光の子、道の先を示す
華 閻李の背中から彼岸花が生まれた。淡く、蛍のように優しく、それでいて、暖かい光をまとっている。
「……っ小猫!?」
いとおしい子へ腕を伸ばして助けようとした。けれど眩しくて直視できない。
全 思風も、少し離れた場所にいる爛 春犂ですら両目を閉じてしまうほどだ。
それでも彼は諦めることなく、手探りで華 閻李の居場所を見つける。子供の細腕を引っ張り、己の胸元へと押し戻した。
「小猫!」
未だ、華 閻李の背中に浮き出ている彼岸花を睨む。触ろうとしても透けてしまい、剥ぎ取ることすら不可能であった。
それでもうつ伏せになっている華 閻李の喉で脈を測る。トクン、トクンと、弱いが脈はあった。
目映いばかりに煌めく花は背から頭上へと移動する。両腕に包まれている白い仔猫の姿をした神獣は、苦しそうに鳴いていた。
「……はあー」
全 思風のため息は、場を落ち着かせていく。華 閻李を床まで運び、安心の吐息を溢した。結界を維持したままの爛 春犂に目配せし、疲れと心配からくる汗を拭う。
再び華 閻李を黙視した。
華 閻李の瞳を隠すのは長いまつ毛で、ときおり苦痛に蝕まれるように濡れる。それは涙で、全 思風は何度も雫を己の指先で拭いた。
──白虎の身体に浮かんでいた青白い血管が薄れていっている。これはまさか……
華 閻李の力なのか。
全 思風は慈しむように、子供の汗を拭う。
──枌洋の村で雨桐という子供が人間に戻った。あれについて謎だったけど。そうか……やっぱりあれは、この子の力だったんだ。
白虎の身体の青白い血管が完全に消えたのを確認し、再び華 閻李へと視線を落とす。側には爛 春犂がいるため、下手なことは言えない。それでも白虎を浄化するという力を見せつけられ、全 思風は確信を持つこととなった──
□ □ □ ■ ■ ■
仔猫──白虎──は、闇の底で震えていた。何もない暗闇が永遠に続く世界で、たった一匹、孤独の時間を味わっている。
──怖い。何もない。[にゃあ]は、どうしてここにいるの?
ふと、前肢に鈍い痛みを覚えた。それは何か見てみれば、真っ赤な宝石のようなものが埋められている。
白虎はそれを目の当たりにし、嫌だ嫌だと鳴き続けた。闇しかない空間には白虎しかおらず、その悲痛な鳴き声だけが木霊する。
──神獣の位を貰っても、[にゃあ]はあの世界じゃ新参者にゃ。誰も[にゃあ]を助けてくれないし、皆が馬鹿にしてくる。唯一優しくしてくれたのは玄武のお爺ちゃんだけにゃ。
けれど、そのお爺ちゃんは神獣界から姿を消してしまった。唯一の味方だった存在を探しに、白虎は人間たちの世界へと降り立つ。
しかし、それがいけなかったのだろう。
白虎は人間に捕まり、血晶石の実験台にされてしまった。それからは地獄でしかない日々となってしまう。
──毎日のように、よくわからからない何かを肢にされた。苦しいからやめてって言ってるのに、人間は[にゃあ]を道具扱いする。ご飯すらくれなくて、毎日お腹空いたまま。
そんなおり、隙をついて逃げだした。その先が浜辺で、白虎は銀色の光を見つける。
──あの光、とっても暖かかったにゃ。お日様のように暖かくて、優しい光。それがあの子供だったにゃ。
抱きしめられたとき、白虎は心の底から涙が溢れた。優しく撫でてくれる細い指や、少女のように美しい笑み。それらが全て、白虎の傷ついた心を癒してくれていた。
けれど心を許したせいで、優しい子供が傷つけられてしまった。それを望んでいなかった白虎は、血晶石という得体の知れぬ力に身を任せていく。
──償いとかじゃない。[にゃあ]はもう……ひとりぼっちが、疲れただけにゃ。
このまま闇の奥底へ沈んでしまおう。そう思い、考えることすら放棄した。
両目が静かに閉じていく。
元々暗くて何も見えぬ場所だ。今さら宵闇になったとて変わらない。全ての神経を遮断し、呼吸すらも止めてしまおうとした──
「──こんな暗い場所にいたら寂しいだけだよ?」
穏やかで、とても暖かい。そんな声が白虎の頭上から降り注ぐ。
白虎は、諦めしか持たぬ虚ろな眼差しで見上げた。
そこには春の風のように穏やかで、夏の水のように気持ちのよい心根の少年が立っている。秋の香りのような、すっと鼻を通る儚げな眼差し。冬の雪を詰めたように美しい銀色の長い髪。
それらを形どるのは少女のように美しい顔立ちと、仄かに薫る花たちか。
どれもが正しくもあり、神秘的な空気を持つ少年──華 閻李──が、眼前に現れた。
当然、白虎は驚く。
こんな何もない。ましてや、果てしない暗黒だけが続くこの場所に、微かな希望のような少年が姿を見せたからだ。
──どう、して? [にゃあ]は血晶石の力に負けて、殭屍になるのを待つだけなのに……それなのに、どうして君までここにいるの?
ひとりぼっちが当たり前なのにと、華 閻李を拒絶する。しかし言葉とは裏腹に、白虎の眼からは大粒の涙がポロポロと落ちていった。
「僕ね、諦めたくないんだ。頑固だから」
子供らしく、無邪気に笑う。闇へと一人で向かおうとする白虎の身体に触れ、ゆっくりと抱き上げた。
白虎は驚いて猫のように「にゃ!?」と、鳴く。
「君がどんなにひとりぼっちがいいって言っても、僕は何度でも連れ戻すよ」
絶対にねと、頬をうっすらとした紅に染めた。
──無理、だよ。[にゃあ]はもう、神獣には戻れないにゃ。穢れが全身にまで行き渡ってるんだ。
もう治らないよと、寂しそうに鳴く。ふさふさな耳や尻尾が垂れ、にゃあにゃあと鳴き続けた。
「大丈夫だよ。ほら──」
白虎に笑顔を落としたまま、華 閻李は踵を返す。今まで向いていた方角とは違う場所を指差した。そこは暗闇……ではなく、一筋の光が差している。
「身勝手な人間なんかのために、何の罪もない猫君が犠牲になる必要はないんだ。もしも君が、その事で責められたりしたら……」
僕が味方になるよ。絶対に、見捨てたりなんかしないから。
華 閻李の声には、優しさと強さが混ざっていた。端麗で儚げな見目の中に、しっかりと芯を通す心を持つ。
自分は犠牲になってもいい。傷ついてたってかまわない。けれど誰かが傷つくのは嫌だ。そうなるぐらいなら、自分の身を差し出す。
華 閻李は、そう囁いた。
白虎は彼の強さ、そして優しさを知っている。だからこそ、言葉に嘘や偽りなどありはしない。
──ああ、どうしよう。[にゃあ]は……殭屍になんてなりたくない。いっぱい、いーっぱい、人間たちの暮らしを知りたいんだ。
白虎は生きたい、死にたくないと、鳴きながら訴えた。
「……うん、大丈夫。君はもう、大丈夫だから」
鳴き続ける白虎を抱きしめる。そして光が差すところへと、微笑みながら向かっていった──




