白、そして黒き冥(やみ)
全 思風は屋根を伝いながら白服の男たちを追った。
下を見れば、街の人々が困惑した様子で道を塞いでいる。彼らは殭屍ではなく人間に戻っているようで、かなりの動揺が走っていた。
それを屋根上から確認していると、見知った男の姿を発見する。男は爛 春犂で、全 思風を見るなり屋根の上へと飛び乗った。
「──全 思風殿、そちらは終わったのか?」
「ああ、終わったよ。小猫は疲れてるみたいだから、安全な場所で休んでもらってる。それより……」
二人はざわつく人々を下に、逃げている白服の者たちを追いかける。ときには木々を利用し、あるときは提灯をぶら下げる太い糸に掴まり、壁を蹴りながら屋根へと登った。
前を逃げる数人の白服へ、全 思風は剣を投球する。しかし彼ら白服の者たちには、それぞれの剣で弾かれてしまった。
「……へえ、なかなかにやるね。でもさ?」
ふっと、片口に笑みを浮かべる。右の人差し指をくいっとあげた。
全 思風の剣は糸で操っているかのように空中に浮く。彼は気にすることなく、指先で空を斬った。剣は彼の言いつけを守るかのように、不規則な動きで白服たちを翻弄していく。
「剣操術か。全 思風殿は、仙術にも精通していたのか?」
爛 春犂は驚きつつ、自身も剣操術を繰りだした。
二人の剣操術は次々と白服の者たちを切り裂いていく。
「私は君たちのような仙人ではないよ。剣操術は霊力を剣にこめ、意のままに操る。ただそれができるのは、仙人や道士だけ。そのどちらでもない私が、どうやって剣操術を扱うのさ?」
淡々と。それでいて人を食ったような笑みをした。眼前にいる白服の男たちが倒れていくなか、彼は一番近くにいた者を蔑む。
爛 春犂は肩からため息をついた。一瞬で終わった白服討伐に物足りなさがあると、一言口にする。
全 思風を見、もう一度同じ質問をした。
「……違うよ、私は仙道じゃない。霊力ではなく、邪力ってやつを持ってる」
「邪力?」
聞き慣れぬ言葉だったようで、爛 春犂は首を右へと傾ける。
「……ああ、こっちじゃ邪力って呼ばないのかな? まあ、君たちの言葉で言うなら魔力みたいなものさ」
獲物である白服の男の襟を掴んだ。片手で持ち上げれば、ギリギリという音を忍ばせながら白服の体は宙に浮く。
「魔力だと!? あれは人が持つものではないはず。それでは貴殿は……」
人ならざる者かと、爛 春犂に問われた。
全 思風は否定するどころか、肯定するかのように微笑む。
「まあ、今さら隠す事でもないしね。小猫にも教えるつもりだったし、いいかなぁ?」
他人事のように語った。飄々とした態度で、うーんと考えこむ。やがてピンときたのか「そうだ!」と、楽しそうに口を動かした。
「私の正体を教える代わりに、小猫の汚名を晴らしてあげてよ」
黄族の屋敷を追い出された理由を、しっかりと黄家の者たちに伝えること。これが交換条件だった。
爛 春犂は驚愕する。
正体を明かすということは自らを危険に晒すも同じ。命すら狙われる可能性もあるのだ。それを吐き出してでも、華 閻李の名誉を守る。
これかどんなに無謀で、条件として成り立たぬほどに価値が違うのか。それをわかっているのかと、静かに問うた。
「全 思風殿、なぜそこまでしてあの子に拘る?」
はー、と盛大なため息を溢す。
「うん? 理由なんて簡単さ。私はあの子が大事なんだ。この世界が滅びようとも、そんなのはどうでもいい。ただ一つ」
華 閻李が笑顔を浮かべ、幸せならばそれでいい。
そう語る全 思風の瞳はいつになく穏やかで、慈愛にすら満ちていた。
「……さて、と。くだらない話は終わりにしようか。私の正体だったね? 簡単だ──」
転瞬、白服の男が突如苦痛に悶え始める。男の周囲には漆黒よりも薄く、濡羽色よりも濃い渦が具現化した。それは彼から流れているもので、夕陽よりも朱い瞳を強く魅せる。
首を掴まれている白服も、他の者たちですら、この状況に恐怖していた。体が動かず、ただ、悲鳴をあげている。
爛 春犂は彼の変わり様に怯えることはなかった。けれど拳が震えている。額や首、背中にまで、どっとした汗が流れていた。
「全 思風殿!? そなたはいったい……」
「私は……」
瞬きをする度に、彼の長いまつ毛から影が生まれる。黒くて厚い髪が、ゆらり、またゆらりと、焔のように揺らめいた。形のよい唇がゆっくりと動く。
「冥界の王だ──」
□ □ □ ■ ■ ■
蘇錫市を巻きこんだ殭屍事件から一夜明けた街は、大混乱に陥っていた。
幸いなことに殭屍にされた人々は皆、人間へと戻っている。正攻法で行われた術ではなかったこともあり、爛 春犂一人の力でも人間へと戻すことができた。
しかし殭屍化していたときのことは記憶にない様子。無事だった者たちと、何があったのかの答え合わせに躍起になっていた。
「皆、元に戻ってよかった」
そんな街の騒ぎを、華 閻李は宿の窓から眺める。その手には月餅が握られており、もっもっと食べた。
足元には躑躅がおり、白虎とおやつの取り合いをしている。
「ふふ、二匹とも可愛い」
お互いが短い肢を使って、取っ組み合いの喧嘩を始めた。けれど華 閻李は止めることをせず、二匹の小動物を見守る。
「──ただいま、小猫」
和やかで優しい時間を尻目に、部屋の扉が開いた。そこから現れたのは、たくさんの袋を持った全 思風である。彼は袋の中身を机の上にぶちまけた。
「うわあー! 食べ物がいっぱいだあ!」
小さな林檎が串刺しになり、表面に光沢のあるお菓子のサンザシ飴。焼いた皮から芳ばしい香り漂う餃子、焼売など。大きな木箱に詰められた炒飯もあり、主食からおやつまで。選びたい放題あった。
「思、これどうしたの!?」
華 閻李の視線は、机の上にある食べ物へと注がれている。両目をキラキラとさせ、匂いを嗅ぎつけた二匹の動物と一緒になって喜んだ。
「ほら、街は今あんな状態だろう? 出かけるのは無理だから、今日は大人しく宿屋にいようって話しになってね。そのための食材だよ」
華 閻李を手招きし、膝の上に乗るように懇願する。
華 閻李は警戒心など何もなかった。むしろそれを当たり前のように受け入れ、ちょこんと彼の膝に腰かける。見上げた先にいる全 思風と目が合えば、にっこりと微笑まれた。
「街の人たち、大丈夫なのかな?」
サンザシ飴を舐めた。飴はとても甘く、舌で堪能するたびに口の中に拡がっていく。
「ああ、それは心配ないよ。爛 春犂が説明しているみたいだから。彼は黄族の外でも有名だからね」
仙人であり、かなりの地位にいる爛 春犂の言葉を信じる者は少なくない。そんな彼だからこそ説明役は適任だった。
「……確かにね。ぽっと出の僕らが言うよりは信じてくれるだろうね」
サンザシ飴を食べ終え、今度は炒飯へと手を伸ばす。ご飯の柔らかさと卵のふわふわ具合。胡椒や塩といった調味料が食欲をそそる。
「それよりも思、白服……白氏が関わってたって本当なの?」
「あ、う、うん。それは、間違いない、けど……」
どうにも歯切れが悪い。机の上を凝望しながら、顔色を悪くしていく。しまいには口を押さえ、うぷっと、今にも吐きそうなほどに青ざめていた。
「どうしたの?」
「相変わらず、小猫の胃袋は無限だよね? 机の上に置いたやつは明日までの分だよ。しかも三人分」
底を知らない華 閻李の胃袋に絶句しながらも気を取り直す。ううと小さな吐き気に耐えながら、白氏について伝えた。
「小猫、街の裏で関わってたのは彼らだ。これでハッキリした。奴らは動き出したんだ」
二人は肩から息を吐き、雲ひとつない青空を目に入れる。
華 閻李はどこまでも続く青に、眩しさを覚えた。
──めんどうなことにならなきゃいいけど。そもそも白氏って、どういった人たちなんだろう?
白氏という、語ってはならぬ者たち。彼らについて今一度調べる必要があるなと、華 閻李は冬の空を眺めた。




