従者の鎖
太陽が真上に差しかかった頃、華 閻李たちは昼食をとっていた。
辛さが決め手の麻婆豆腐、高級食材であるフカヒレを使用したスープ。肉汁たっぷりの包子、卵とニラの色合いが美しい食べ物などもある。箸休めには、ほうれん草の唐辛子炒めもあった。食後のおやつとして月餅、杏仁豆腐なども置かれている。
それらはざっと十人前ほどはあった。
「うわあ、美味しそう……ねえ、本当にこれ食べていいの!?」
数々の料理を前にして両目を輝かせる。華 閻李は大きな瞳いっぱいに食べ物を映し、頭上を確認した。
「うん、いいよ。私も多少食べるけど、小猫は遠慮なくいっちゃって!」
華 閻李が見上げた先にいるのは全 思風である。彼は我がことのように喜びながら、華 閻李へとご飯を勧めた。
そんな二人は何とも奇妙な姿勢をとっている。どちらも座ってはいた。しかし華 閻李は床にではなく、全 思風の膝上にである。
全 思風はがに股になりながら、華 閻李を乗せていた。
そんな彼の頬は絶賛綻び中で、しまりのない笑顔をしている。その姿はまるで、普段は強面だが小動物を愛でる時だけは優しくなるような……何とも言えない緩み具合だった。
華 閻李の方は、それを当たり前として受け入れている様子。大きくて逞しい彼を椅子代わりに、満面の笑みで箸を走らせていた。
数分後、ものの見事に全てを平らげる。最後に残った杏仁豆腐すらもペロリとお腹の中へと入れた。
「…………ええ!? し、小猫ぉーー!? あれだけの量、その小さなお腹のどこに入ったのさ!?」
全て食べ尽くした華 閻李の細腰を、両手で掴む。信じられないものを見るかのように、華 閻李の顔とお腹を交互に確認した。胃袋が無限の華 閻李に一瞬だけ目眩を覚える。
けれどこの子が幸せならばと、言葉を飲みこんだ。
──おやつを食べる姿が小動物のように見えるなあ。ふふ、本当にかわいい子だ。
これほどの幸せはあるだろうかと、華 閻李をギュッと抱きしめる。子供らしく暖かい華 閻李の体を包み、頭上に自らの顎を乗せて一時の幸福を味わった。
その時──
「──お客様、お連れの方がお見えにられました」
宿屋で働く女中の声が扉の外からする。
けれど二人は連れなどいないことを知っていた。華 閻李は箸を置き、眠っている二匹の動物たちの元へと駆け寄る。全 思風は扉の前に立ち、腰にかけてある剣の柄を握った。
互いに頷きあう。
「連れ? あいにくだけど、私たちにそんな奴はいないはずだ」
全 思風の低く、凍てつく声がその場を静寂へと誘った。
扉の向こう側にいる女中は混乱しながら「そう言われましても……」と、低姿勢のままである。
「はあ、わかった。通しておくれ」
見かねたのか、全 思風は大きなため息をついた。腰にある武器を掴む手は緩めず、ただ入ってくる者の気配を探る。
──ん? この気配はまさか……
全 思風の、剣の柄を握る手の力が緩んだ。ふっと深呼吸し、華 閻李を背に隠す。
瞬間、扉がカラカラと音を鳴らしながら開いた。
「──久しいな、閻李」
扉の先から現れのは上は白、下にかけて黄色くなる漸層の漢服を着た男性である。整った顔立ちに威厳を乗せた、中肉中背の男だ。
「あんたは……爛 春犂」
男の名を発したのは呼ばれた華 閻李ではなく、扉の前にいる全 思風である。
爛 春犂は彼を見るなり両手を袖の中で組み、軽く会釈をした。そして驚いている華 閻李の前まで進み、礼儀正しく正座する。
「何しに来たんだい? まさか、小猫を連れ戻そうとか思ってるんじゃないよね!?」
全 思風の声には怒気が混ざった。華 閻李が顔をひょっこり出すと「下がってて」と、いつになく冷気を帯びた声音になる。
「……いいや。今さらそのような事をしたところで、何も変わらぬよ。今回は、違う理由でそなたらを尋ねにきた」
爛 春犂の視線は常に華 閻李へと向けられていた。例え全 思風という男が立っていようとも、子供へ真向かい続ける。
「閻李、そなたは枌洋の村がどうなったのか知っておるか?」
華 閻李へ優しく語りかけた。すると全 思風の後ろにいた華 閻李が両目を見開きながら、こっそりと頷く。
「ああ、その件なら小猫の代わりに私が話すよ」
華 閻李を連れ戻しにきたわけではない。それがわかると、全 思風は警戒心を胸の内にしまった。ただ、明るい声ではないが、優しい眼差しでもない。あくまでも枌洋の村についての話をするだけの、短い付き合いになろう。
全 思風は爛 春犂へ向き直った。そして枌洋の村で起きたことの一部のみを話す。
一通り話を聞き終えたとき、爛 春犂の表情が険しくなった。今にも誰かに噛みつかんとする、鋭い眼光を飛ばしている。ため息をつき、すっと目元を細めた。
「……やはり、白服の者たちが関わっていたか」
呟きにも似たそれは華 閻李の耳にも届く。全 思風の隣へ座り、どういうことかと尋ねた。
「私がここへ来た理由は、その白服の者たちについでだ。どうやら彼らは國のあちこちで事件を起こしているらしい。枌洋の村の事件ほど酷くはなかったようだが……滅びかけた村もいくつかあるそうだ」
一気に語った後、華 閻李が差し出した茶を飲む。
「この街がどうなっているのかはわからぬが、用心はした方がよい」
それだけ告げると音もなく立ち上がった。部屋の扉へと手を伸ばし、華 閻李を見やる。
当然、全 思風が彼による意味深めいた視線を見逃すはずもなく……華 閻李の腕をぐいっと引っ張った。うわっと驚く声を出す華 閻李を、あろうことか己の膝上に乗せる。
勝ち誇った顔をし、爛 春犂を見上げた。恥ずかしがる華 閻李を離さまいと、全身で抱きしめた。
暴れる子供の口に月餅を突っこむ。華 閻李は餌づけされた動物のようにおとなしくなり、もっもっと、笑顔で食べた。
「…………」
そんな二人のおかしな距離感を見て、爛 春犂は頭痛を覚える。あきれしか含まないため息を肩でし、二人から視線を逸らした。
「お前たち、人の目は気にする方が……ん?」
瞬刻、爛 春犂の目にあるものが映る。それは華 閻李の両腕にある鎖だった。
「な、なぜその鎖が……!?」
出て行こうとしたことなど忘れたかのように、華 閻李の両腕を掴む。凝視する眼差しには焦りが生まれていた。
華 閻李と全 思風は、彼の態度の変化に動揺する。華 閻李が知っているのかと問えば、爛 春犂は神妙な面持ちで首を縦に動かした。
「これは[従者の鎖]と呼ばれる術だ。これをつけられた者は、術者の言いなりになってしまうと聞く」
「……何!?」
全 思風はこめかみを深くさせる。華 閻李の腕を優しく持ち、チッと舌打ちした。
「二人とも、気をつけるがよい。どうにも、ここ最近の國内は雲行きが怪しい。人だけではなく、動物までもが殭屍のようになったという事例も出てきているからな」
「…………」
三人は無言になる。
遠くの空の雲が厚くなり、微かに雷が鳴っていた。
そんな三人を見つめるのは、寝ていたはずの白い仔猫である。けれど仔猫の両眼は血走り、前肢にある血晶石は不気味なほどに赤黒くなっていた。




