闇に蠢(うごめ)く皇帝
禿王家の者たちは、代々不慮の死を遂げていた。
初代皇帝は行方不明のままに、遺体すら見つからず。二代目皇帝は毒殺。そして三代目皇帝魏 曹丕は、権力争いの最中に病気で命を落としたとされていた。
今の皇帝はその息子で、幼くして帝位につく。暴君ではないけれど、尊敬されるほどの者ではなかった。どちらかというと、やりたくない皇帝を無理やりさせられたような……のんべんだらりとした、自由人と言われている。
「私は先代皇帝、魏 曹丕様が生きていた頃、ある存在を探しに黄族へと潜りこんだのだ」
とどのつまり、爛 春犂は黄族ではない。黄族の格好をしているのは、彼らの信頼を得るためであると告白した。
「……先生は、いつから黄族に?」
全 思風に抱擁され、落ち着いたのだろう。華 閻李は涙を拭いて爛 春犂へと向き合った。
爛 春犂は一度瞼を閉じる。そしてゆっくりと開き、懐から一冊の帳面を取り出した。
その帳面の表紙には[禿王朝の歴史]と書かれている。
「これには、初代皇帝から今に至るまでの名が記されている」
中身は機密事項なため見せることはできないが、これを元に目的を遂行しているのだと口述した。
「私の目的はいくつかある。その内の二つは他者に伝えても構わぬと言われている」
帳面を引っこめる。
淡々と、それでいて言葉の全てがハッキリと聞き取れるほどによく通る声で告げていった。
「お前たちも知っての通り、國の各地で殭屍による事件が勃発している。勅命の一つは、それの原因を突き止める事」
停まっている馬車は風によって揺られる。静寂だけが包む空間で馬の鳴き声が聞こえ、爛 春犂の頬は少しばかりゆるんだ。視線も馬車の前方に向けられており、緊張の糸がほどけていくのがわかる。
華 閻李は彼の表情の変化に小首を傾げ、美しく煌めく銀髪をさらりと流した。爛 春犂を凝視し、彼の次なる言葉を待つ。しかし早く知りたいという欲求が出てしまったようで、華 閻李はそわそわしながら両目に期待を乗せた。
「それじゃあ先生は、黄族の何かを探るために潜入してたって事ですか? 殭屍事件に黄族の誰かが関わっている。そう思っているんですか?」
子供特有の好奇心が成せる技か。ズバズバと質問をする。
「……閻李、お前は答えにくい事を平気で聞く子だな」
「あ、す、すみません」
華 閻李は礼儀を思いだし、慌てて頭を下げた。けれど全 思風がその頭を優しく掴み、半ば無理やり起こす。そして膝の上に華 閻李を乗せ、ギュッと抱きしめた。
「ちょっと思! 今僕は先生と話をし……はっ!」
頬を膨らませ表情をコロコロと変える。しかし直後、全 思風の手にある物を見て手を伸ばした。
それは真っ赤な林檎を串に刺し、表面を飴で塗ったお菓子──サンザシ飴──である。それが五本もあり、華 閻李の興味は完全に飴へと向けられた。
「小猫、ほら。サンザシ飴舐めるだろ? たくさんあるからね。それから月餅もあるよ」
ほらと、漢服の袖から無限にお菓子を取り出していく。
華 閻李は両目をキラキラとさせ、嬉しそうに頬張った。
「……んんっ! 可愛い! やっぱり小猫は可愛いね!」
人目も憚らず、華 閻李を猫可愛がる。ふと、眼前にいる爛 春犂からの視線を覚えた。
二人が彼を注視すれば、爛 春犂はあきれた様子で嘆息している。眉間にシワを寄せ、額に血管が浮かんでいた。ダンッと床を叩き、低い声で腹立ちを顕にする。
「餌づけするではないわ! この狭い空間で、私を無視して二人だけの世界を作るな!」
怒りに身を任せた言葉を放つ。しばらくすると怒りは消え失せたようで、普段通りの落ち着きを取り戻した。軽く咳払いし、話の軌道修正をする。
真剣な面持ちになり、威厳を呼吸に乗せた。
「……先ほど閻李が言っていた事は、半分当たっている。私は先代皇帝の命を受け、黄族に潜入している。その理由は、黄族の領地内で起きている殭屍事件。それは黄族の誰かが一枚絡んでいるのではないかと、先代皇帝は考えていたからだ」
いつから黄族がそのような道に走ったのか。それは定かではなかった。けれど情報によれば、彼らの中に白き者たちが混じっている可能性があるとのこと。
爛 春犂はそれを探るため黄族に潜伏したのだと告げた。
「……あれ? でも先生はさっき、僕の意見に半分は賛同してましたよね? 残り半分は?」
もっもっと、栗鼠のように口いっぱいにお菓子を入れる華 閻李は、ふとした疑問にたどり着く。
爛 春犂は頷き、二人を見張った。
「命令通りとするならば、黄族を疑い続けるだろう。しかし私は、そうではないと思っている」
「……?」
これには華 閻李だけでなく、全 思風も頭を抱える。
爛 春犂は彼らのことなど気にせず、残り半分の答え合わせを行った。
「殭屍事件は、黄族の手に余る。血晶石のようなものをどこから調達する? あれを手に入れるには何が必要か。そしてどの程度金が動くのか。それを調べれば、自ずと黄族では無理だと証明できようぞ」
黄族は金持ちである。白、黒、黄。この三族の中でも飛び抜けて、金の所有が多かった。
しかし記帳などを調べても、おかしな流れなどない。彼らが隠しているということも考えられたが、それは不可能なことだと口を酸っぱくして言った。
「大量の金が動く場合、皇帝へ伝えねばならん。毎月必ず査定が入り、横着などは無理な事だ」
この國は初代皇帝のときから、お金の流れに関してはかなり厳しとされている。いくら仙人や道士が住む場所とて、それの対象外になることはまずなかった。
「それ以前に黄族は臆病者の集まりだからな。彼らは裏工作などという事には向いておらぬよ」
「……あー……」
華 閻李は納得した様子で苦く笑う。
彼らはある意味では正直者の集まりだ。華 閻李を狙う黄 沐阳ですら、真っ向から進んでいく。暴走したりもするが、それでも裏で悪事を働くなどという腹は持ち合わせてはいないはずだ。
長い間黄族の家にいた華 閻李だからこそ、彼らの危ういけれど正面から向かってくる姿勢を心得ている。
「え? でもそうなると先生は、誰が裏で糸を牽いてるって思ってるんですか?」
「黄族に関しては、あくまでも表向きしか知らぬ。もしかしたら裏で! という事も考えられる。しかし私は、他に気になっている者がいるのでな」
結局のところ、黄族の全てを鵜呑みにはしていなかった。真実かわかるまでは警戒は続けるのだと、吐露する。そして彼らよりも疑わしい者に目をつけたとも言った。
「……閻李、お前は初代皇帝の事をどこまで知っている?」
「え? 初代皇帝? えっと……」
突然何を言い出すのかと、首をこてんっとする。
「初代皇帝は死んだ。しかし、その遺体は見つかってはおらぬ」
神妙な顔つきで口外した。
「私はこう考えている。今、國を騒がせている殭屍事件の黒幕。それは行方のわからぬ初代皇帝なのではないか、と──」
太陽が出ていたはずの空は、いつの間にか厚い灰色の雲に覆われている。ゴロゴロと遠くの空から雷の音がし、今にも降りだしそうだった。




