暗雲ありきの関所
華 閻李は細長い筒のようなものを握っていた。右手で筒の下腹を持ち、左手は輪になっている部分に人差し指を引っかけている。
「……小猫、それは?」
驚きながら質問をした。集めた枝を地に置き、華 閻李の前に立った。いつものように優しい笑みを子供へと落とす。
華 閻李は「ああ、これ?」と笑顔を浮かべた。
「僕にもよくわからないんだ。去年だったかな? 花で遊んでたら偶然できて……」
「使い方は知っているのかい?」
「うん、知ってるよ。まあ、最初は戸惑ったけど……」
苦く笑み、筒を垂直に構える。
全 思風は何をするのかと小首を傾げた。爛 春犂も同様に何が始まるのかと疑問を浮かべているようだ。
「これはね……こう、するんだよ」
左の指を添えていた輪っかを、ぐっと強く押す。すると筒の出口らしき部分から何かが飛び出した。全 思風たちの間を掠めて後ろ雑草へと向かい、瞬時にドサッという小さな音が鳴る。
爛 春犂は何事かと雑草をかき分けた。するとそこには、土気色の肌をした殭屍が倒れている。しかも頭部から出血し、痙攣する間もなく亡くなっているかのようだった。
「し、瞬殺……あそこに殭屍がいたのは知ってたけど……小猫、凄いね」
彼は冥界の王である。それがゆえに、死者の気配には誰よりも敏感だ。当然、この場にいる爛 春犂や華 閻李よりも優れた能力を持っている。
そんな彼にとって殭屍という片指で跳ね飛ばせる存在など、気にもとめる者ではなかったのだ。だからこそ殭屍が近くにいても動かず、平気で喋る。
その証拠に剣に手を置いて戦闘態勢に入る爛 春犂に対し、彼はつまらなさそうに欠伸をかくだけであった。
そんな全 思風が手を差し伸べるのは華 閻李のみ。
雑草に隠れていた殭屍を的確に射抜き、見事消滅させた。そんな子供へ慈しみの笑みを送り、何度も拍手をする。
「凄いよ小猫! あんな見えにくい場所にいる敵の脳を撃ち抜くなんて、早々出来る事じゃないよ!?」
華 閻李の小さな体をぎゅうっと抱きしめ、ひたすら頬をムニムニした。
体を離して子供が握る筒のような武器を見る。細長い筒のようなそれは全体的に白かった。ところどころに花の模様が拵えてあり、微かに薔薇の薫りがする。
触れてみれば鉄の冷たさがあるが、それほど重たくはない。
「それで、これは何て名前なんだい?」
視線を筒のようなものに向けたまま問うた。
「えっとね。去年だったかに、黄家の旦那様の部屋にあっあ文献を見たんだ。そこには確か霊塊死嵓って書いてあったよ」
「……霊魂はわかるけど、死嵓? 何だか、変わった名前の武器だね。それに、構造もかなり複雑そうだ」
どうなっているんだろうかと、筒──霊塊死嵓──の穴をのぞいてみる。けれどそこには暗闇しかなく、何も見えなった。
「あのね? 名前の由来とかは僕にはわからないけど、使い方が記されてたんだ」
霊塊死嵓は弓よりも速く動き、殺傷力はそれの非ではない。目にも止まらぬ速さで打ち出し、相手を瞬時に抹消する。遠距離からの射撃を得意とするとても強力な武器であった。
しかしその反面、反動が強く出てしまう。引き金を引いた瞬間、体が後ろに押し出されてしまうのだ。その衝撃により、目標が外れてしまうこともある。
弓同様に高い集中力、そして命中率を必要とした。
華 閻李は怒られるかなと、しどろもどろに語る。爛 春犂の反応が怖いようで、全 思風の後ろに隠れてしまった。
全 思風は甘えてくる子供に酔いしれ、爛 春犂は怖がられたことにショックを受ける。
「……ふふ。大丈夫だよ小猫、このおっさんが怒ったとしても、全然怖くない。私が全力で守ってあげるよ」
華 閻李の両脇に手を入れた。そして軽々と持ち上げ、あやすように背中を優しく撫でる。
いつもと変わらぬ優しい声音で告げる傍ら、雑草の中を凝視した。その瞳は深紅で、焔のように前方を注視している。
すると草むらかが大きく揺れた。かと思えば、そこから無数の殭屍が姿を現す。
爛 春犂は剣を抜き、華 閻李は霊塊死嵓を握った。
けれど……
『──消えろ』
全 思風のくぐもった声が轟いた瞬間、彼らは肩をびくつかせる。全身を震わせたのち、飛びはねながらどこかへと行ってしまった。
驚く二人をよそに、全 思風は何事もなかったかのように華 閻李を降ろす。
拾ってきた枝を一ヶ所に集め、右手の人差し指を向けた。するとそこから蒼い焔が出現し、枝へと燃え移る。
「奴らはここには近づかないだろうからね。ご飯にでもしようか?」
殭屍を目力だけで追い払うという異業を見せならがも、満面の笑みで野宿の準備を始めた。
華 閻李と爛 春犂は呆気にとられるが、互いの顔を見合って苦笑いをした。
明かりが必要なほどに暗くなった夜、全 思風たちは食事を済ませ、それぞれが好きなことをしていた。
爛 春犂は持ち物の札などを確認している。
華 閻李はご飯が終わったにも関わらず、未だにゴマ団子やサンザシ飴を食べていた。
胡座をかく全 思風は膝の上に子供を乗せ、頬を全力で緩ませている。
「相変わらず、小猫のお腹は無限だね?」
ご飯をたらふく食べた後だというのに、次々とお菓子を平らげていく。そんな華 閻李を見つめ、かわいいなあと微笑んだ。
けれどそんな幸せの時間というのは、長く続くものではない。焚き火の向こう側にいる爛 春犂が立ち上がり、二人の隣に座った。彼は全 思風たちを睨むことはしなかったが、訝しげに眉根を寄せている。
「──全 思風殿は、本当に閻李の事が好きなのだな?」
声に諦めの色が含まれていた。
「当たり前だよ……それで何?」
全 思風は無表情に近いかたちで爛 春犂へと向く。
爛 春犂は頷き、東の方角を示した。指の先には肉眼でも見えるほどに大きな砦がある。
「ひとつ、気になる事がある。ここは関所が近いはずだ。それなのに殭屍で溢れているというのは、些か不自然だ」
國の各地にある関所には、一種の結果が張ってあった。それは殭屍や妖怪など、人ならざる者たちを寄せつけない効果を持っている。範囲は関所によって異なるものの、それでもここまで建物が見える距離ならば効果は期待できていた。
しかし肝心の殭屍が彷徨いている以上、それは意味すらない。
そのことに疑問を持ち、全 思風へと問いかけた。
全 思風は確かにと、顎に手を当てる。膝の上に乗せていた華 閻李を抱きあげ、自身も起き上がった。
「……何か不測の事態が起きた可能性はあるね。一応、見に行ってみようか」
爛 春犂にではなく、華 閻李に了承を得る。華 閻李は真剣な面持ちで首を縦に動かした。
□ □ □ ■ ■ ■
夜営地からほど近い場所にある関所は、灰色の建物だった。門の上は三階建てになっており、等間隔に提灯がぶら下がっている。
門には[友中関]という看板があった。
「この友中関は、こちら側……蘇錫市のある方角が黄族の治める土地となっている。関所を越えた向こう側は黒族の土地だ。謂わばここは領地の境でもあるな」
爛 春犂は淡々と説明しながら先頭を歩く。
「しかしおかしい……関所であるならば、門番がいてもいいはずだ」
腰にかけた剣の柄を握った。警戒しろと、全 思風たちにも伝える。
全 思風たちは了承し、緊張感を保ちながら中へと踏み入れた。直後、三人を強烈なまでの血生臭さが襲う。彼らは漢服の袖で鼻を隠し、両目を見張った。
地面を埋めつくすは朱き水溜まり。そして……
無数の人々の亡骸であった。




