捕らわれた花
帥
お前など、固有を指す。
全 思風は自らの鼻を疑った。
彼は死者と生者、そのどちらもを嗅ぎわける能力に自信を持っている。それは間違えるはずがないという絶対的な自信であった。
──私は冥界の王だ。その私を騙せる者など、そうそういないはず。その私をここまでコケにした奴、か。会ってみたいものだ。
そして殺してしまいたい。そう願った。背景にあるものが何にせよ、大切な子を奪われたのである。冥界やこことは違う世界のことよりも、それが一番許せなかった。
「……爛 春犂、もしもあんたの言う通りなら、私たちは何を相手にしている? そして、何に馬鹿にされた?」
死者を統べる王としての怒りは凄まじく、周囲に強烈な突風を撒き散らす。
笑う唇の裏にあるのは静寂という名の怒涛。漆黒を詰めた瞳は燦々と燃え盛る焔となった。
爛 春犂は彼の変化に驚きを隠せないのだろう。恐怖とは違う、凍えるまでに冷淡な表情を見せられグッと拳を握った。額から流れる汗は妓楼に集まる人々に対するものではない。全 思風という人物への警戒の現れだった。
それでも今だけは頼もしい味方である。唯一正常かつ、目的をともにする者であるのだと、全 思風に口を酸っぱくして伝えた。
「……ああ、そうだったね。私たちの目的はそれだった」
全 思風の瞳は徐々に落ち着きを取り戻していく。ふーと深呼吸をし、爛 春犂を見やった。
爛 春犂は心の底から肩を落としている。
「すまない爛 春犂、どうやら私は、自分が思う以上に嫉妬深いらしい」
独占欲の塊であることを自白した。華 閻李という少年を奪われたことへの怒りに、気が狂いそうだと苦く笑む。
「……全 思風殿、なぜそこまでして、閻李に拘る? 何が、あなたをそうさせるのだ?」
「さあ、ね。それは私以外が知っても理解はできないだろうさ」
爛 春犂の言葉の端々には、全 思風の正体を探るような何かが見受けられた。けれど彼は口を固くし、瞳に緊張を走らせる。
眼前を眺め、事の成り行きを見守った──
集められた人々の目は虚ろだ。どこを見ているのかすらわからない。人としての好奇心も封印され、なにかを思考することすら許されない状況となっていた。しかしそのことに文句を言う者はここにはいない。操られ、意識そのものを封じられている者しかいないからだ。
全 思風は彼らの中を、くまなく目で探る。しかし……
──おかしい。小猫の姿がない。あの子は銀髪だから、かなり目立つはず。それなのに……
どうして見当たらないのか。全 思風のなかでは、かつてないほどの焦りが生まれた。このまま飛び出して、人間たちの中に紛れてしまおうか。そんな考えさえ浮かんでくる。
けれど隣にいる爛 春犂に肩を掴まれ、首をふられてしまった。
全 思風の歯は、ギリリと音をたてる。腰にかけてある剣に手が伸びていった。
「──ふふ、随分と集まったものよのぉー」
そのときである。
集められた者たちに、艶のある声がかけられる。黒い外壁の建物である妓楼の奥から、コツコツと足音を響かせて誰かがやってきた。
黄緑色の薄い上着に、桃色の衣をつけた女だ。彼女の後ろには、白い布を被った数人の者が控えている。
その女の顔を見るなり、全 思風は驚愕した。なぜなら、彼女は死体としてあがっていた妓女なのである。
「※帥たち、喜ぶがよい。妾の贄となれる事を!」
かん高い金切り声をあげた。桃色の衣を宙へと放り投げれば、それはたちまち巨大な壁へと変わる。壁は集められた人々を囲み、キリキリと軋んでいった。人々をぎゅうぎゅう詰めにしていく。
操られた人間たちは悲鳴をあげることすらしなかった。倒れたり、互いの体がぶつかったり。散々に終わるだけであった。
けれどそんな彼らにある異変が訪れた。人々の顔や体など、あらゆる箇所から生気が抜けていってしまう。最終的には木乃伊のように干からびてしまった。
当然そうなってしまった人間たちは立っていられるわけもなく、次々と倒れてしまう。
「さあ! 妾の為に、その生気をくじゃれたもう!」
女は声高らかに叫んだ。そして自身の胸元の服を掴み、バッと前を広げる。
見えたのは女の美しい裸体……ではなく、穴の空いた体であった。彼女が狂ったように高笑いすれば、人間たちから煙のようなものが出る。それは女の胸部へと吸い上げられていった。
やがてそれが終わると女は服を着、満足そうに悦に入る。ただ、まだ足りないだの、もっと欲しいだのと、欲望を吐き続けていた。しばらくすると白い布で顔を隠す者たちが彼女に何かを囁く。
女は両目をにんまりと不気味に下げ、妓楼の奥へと戻っていってしまった。そのときに彼女からジャラジャラという、鎖のような音が木霊した。
一部始終を見ていた全 思風と爛 春犂は、すっと立ち上がる。動かぬ木乃伊と成り果てた人々を目下に、互いの顔を見合せていた。
「……驚いたね。事件の黒幕が、あの死体の女だったなんて。しかも貫匈人だったなんてね」
全 思風は肩にかかる三つ編みを払いのけ、めんどくさそうに言う。
「全 思風殿、その貫匈人とやらは、どのような妖怪か?」
「ん? ああ、あいつは……」
[貫匈人]
胸に穴が空いた妖怪。心臓は穴よりも下にあり、それを知らぬ者たちは多い。身分の高い者は穴に槍などを通し、他者へ自身を運ばせる。
これだけ聞くと何の害もないように思えるのだが、実際は違っていた。
この妖怪のなかには、今の女性のように胸の穴を嫌う者もいる。それを埋めるためには人間の霊力を必要とし、常に食らい続けていた。
「私も実物を見るのは初めてだけど……」
女の執念は怖いなと、全 思風は苦く笑う。
瞬間、木乃伊と化していた人々が起き上がった。青白い顔色と、虚ろな瞳。そして誰もが両腕を胸の位置まで上げていた。
「爛 春犂、話は後だ。殭屍化が始まった」
「……っそのようだな! 全 思風殿! ここは私が! 全 思風殿は閻李を!」
全 思風は強い。けれど人の体を成した相手では、その強さは仇となる。瞬時に殺し兼ねないからだ。
血晶石で殭屍になったのならば、彼の方が適任だろう。しかし今回はそうではない。殭屍になった行程からして、人へと戻す方法があるに違いなかった。
しかしそれは爛 春犂のように、仙術を使える者ではなくては不可能。
それを踏まえたうえで、互いの適材適所となる道を示したのだ。
全 思風もそれがわかっているようで、彼の援護を甘んじて受ける。ここはまかせたと頷き、塀の上を伝って妓楼へと侵入した。
□ □ □ ■ ■ ■
全 思風たちがそれぞれ別行動をとる少し前、妓楼のとある部屋の中で、あの女性がくつくつと嗤っていた。女は靴音とともに鎖の音を響かせて歩く。
嫌というほどに明るい部屋ではあったが、あちこちに拷問器具が置かれていた。なかには血のようなものがついている物もある。
「…………ああ、美しい。何という美しいお子じゃ」
女は壁に手を伸ばした。そこにある長い銀の糸を己の指に絡ませる。しかし髪はするりと指を抜け、床へと垂れていった。
「それにとても強い……極上の霊力を持っておる」
女の細い指が厭らしく這う。
その先にいるのは美しい銀の髪を持つ、端麗な顔立ちの少年──華 閻李──だ。彼は両腕を鎖に繋がれ、壁へと貼りつけられている。気を失っているようで、女に触られても動かなかった。
女は華 閻李の前髪を強く掴み、舌で自身の唇を舐める。それでも彼は意識を取り戻すことなく、眠り続けていた。




