふっと微笑した。
数秒もたたぬ内に、子供からは規則正しい寝息が聞こえてくる。
比較的汚れが少ない場所を選び、そこに寝かせた。連れている仔猫こと白虎の首根っこを掴み、一緒に寝てあげてほしいと白い獣へ頼む。
白虎は眠る子供の枕として、自らの身を差しだした。
──私の服を掛け布団にしたかったけど、微妙に濡れてるんだよね。そんなのかけてしまったら小猫が風邪をひくし、気持ち悪さで起きてしまう。
何をしても華 閻李優先な彼であったが、今回ばかりは水を吸った服を渡すことができなかった。それを悔やみつつ、爛 春犂へと向き直る。
「──爛 春犂。あんたが掴んで来た情報、他にもあるんだろう?」
自信に満ちた笑みを表情とし、挑発的なまでに相手を試した。それは憎らしいほどの微笑みである。
爛 春犂は驚いた様子で両目を丸くした。彼の言動につられてか、反射的に口角を上げる。
「いやはや、お見それ致した。さすがは冥界の王だ」
お手本のような、きれいなお辞儀をした。次の瞬間──疾走を加えた動きで剣を抜く。
敵意か。それとも、違う何かか……
そのどちらともとれる瞳で、全 思風へと剣を振り下ろた。
けれど全 思風は逃げることをせず、見透かす眼差しをまっすぐ送る。
直後、男の剣は眼前でピタリと止まった。爛 春犂自ら、剣を止めたのだ。
「……なぜ、避けない?」
片手に剣、もう一方では札を手にしている。札からは、僅かに静電気のようなものがでていた。
全 思風は少しだけ乱れた三つ編みを見、差し迫る男へと視線を走らせる。首を左右にふってため息をつき、はははと小さく笑った。
「いや、だってあんた。私を殺す気、なかっだろう? あんたの本気がいかほどかは知らないけど、動きがあまりにも遅かったからね」
これは信頼という言葉ではない。確信という、ただの自信に満ちた発言といえた。
今度は、爛 春犂がため息を吐く番となる。怒りもしなければ笑くことすらない。
すっと力を抜き、剣をしまった。バチバチという小さな音を鳴らす札をぐしゃり。握り潰した後に破り捨てた。
背筋を伸ばし、彼へと頭を下げる。
「まずは、あなたへ刃を向けてしまった事。それを詫びます」
丁寧、それでいて洗練された釈だ。
全 思風は気にしていないと言い、彼の肩へ手を置く。
「それで? 教えてくれないかい? 私を冥界の王と知りながら、何であんな事したのさ?」
理由がしりたいなと、眠っている華 閻李の隣に腰をおろした。子供の安らかな寝息に頬を緩ませ、爛 春犂という男を凝視する。
「……この國は、先代王の魏 曹丕様が政を行うまではよかった。しかし皇帝が息子へと代わり、何もかもがよくない方向へと進んでいる」
「息子って確か、魏 宇沢だっけ?」
爛 春犂は静かに頷いた。
「そうだ。魏 宇沢様だ。しかし彼は、政を自身で行う事をしない。それどころか、他者に全て任せている状態だ」
「……父親が偉大すぎて、息子が霞んでるって聞いたねえ」
情けないなあと、ここにはいない魏 宇沢という者について残念がる。けれどそんな人は普通にいるのではないかと、彼へ問うた。
爛 春犂は自身の上着を脱ぎ、近くで眠る子供へとそっとかける。白い服だけになった彼は、存外筋肉質だとわかるほどに体格がよかった。
「──どうにも今回の事件の裏には、皇族が関わっているようでな。逃げ延びた者たちに聞いたところ……魏 宇沢様の名があがった」
言いにくそうにしながらも、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
その発言に、全 思風の眉がピクリと動いた。細くしめられた両目は鋭くなる。黒い瞳は徐々に朱へと染まっていった。




