必要なもの
廃屋の近くにある河に訪れた二人は、さっそく魚を捕り始めた。
華 閻李は長い髪を頭上でお団子にし、瑞々しいまでの首を晒けだす。ボロボロの漢服の上着を脱ぎ、肌着だけになった。
服が濡れぬよう、両端を持って、きゃっきゃっと喜ぶ。頭の上に乗っている蝙蝠とともに、無邪気な笑顔で遊び尽くした。
そんな華 閻李の若い肌は水を弾いていった。透明なようで銀色の髪、それが太陽の光を受けて梔子色に染まる。
普段は長い髪で隠れている白くて滑らかな首筋に、水飛沫がついた。
「……っ!?」
それが汗のように見えたのだろうか。側で魚釣りをしていた全 思風の喉が激しく鳴った。唾を飲みこみ、華 閻李の首をじっと見つめている。
華 閻李は彼の視線に気づき、蝙蝠とともに首を傾げた。
全 思風はかつてないほどに慌てふためく。弾みで足を滑らせ、尻もちをついてしまった。
残念なことに、彼の不幸はまだ続く。河底に両手をついた瞬間、蟹に指を挟まれた。蟹を振り払おうとした時に河の中を泳いでいた魚に触れ、滑って顔から水の中へと飛びこんでしまう。以降も、河は彼にとって鬼門だと云わんばかりの不幸が重なっていった。
ようやく終わった頃には、彼の身なりは見れたものではなかった。三つ編みにしていたはずの髪は、ほどけてしまっている。凛々しく涼しげな眉や瞳は情けなく泣き崩れてしまった。
あまりにも普段とかけ離れている。そんな彼の一面を知り、華 閻李は口をポカンと開けた。
「……思にとって、河は不幸しか招かないのかな?」
どう反応するべきか。それに困ってしまう。
苦笑いをしながら全 思風へと手を差し出した。彼はボロボロの状態で起き上がり、河から上がっていく。
「河と相性が悪い人、初めて見たよ。躑躅ちゃんも、そう思わない?」
半ば呆れ顔だ。頭の上にいる蝙蝠をつつき、同意を求める。蝙蝠はきょとんとし、かわいらしく小首を動かしていた。
「ん? 小猫、躑躅って? まさか、その蝙蝠の名前かい?」
「うん、そうだよ。ずっと蝙蝠のままじゃかわいそうだもん。躑躅なら、可愛くていいし」
ねーと、蝙蝠を頭の上から下ろして抱きしめる。蝙蝠も名前をつけられたことを喜び、羽をパタパタとさせていた。
「……小猫、躑躅って、どんな意味なんだい?」
水浸しの服を脱ぎ、筋肉質な肌を晒けだす。濡れた漆黒の髪から滴り落ちる雫と、逞しい体。美しい顔立ちもあってか、全 思風という人物が美丈夫であると知らしめていた。
「……つ、躑躅の花言葉は色によって違う。だけど全体的なもので言うならば【故郷を思う】と、【これからの前途を祝う】かな」
全 思風の美しくも鍛えあげられた見目に、華 閻李は照れてしまう。耳まで赤くはなっていないものの、頬はうっすらと紅に染まっていた。
当然、目ざとい彼がそれを見逃すはずもなく……裸のまま、ぐいっと華 閻李を抱き寄せた。
「……へえ、いい名前だね。私にもつけてほしかったな」
切れ長だけれど、黒水晶のように輝く瞳が子供へと近づく。密着した互いの体は水に濡れたままで、どこかベタついていた。
全 思風の厚くて頼りになる腕が、華 閻李の細腰へと回される。
「ちょっ、ちょっと! 何してるの!? 近い、近いからーー!」
大胆かつ、積極的な全 思風の行動に、子供はたじろいだ。何とかして彼の腕中から逃れそうと踠くが、ピクリともしない。
うーうーと唸り続ければ、ようやく彼の腕が離れていった。
「……その蝙蝠、飼うのかい?」
「うん、そのつもりだよ。可愛いし、人の言葉わかるみたいで賢いんだもん」
凄いよねと、純粋な眼差しを全 思風へと向ける。
彼はそうかと頷く。
「何か思、機嫌悪い? 何で?」
そっぽを向く彼は口を尖らせていた。子供のように頬を膨らませ、近くにある小石を蹴る。
華 閻李は、彼が何にたいしてむくれているのか。それがわからなかった。
「……変な思」
河遊びならぬ、食材集めを済ませ、華 閻李は帰り支度を始める。
脱いでいた服を着直した。ふと、全 思風が何か言いたげな視線を送りつけてきているのに気づく。どうしたのかと尋ねれば、彼は華 閻李の全身を注視していた。
「……ねえ小猫、服、そろそろ新調しない? 流石にボロボロすぎだよ、それは」
子供の漢服は、もともと黄族のものである。しかしお世辞にもきれいとは言えない、あちこち穴だらけ、破れていたりと、いわゆる古着であった。
ただ、それが当たり前として日々を過ごしていたためか、特に気にしてもいない。
全 思風は、このままではいろいろと不便だよと説得した。
「……でも僕、お金持ってないよ?」
「それなら心配いらないよ。私が出すから」
「え? でも、流石にそこまでしてもらうのは……」
気が引ける。そう伝えようとした。
すると彼は、優しく首を左右に振る。
「遠慮はいらない。君は子供で、私は大人だ。子供は大人の庇護下にあるもの。そうだろう?」
「そう、なのかな?」
「自分で稼げない内は、大人に甘えるといい。というか、甘える事を覚えた方がいい」
戸惑う華 閻李の髪に、全 思風の無骨な手が伸びていった。太陽に溶けてしまいそうなほどに細く、眩しく輝く髪をくるくると。太い人差し指に巻きつけていった。
子供を見つめる眼差しは優しい。瓜実顔で端麗な顔立ちも、語りかける声ですら、慈愛に満ちているかのようだった。
華 閻李は、彼の大人の色香に目を見張った。
「……っ!?」
子供は顔を伏せ、手の指先まで体温を上昇させる。乙女のように恥じらいながら視線をキョロキョロと。横目に彼をのぞけば、全 思風は溢れんばかりの笑みを溢していた。
「ふふ、それじゃあ行こうか」
華 閻李の手を取り、歩き出す。
「え? あ、ちょっと……」
──調子狂うな。本当にこの人は大人なのか子供なのか……わからないや。
先を行く逞しい背中に笑みを送り、華 閻李は彼に導かれるがまま進んでいった。




