操られた花
華 閻李を包む彼岸花は、少しずつ光を失っていく。根元から枯れ始め、花びらや雄しべたちがハラハラと崩れ落ちていった。けれど床につく前に消えていき、まるで幻でも見ているかのような錯覚に陥る。
同時に、白虎の前肢にあった血晶石が跡形もなく消滅するのを確認した。
「──全 思風よ。閻李はいったい何をした?」
なんとも言えぬ不思議な現象の場に居合わせた爛 春犂が問う。彼は全ての術を解除し、眠る華 閻李につき従う全 思風の肩に触れた。
「……正直な話、私にもわからない。だけど白虎の殭屍化を阻止し、血晶石そのものを消し去ったのは、間違いなく小猫だ」
本人の意識かどうかは別として、と語り加える。爛 春犂の手を軽く払い、感情のない瞳で凝視した。けれどすぐに興味の対象から外す。
「どんな理由があるにせよ、小猫が浄化した事に変わりはない」
爛 春犂に冷めた瞳を向けた。それは他言するなという証でもあった。
「……安心せい、全 思風殿。このような事、言いふらしはせぬ。言ったところで誰も信じてはくれまいて」
「話が早くて助かるよ」
全 思風の直前までの全てを敵視するような眼差しは消える。笑顔を浮かべ、暗黙の了解として、爛 春犂と握手を交わした。
しかしどちらも心の内を見せるようなことはしない。どちらかというと探りあっていた。笑顔ではあるけれど、二人の額には青筋が浮かんでいる。
「ところで爛 春犂、何で私の名前知ってるんだい?」
手を素早く外し、眠る華 閻李の床へ腰かけた。華 閻李の邪魔にならぬ程度に近づき、そっと指を伸ばす。
眠る端麗な顔立ちの少年の頬をつつけば、もちもちとした手触りだ。全 思風はその頬の柔さかと瑞々しさに、ふふっと微笑む。
ふと、華 閻李の長いまつ毛が動いた。
「小猫!?」
「……思、それに先生」
意識はハッキリとしてあるようで、受け答えもしっかりとしている。
全 思風が華 閻李の背中に手を回して、ゆっくりと起こしてあげた。
「思、猫君は……っ!?」
真っ先に心配するのは自身のことではなく他者。自分の身を犠牲にしてでも誰かを助けたい、守りたい。それが華 閻李という子供の抱えている力強さでもあった。けれどそれはときに、周囲の者たちの心を不安にさせる。
華 閻李を支える全 思風の、不安げな瞳に気づかないのが証拠だった。
隣で何か言いたそうにしてる爛 春犂もいるが、華 閻李はそんな大人たちには目もくれない。傷ついて鳴いている猫だけを探していた。
全 思風は人の気も知らないでと呟く。床の上、華 閻李の足元を指差した。
「……え? あ、猫君」
白虎の姿を見て落ち着いたのだろう。華 閻李は肩から崩れ、全 思風に再び支えられた。
「小猫、あまり無理はしない方がいい。それに、この白虎は大丈夫だよ」
「大丈夫って?」
大きな両目をぱちくりとさせ、小首をかしげる。
「白虎を蝕んでいた血晶石は消えたよ。もう、殭屍化する心配はない」
白虎に目をやれば、仔猫は大きなあくびをしていた。四本の肢を使ってうーんと背伸びし、かわいらしくその場に座る。長くふさふさな尻尾をふりふりとさせながら「みゃお」と、鳴いた。
華 閻李のもとへ、トテチ、トテチと歩いていく。そしてペロリと華 閻李の手を舐めた。
「……よかった。もう、大丈夫なんだね?」
白虎を抱っこし、もふもふとした毛を堪能する。
「あれ? でも、どうして元に戻ったの?」
いつの間にか頭の上に登っている蝙蝠の躑躅とともに、白虎を見下ろした。
しかし全 思風も、爛 春犂ですら答えることができない。どう説明すればいいのか、それに迷っていた。
真実を知りたいという華 閻李の瞳が、じっと二人を凝望する。
全 思風と爛 春犂は互いを見合い、頷いた。そしてわかっていることだけを簡潔に伝える。
一通りの内容を聞き終え、華 閻李は驚愕した。眉唾物ではないかと二人を疑うが、彼らは真剣な面持ちをしている。
──思は僕に嘘つかないだろうし、先生だってそういう性格じゃない。やっぱり真実なんだ。でもどうして? なんで僕にそんな力があるんだろう?
自分のことを知らなさすぎる。
歯がゆさで胸が締めつけられていった。知らないことだらけで、どうすればいいのかわからないと口にする。
「……ねえ、小猫。君の生まれとかに何かあったりしない?」
華 閻李の胸のうちを知り、彼は唐突な質問を始めた。
「前から気になっていたんだ。君の髪の色。これは、この國の人ではあり得ないように思う」
今まで出会ってきた人々は皆、黒髪だ。多少茶色が混ざっていたりもしたが、それでも宵闇のような色をした髪の者ばかりである。
側にいる爛 春犂とてそうだった。言い出しっぺの全 思風も、帳のような黒髪をしている。
華 閻李はそれを聞き、自らの髪を指へと巻きつけた。うーんと考えたあと、何か思い出したように「あっ!」と声にする。
「僕の死んだお父さんが、この國の人じゃないって聞いたよ。どこの國だったかまでは覚えてないけど……確か、ものすごく大きな門がある場所から来たとか言ってた」
死んだ母親がそう言っていたのだと、うろ覚えながらに記憶から絞りだした。
「……もしかしたら小猫のあの力は、そこに何かしらの尖端があるのかもしれない」
爛 春犂と視線を合わせる。すると爛 春犂は頷き、両手を袖の中に隠して会釈をした。そのまま部屋を出ていく。
それを気にすることなく、全 思風は笑顔で華 閻李に話しかけた。
「とりあえず小猫、わからない事を考えててもしかたない。街に出ていろいろと、まとめてみないかい?」
「……うん、そうだね」
ずっと床に眠ってばかりはつまらないと、華 閻李は靴を履く。
躑躅を頭の上に乗せ、白虎は抱きしめた。
◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆
既に夕方だからなのか、街へ出ると人は疎らだった。昼間は賑わいを見せていた周桑の玄関口である食品市場は、ほどよく通れる程度に人が減っている。それでも包子や焼売などの店は営業しており、買い物客が並んでいた。
琵琶や焼き芋の甘い香り、唐辛子を混ぜたスープの鼻をつつくキツイ匂いなど。それらが風に乗って、ふわりと二人の元にやってきた。
間を空けることなく華 閻李のお腹が鳴る。それにつられてか、蝙蝠と白虎のお腹も一緒に鳴っていた。
「えー!? 小猫、昼間いっぱい食べてたよね!? 前から思ってたんだけど、そのお腹はどうなってるのさ!?」
宿屋の部屋で十人前ほどをペロリと平らげておきながら、またお腹を鳴らす。無限胃袋をしている華 閻李に、呆れを含む驚き顔を見せた。
けれど、何だかんだ言って、彼は華 閻李にとても甘い。激甘と言ってもいい。結局は子供の笑顔に負けてお財布の紐を緩めてしまう結果となった。
「……まあ、小猫が嬉しそうにしてるし、いいか」
とこまでも華 閻李に甘い。それが彼であった。
「ねえ思! 今度はあっち行ってみ……」
刹那、華 閻李の動きが止まる。いいや、言葉すらもなくなってしまった。
全 思風は訝しげに眉を寄せ、どうしたのかと顔をのぞく。
「小猫? ……っ!?」
「…………」
先ほどまて明るく喋っていた口は閉ざされ、光に包まれていた瞳は虚ろになっていた。
「小猫、小猫! ……っ閻李!」
全 思風がどれだけ体を譲り、声をかけても反応がない。
華 閻李の両手には鎖がある。それがジャラリ、ジャラリと、音をたてていた。




