落ちてきた謎
華 閻李と全 思風の二人は、死体があがったとされる幸鶏湖地区へ来ていた。
幸鶏湖地区は街の玄関口でもある食品市場から、まっすぐ北へ進んだ先にある。途中の脇道には職人たちの住む周桑区があるが、そこには行かずにひたすら直進。その先には周桑区や住宅街とは違い、華やかな町並みが広がっていた。
朱の屋根や柱が建ち並ぶ区域で、寺院や櫓が多く建てられている。それ以外にも妓楼があり、他地区と比べて一貫性がなかった。
寺院の近くでは山茶花や睡蓮なども売られており、花びらが舞っている。
「──着いたよ。ここが、幸鶏湖区だ」
ほら。あそこを見てと、ある場所を指差す。全 思風が示したのは、比較的大きな寺だった。
金の屋根に朱色の外壁と柱の、美しい寺である。前後左右、東西南北を四つの櫓で囲み、さらに高く伸びたたくさんの木々が出入り口以外を隠してしまっていた。
「この寺は[百日譚寺]っていう名前でね、四方にある櫓から寺を見張る仕組みになっているんだ」
顎をくいっとさせ、古めかしい作りの櫓を見てと言う。
華 閻李はいわれるがままに櫓を凝視した。ただ、木でできている以外特にこれといった変わった様子は見受けられない。
けれど華 閻李は、とあることに疑問を持った。小首をかしげ、大きな瞳で見つめる。
「……何で、寺を見張る必要があるの?」
「うん、いい質問だね」
待ってましたと、全 思風は笑顔になった。華 閻李の細腰を掴み、ぐいっとその身に引き寄せる。満面の笑みを絶やさず、櫓から寺へと人差し指を走らせた。
「ここは元々戦地だったんだ。禿王朝が設立されたばかりの頃……後に二代目皇帝となる男が、初代皇帝を処罰しようと目論んだ。その時に、初代皇帝が逃げたのがこの場所だったんだよ」
寺に逃げこんだ初代皇帝を追いつめるために櫓が建設された。ここにある櫓は当時の名残として置かれており、幾度となく修繕を施されては腐敗してを繰り返していた。
「観光名所の一つとも言えるこの寺には、初代皇帝の怨念が祀ってあるって言われててね。ああして参拝客たちに線香を渡し、その怒りを鎮めてもらっているって話だよ」
彼の視線の先から薄黄色の服を着た僧侶が現れる。長い線香を持ち、参拝客に配っていた。
「ああいった曰くありげな場所が、この地区なんだ」
妓女が亡くなったのも、呪いの可能性があると告げる。もちろんそれは空想上の結果に過ぎなかった。
言った本人の全 思風はカラカラと笑う。
華 閻李は一瞬だけ両目を丸くさせた。それでも彼の言うことに証拠はないため、あくまでも想像の中の可能性として考慮する。
ふふっと、子供らしい無邪気な笑みを全 思風へ返した。
ふと、南側が騒がしくなる。そこには亡くなった妓女を運んでいる官僚たちがいた。
妓女は藁でてきた布──筵──で全身を隠されながら、華 閻李たちの近くまで運ばれる。
──かわいそうって言葉だけじゃ足らないよね。だって、もう何も感じることができないんだもん。死ぬって、こういうことなんだなあ。もしも姐姐さんがそうなってしまったら、僕は……
他人事を決めこみながらも、亡くなった妓女を知り合いの姐姐に重ねてしまう。けれどそれは考えすぎだと、首を強く左右にふって思考を消した。
一緒にいる全 思風へ、これからどうするかと尋ねようとする──
「……え?」
瞬刻、亡くなった妓女の腕が、だらりとはみ出てしまった。同時に強風が吹き荒れ、被せてあった筵が落ちてしまう。
そこから現れたのは傷ひとつない、きれいな姿の女性であった。妓女というだけあり、顔立ちや身なりも整っている。水の中で死んでいたということから髪や服は濡れているものの、存外きれいな姿と言えた。
そんな女性の左の手のひらには、小さな赤い斑点がいくつもある。
直後、野次馬から悲鳴があがった。当然のことだろう。見なくてもいい死体を目の当たりにしてしまったのだ。顔を背ける者もいれば、ひそひそ話を始める野次馬もいる。
官僚たちは急いで筵を被せ、早足で寺の中へと入っていった。
代わりに、寺からは他の僧侶たちが出てくる。中にいる参拝者たちもゾロゾロと出てきて、半ば無理やりに追い出されしまった。
門は閉められ、観光気分でいた人々は愚痴を投げる。けれど官僚の数人と寺の者たちが睨むと、野次馬や観光客らは渋々に解散していった。
残された華 閻李と全 思風は、肩をすくませる。全 思風が無言で近くの櫓を指せば、華 閻李は頷いてそこへと向かった。
櫓の影に隠れ、二人は話し合う。
「……小猫、あの妓女の手のひらは見た?」
腕を組み、近くの木に凭れた。はあと、めんどくさそうにため息をつき、空を仰ぎ見る。
「うん、間違いないよ。ちょっと触れてみたけど、あれは血晶石だった」
長く美しい銀の髪を払い、真剣な面持ちで全 思風を注視する。
彼も同意見のようで、眉に神妙さを浮かばせていた。
「……思、他に何か気づいた事とかある?」
「うーん、しいて言うなら……匂い、かな」
その言葉に自信がないのか、全 思風は苦く笑っている。それでも華 閻李の質問に答えんと、頭を搔きながら口にした。
「何かこう、酸っぱいような……柑橘類の香りがしたんだよね」
何でだろうかと、首を捻る。同時に華 閻李を抱き寄せた。華 閻李を横抱きにし、猫のように軽々と櫓の上へと登っていく。
櫓の上から見る景色は絶景そのもので、華 閻李は街を目に焼きつけていった。ふと、頭上からため息が聞こえる。それの正体は全 思風で、彼は口を尖らせていた。
「柑橘類の香りなんて、普通死体からはしないよね? でも私は確かにそれを感じた」
間違いはない。信じてほしいと、いつになく弱気な瞳だ。
華 閻李は横抱きにされたままだったが、彼の捨てられた犬のような瞳にたじろぐ。
──信じていないわけじゃない。だけど情報が足らなさすぎて、安易に肯定はできないんだ。
妓女が亡くなったことはもちろんだが、血晶石についても気がかりではある。全 思風が感じたという匂いが、どう関わってくるのか。華 閻李は、脳を一生懸命働かせていった。
「……思、僕が気になっていた事言ってもいい?」
見上げれば全 思風の瓜実顔が視界に入る。彼の美しくも優しい、大人の魅力を持った瞳を凝視した。
全 思風の笑顔が少しだけ引きしまっていく。そして彼は軽く頷いた。
「……今回の事件、あの血晶石が絡んでいる可能性は高いと思う。それに僕は、どうしても引っかかっている事があるんだ」
小さくとも艶やかな唇を、ゆっくりと動かす。甘い息を吐き、一呼吸置いた。
「……あの遺体、綺麗過ぎるって思う」
華 閻李の声は僅かに揺らいでいる。それでも全 思風を見上げ続け、疑問に思う何かを伝えていった。




