嗤う者
いくつもの灯籠が吊らされている回廊があった。宵闇の中を照らす明かりは、微風が吹いただけでも揺れてしまう。星空と月が浮かぶ空は鉄紺色で、灯籠がなければ何も見えぬほどに暗かった。
そんな暗闇の時刻、朱色で埋め尽くされた豪華絢爛な建物がある。
ここは禿王朝の首都[燐万蛇]にある、唯一無二の王宮だ。たくさんの殿舎が並び、奥へ進むほどきらびやかさが増していく。
そして、ひっそりと佇むことすら叶わぬ宮の奥深く。朱とは違う、瑠璃瓦の屋根の建物があった。屋根の両端には金色龍が置かれている。それら以外は他の建物と何ら変わらなかった──
「──どういう事なの!?」
瑠璃瓦の優しい色とは裏腹に、部屋の中では怒号が飛び交っている。
「話が違うじゃない!」
声の主は怒鳴りながら、周囲の物へと当たり散らしていた。机の上にある巻物は落ち、花瓶は割れてしまっている。大胆なまでに机の足を蹴り、その場にひっくり返した。
ひとしきり暴れた後に残るのは荒い呼吸のみ。ふーふーと、理性すら喪ったかのように荒かった。
そんな声の主は、黒髪を頭の上で結い上げている。玉金の簪をし、翡翠の宝石か嵌め込まれた髪留めをしていた。
すっと伸びた鼻に、整った目鼻立ち。細く長い指は白く、とても美しい女性である。
桔梗色の桾、その上に黒紅の衫を着ていた。衫は胸元から足にかけて、美しい白蛇の刺繍が施されている。
女性は服を翻しながら扉に向かって巻物を投げた。
扉には一人の男が立っている。黒い官僚服を着、怯えた様子で体を震わせていた。
「……わ、わかりません。偵察者によると、枌洋の村での実験は失敗。村人が姿を消したとの事です」
村を殭屍畑にし、こことは違う世界への扉とする。死した村人たちなどどうでもよく、結果が出せればそれでよかった。
どうやら彼女はそう考えていたようで、思惑が崩れたとわかるや否や、わなわなと両手を震わせる。顔をタコのように真っ赤にさせ、美しさの欠片すら捨て去った。
「……っ! じゃあ、あの白服たちは何をしているのよ!? なぜ、私の前に姿を見せない!?」
怒りの矛先は官僚の男へと向けられた。額に血管を浮かばせ、乱れた髪の一本を食む。地団駄を踏みながら、白服の連中はどこだと癇癪を起こした。
官僚の男は顔を青ざめ、怯えた様子で口を開く。
「そ、それが……白服の連中は、一人として残ってはおりませんでした。唯一姿を発見できた男は、首と胴体が切断されていたそうです」
文字通り村から姿を消した。そう告げる。
すると女性の表情が一変、怒りから疑問へと変わっていった。眉根を寄せ、先ほどとは別人と思える落ち着きを見せる。怯え伏している官僚の男の肩に触れ、一から説明をしろと視線だけで問う。
官僚の男は力なく頷いた。
「あの村に配置した白服の者たちは、およそ三十人。彼らは血命陣を仕掛ける為に、あの村に送り込まれた者たちです」
血命陣は一人の力では作れない。何十人もの霊力を持った者たちが結集し、ようやく完成するのものであった。その力は血晶石のように、一人だけを殭屍に変えるのではない。
血晶石を体のどこかに埋め込こまれ、かつ、陣の中にいる死者だけを利用する術であった。
「その死者たちを使い、擬似的な冥現の扉を作り上げる」
そんな作戦だったはず。
官僚の男は膝から崩れ落ちていった。
女性は官僚へ慰めの言葉をかけることなく、踵を返す。
「ええ、そうよ。殭屍なんて、ただの道具に過ぎないわ。だからこそ、あいつらに頼んでおいたのに。それが失敗ですって!?」
ふざけるんじゃないわよと、怒りを顕にした。ふと、今までの会話の中で、何かの引っかりを発見する。
コツコツと靴音を鳴らし、官僚の男の顔に灯籠を近づけた。官僚の男は額から汗を流している。
「……ねえ、あいつらがいなくなったのはなぜかしら?」
「え? そ、それは……」
女性は妖しく口角を上げた。
「さっき、言ってたわよね? 唯一発見された男がいたって。しかもそいつは死んでいたのでしょう?」
美しい笑みの上に、残酷なまでの冷たい眼差しを乗せる。
「なぜ、そいつは死んだの? 誰に殺されたのかしら?」
自分で首を刎ねるわけがない。そのようなおかしな人材は、部下に必要ない。
女性は自信満々な口調で物語る。
「きっとあの場に、第三者がいたのよ。そいつが全てを台無しにしていったんだわ。……ねえ、偵察者は他に何か言ってなかったの?」
灯籠を床へと置いた。白く、欲を駆り立てる指が、官僚の男の喉へと触れる。そしてつつつと、首を這いながら唇へと上った。
官僚の男は妖しい手の動きに魅入られていく。ごくっと大唾を飲み、さくらんぼのように顔を赤くさせた。
「そ、それは……」
「何かあるはずよ」
女性は声に艶を持たせながら、官僚の耳へと囁く。すると官僚の両目が虚ろになり、瞬きすらしなくなった。けれど口は動くようで、淡々と伝えていく。
「子供が、いた、そうで、す」
「子供?」
官僚の男は虚ろな眼差しのまま肯定した。
「白、のよう、な、薄い、髪色、の、子供、です。その子供、は、花を出現、させ、血命陣を、閉じた、と、聞きます」
ふらふらとしながら、官僚の男はその場に倒れこむ。
「白い髪? それに、花の術……はっ!」
気を失った官僚の男には目も暮れず、奥にある巻物の山へと手を入れる。あれでもない、これでもないと、次々と捌きながら、とあるひとつの巻物に着手した。
その巻物には[冥現の扉]、[唯一の鍵]、[消えた一族]という言葉が並んでいる。
やがて巻物を読み終え、唇をひと舐めした。
「……生きていた。私の求めている者が、生きていた。ふふ、ふふふ。あーはっはっはっ!」
高笑いとともに、灯籠が作る影が揺らめく。そして影は、みるみるうちに……
二枚の両翼を作りだしていった。




