迫りくる欲望
白い毛並みの仔猫は華 閻李の腕から逃れようと必死だ。けれど体力がほとんど残っていないようで、すぐにぐったりしてしまう。華 閻李は急いで宿屋へ戻ろうと踵を返した。
直後、後ろから青い漢服に身を包んだ数人が近づいてくる。彼らは華 閻李を囲うようにして、腰にさげている剣を抜いた。
「……え? な、何!?」
大勢の大人に囲まれた華 閻李だったが、驚くふりをしながら彼らを観察する。
──肩と胸の部分に金色の刺繍。それに青い服……この人たちって、どこかの貴族の使用人ってところかな。
そんな人たちがなぜ寄ってたかって、見ず知らずの自分を囲うのか。華 閻李はそれだけが疑問だった。
「──そこの子供! その猫を渡せ!」
剣の切っ先を華 閻李へと向け、数人が砂を踏みつける。
「猫って……この仔猫の事?」
腕の中にいる仔猫を注視した。仔猫はぐったりとしており、息も絶え絶えである。
華 閻李からすれば、仔猫も目の前にいる男たちも、全く知らない者たちであった。けれど仔猫の様子を見ているうちに、放っておくことなどできないと決意する。
仔猫を抱く腕に力をこめ、男たちを睨んだ。そして聞き分けのない子供を演じていく。
「い、嫌だ! 僕はこの仔猫の事気に入ったんだ。僕が飼う!」
駄々をこねるだけこねながらも、少しずつ後ろへと下がっていった。
「猫、飼いたいもん! 僕、猫好きだもん! ぜーったいに、渡さないからね!」
あかんべーと、普段の華 閻李からは想像もできないような我が儘ぶりを発揮。地団駄を踏みながら仔猫を抱きしめ、飼うの一点張りに尽きた。
けれど男たちは子供の我が儘ごときにつき合ってはいられないと、剣を容赦なく華 閻李へと振り下ろす。
華 閻李は寸でのところで剣による攻撃を回避し、我が儘な子供を演じながら砂浜を逃げ回った。
剣が背に迫れば、泣くふりをしながらしゃがむ。男たちが手を伸ばせば身を低くして彼らの背後に回避し、軽く蹴りを入れた。男たちが倒れていく瞬間を狙い、彼らの肩や背中などを使って側にある木に登っていく。
「な、何だこの子供は!?」
普通の子供があのような芸当できるはずがない。誰かが騒ぎたてた。
「……まさか、仙人なのか!?」
仙人だった場合、見た目の幼さは当てにならない。華 閻李のように子供の見目をしていても、実のところは百歳を越えている。などということはままあった。
それが直人である男たちと、人知を越える力を扱う仙人との違いでもある。
しかし華 閻李は眉根を細め、違うよと首を左右にふった。
「僕は仙人じゃないよ。二つ名持ってないもん」
二つ名。それを耳にしたとたん、男たちは顔を見合せた。そして先ほどまで翻弄されていたのが嘘のように、厭らしい笑みを浮かべる。
舌なめずりをし、華 閻李の頭から足先まで目を通した。
「仙人じゃないってんなら、運動神経がいいだけの餓鬼じゃないか。しかもこの見た目だ。お嬢ちゃんか坊っちゃんかはわからないが、売れば相当な額になるんじゃないか?」
「おいおい、男だったらどうするんだよ?」
「どうするもこうするも……男でもあの見た目だ。じゅうぶん楽しめるだろうさ。それによーく考えてみろよ。あんなに綺麗な顔してるんだ。さぞや楽しませてくれるだろうさ」
木の枝に身を寄せている華 閻李を見る目が変わる。彼らはこれでもかというほどに目尻を下げ、汚らわしい目つきになっていった。
彼らの視線を受けた華 閻李は全身の毛を逆立てる。ぞわりとしたものもあれば、吐き気すらした。高笑いにも似た男たちの声に嫌悪感を覚えていく。
──僕を無理やり押し倒した黄 沐阳に似てる。本当に嫌だ。
黄族の屋敷にいた頃、当主の息子である黄 沐阳に手込めにされそうになった。助けが入り未遂で終わったものの、あの事件が華 閻李の心に深い傷を残してしまう。
ガタガタと震え、仔猫をギュッと抱きしめた。大きな瞳には涙が溜まり、今にも泣いてしまいそう。それでもここにいるのは自分だけだと言い聞かせ、恐怖に身を預けながら毅然とした態度で振る舞った。
「慰み者になれって? 馬鹿にしないでよね!」
震える唇と体を必死に隠し、彼らへ啖呵を切る。長く美しい銀の髪を夕日に向け、絶対に言いなりにはならないという意思を瞳に乗せた。
ふと、仔猫が華 閻李の頬を舐める。ざらざらとした舌で舐められ、華 閻李は強張った顔に笑顔を作った。
動けぬはずの仔猫から貰った勇気で、男たちを見下ろす。
──あの人たちは、この木を登れるほど運動能力があるわけじゃない。だったら思が戻ってくるまで、ここで粘ればいいだけ。
いつ戻ってくるかは聞いていなかった。けれど彼ならば、きっとすぐに駆けつけてくれる。
短い時間しか一緒にいないはずなのに、華 閻李は全 思風へ不思議な信頼を寄せていた。
その時、華 閻李の乗る木がぐらつく。大きな地響きとともに、縦真っ二つに割れたのだ。
「え!? な、何!?」
身を守る暇もなく、華 閻李は砂地へと強制的に降ろされてしまう。背後でズシンという、木が倒れる音を耳にする。いったい何があったのかと木を見つめた。
しかしおかしなことに、縦に切れ目が入った木ではあったが、剣などの刃物による裂かれ方ではない。鋭い刃物というよりも、殴られた。その表現の方が正しい割れ具合である。
「……どうなって……っ!?」
瞬間、華 閻李の体と両手足に、鉄のようなものが巻きついてきた。
「うわっ!?」
突然のことに身動きが取れぬ華 閻李は、新品の服ごと砂地へと仰向けになってしまう。
そんな華 閻李を、男たちは我先にと捕まえた。手をはじめ、足や顔などを砂へと押しつけている。
──な、何!? 何があったの!? それにこの鉄のようなもの。これは……鎖? 何で、力が入らないの!?
考えることがいっぱいになった。けれど男たちはそれを待ってはくれず、華 閻李に体重を乗せて地面に押しつけた。
この鎖がどこから来ているのか。それを把握することも叶わない状態になった。一緒に落ちてしまった仔猫を見れば、ピクッと軽い痙攣を起こしている。
「……猫、くん……」
君だけでも逃げてと、手を伸ばした。その時、仔猫の両前肢に赤い何かが見えた。それは鮮血のように赤黒く、宝石のように美しく輝いている。
華 閻李は猫の両前肢を凝視し、驚愕した。なぜならそれは、人を動く屍である殭屍へと変える血晶石なるものに他ならない。
──な、何で猫に血晶石が!? じゃあこいつらはまさか……
人間を殭屍へと変える、謎の集団。華 閻李の中で恐怖と怒りがふつふつと浮かんでいった。
けれど身動きひとつとれぬ今、無駄なあがきでしかない。それでも華 閻李は猫を逃がさんと必死に腕を伸ばした。瞬刻、華 閻李の手のひらに種のようなものが生まれる。それを仔猫の口へと突っこんだ。
男たちは華 閻李のやったことに驚きながらも、仔猫を見張る。すると先ほどまで立つことさえ困難だった仔猫が、ゆっくりと四本肢で体を支えていた。
「……なっ! ど、どうなっている!? あっ!」
男が叫ぶ前に、仔猫は全身の力と残っている体力を合わせて走り去ってしまう。
華 閻李は仔猫の姿が見えなくなるのを確認し、ほっと胸を撫で下ろした。直後、鎖の締めつけが強くなる。それに耐えられなくなり、大きな瞳は数秒もたたぬうちに意識とともに閉じていった。




