涙、そして強くなる想い
爛 春犂を加え、二人は蘇錫市で起きている出来事を再度話し合う。
華 閻李は窓際に。
全 思風はそんな子供にピッタリとくっつくように、隣へと座ってきた。
そして、情報を持ってきた爛 春犂は二人の前に腰を落ち着けている。
彼ら三人の中心には机があり、茶杯の中には緑茶が入っていた。おやつとして胡麻団子が置かれており、三人は各々で好きな物を選んで食す。そんななか、華 閻李だけが他の二人よりもたくさん食べていた。
「ねえ小猫、さっきあんなに食べてたよね? まだ食べるつもりなのかい?」
胡麻団子を何個も頬張る華 閻李に、全 思風は顔を引きつかせながら問うた。
頬についた胡麻を取ってあげると、華 閻李は無邪気に「ありがとう」と言って微笑む。
──んん! 可愛い!
愛くるしい見目の華 閻李に幸せを覚え、満面の笑みになった。
「──こほんっ!」
緩い現場を見かねた爛 春犂が、わざとらしい咳払いをする。しまりのない表情をする全 思風を睨み、淡々と話を進めた。
爛 春犂が持ってきた話は、以下の通りである。
[國中で白服の男たちが目撃されている]
[目撃された場所では殭屍が出現し、最悪街や村が滅んでしまう。この蘇錫市でも白服の男たちの目撃情報があり、何らかの形で関わっている可能性がある]
[殭屍化は人体実験だけではなく、動物でも行われているという事実があった]
これらはこの街に来るまでに得られた情報だと伝え、部屋の隅にいる二匹の動物を注視した。
全 思風も、華 閻李でさえも、彼が何を言いたいのか。それをわかってはいる。けれど対処法もなければ、目の前で眠る仔猫がどういう結果をもたらすのか。それすらハッキリとしていない。
「爛 春犂、一応言っておくけど、あの仔猫は普通の動物じゃないよ」
華 閻李への甘い声はどこへやら。爛 春犂にはとても冷めた眼差しで語った。視線は爛 春犂ではなく、仔猫へと向けられている。
「あれは神獣の中でも位の高い、四神と呼ばれる存在だ。その中の一角、白虎だ」
四神は四種類の色、そして動物で形成されていた。
白虎は虎にそっくりな姿をした西の守護者である。邪気を遠ざけ、幸せを運ぶと謂われていた。守護色は金で秋を背負い、実りをも意味している。
ただ、四神として定着したのは他三匹よりも後であった。白虎が四神の仲間入りをする前は麒麟が代役を努めていたという説もある。
そのためか、白虎は麒麟と強い繋がりを持っていた。無意識の内にお互いを呼び合う。そんな感覚も生まれるという。
──この説は確かだ。小猫が浜辺で倒れたといことを、白虎は麒麟に知らせたからね。
ただこれを口にすることはできなかった。麒麟の正体に関わるからである。
隣で興味津々に目を輝かせている華 閻李を悲しませたくない。そんな想いから、一つの嘘をつき続けていた。
この嘘に心が痛まぬ全 思風ではない。それでも貫き通さねばならないのだと、心を鬼にして華 閻李に向かって苦く笑んだ。
華 閻李は端麗な顔を、きょとんとした表情で埋める。
「この白虎は四神なだけあって強いはず……なんだけどね」
歯切れの悪さが眉に乗った。
視線の先にいる仔猫を見れば、先ほどよりも苦しげに感じる。それもそのはずだ。仔猫の前肢にある血の塊、すなわち血晶石が意志を持つかのように、小さく脈うっている。
「……小猫、このままだとまずいよ」
「え?」
何がまずいのか。
華 閻李が尋ねる前に、彼は重たい腰を上げた。
苦しむ仔猫の前まで行き、片膝をつく。右手を仔猫の前肢まで伸ばし、血晶石へと触れた。すると仔猫はかつてないほどの雄叫びを吐き出す。
爛 春犂はすぐ様立ち上がり、袖から札を取り出した。それを後ろにある扉、向かい側の窓へと投げる。最後に空中へと投げ、両手で素早く印を結んでいった。
彼の霊力に誘われるように、床には光り輝く陣が浮かぶ。扉、窓といったあらゆる場所も、強く発光していた。
爛 春犂は「結界を張った」とだけ伝える。顔の前で右手の人差し指と中指を立たせ、術を継続させるための呪文を呟き続けた。
全 思風は、爛 春犂の咄嗟の判断力に驚く。数秒後、両目を見開きつつも視線と意識を仔猫へと戻した。
「……今は、彼の助けが有りがたく感じるね」
振り向くことなく、仔猫の頭を撫でる。そして腰にある剣を鞘から抜き、仔猫へと降りおろさんとした。しかし……
「やめて!」
華 閻李が叫びながら、彼の腕にしがみつく。
「この猫君が死んじゃう! そんな事しないで!」
「……ごめん小猫。こればかりは君の意見を聞く事はできない。君だって知っているだろう? 殭屍になってしまったら終わり。退治されるしかないんだ」
例え神獣であっても例外はない。全 思風は珍しく、華 閻李へ絶対零度の瞳を送った。
しかし華 閻李は怯まない。それどころか首を何度も左右にふっては、嫌々と駄々っ子のようになった。
「そんなの駄目だよ! 猫君、何も悪い事してないよ? 人間の勝手な行動で犠牲になっただけなんだ。それに……」
大きな両目から涙が溢れてくる。
「罪のない猫君を手にかけた事で、思が苦しむんだよ? そんなの……見ていられない」
偽善者でもいい。きれいごとと貶されてもいい。けれど罪のない者が命を落とし、それを手にかけた人が苦しむ。そんなのは嫌だと、胸の内の感情を声に出した。
全 思風は苦虫を噛み潰したように目を細め、唇をきつくしめる。泣き晴らした華 閻李に剣を収めてと言われてしまい、彼はグッと言葉を飲みこんだ。
しぶしぶではあるが剣から手を離す。すると……
「小猫!?」
全 思風の気が緩んだのを見計らったかのように、華 閻李が飛び出した。仔猫の元へ駆け寄り、ギュッと抱きしめる。
仔猫の瞳孔は既に定まってはいなかった。黒の縦じま模様が入った白い毛には、全体的に青白い血管のようなものが浮かびあがっている。開いた口からはたくさんのヨダレが零れ、獣と殭屍を合わせたような不気味な鳴き声を放っていた。
「やめるんだ小猫! 噛まれたら、君まで殭屍になってしまう!」
「嫌だ! 離さない!」
「小猫!」
言うことを聞いてと、強い口調が飛び交う。華 閻李を仔猫から引き剥がそうとするが、拒否し続けられてしまうだけだった。
華 閻李は今にも噛みつきそうな仔猫の頬、そして頭を撫でる。
「──大丈夫、怖くないよ。僕が一緒にいてあげるから」
儚げに笑んだ。
その時、華 閻李と仔猫を、朱い光が包む。そしてそれは朱き花──彼岸花──へと姿を変え、華 閻李の背中に現れた。




