一時の安らぎ~朝食の準備~
麒麟はとりあえず戻ろうかと提案した。全 思風は腰をあげる。子供の姿を形どる麒麟とともに華 閻李が眠る廃屋へと向かった。
廃屋の中へ入れば、藁の山に埋もれるようにして眠る美しい少年がいる。すやすやと、気持ちよさそうな寝息をたててもいた。
全 思風が普段着ている上着にくるまれながら、丸くなっている。
「小猫、ゆっくりとお休み」
愛し子の顔にかかる銀の髪を退かし、優しい笑みを落とした。
一緒に廃屋へと入ってきた麒麟は、彼の溶けるような笑みに驚く。両腕を首の後ろに回しながら、大きな目をぱちくりと。まるで、あり得ないものでも見ているかのようだ。
首を伸ばして安らかな寝息をたてている華 閻李を見、次に彼を注視する。交互に見張った結果、なにかを察したように目尻が下がった。
「……おい、麒麟。何だ? 言いたい事があるならハッキリと言え」
そんな麒麟を睨みつける全 思風だったが、羞恥心が耳の先を真っ赤に染めていく。普段は冷静沈着を背負っている彼だが、今だけは表情筋がおかしなほどに激しく変化していた。
『ぶっ! あはははっ! ひぃーー!』
お腹を抱えながらのたうち回る。しまいには床をドンドンと叩き、爆笑のしすぎで噎せてしまった。
『じ、じぬうーー! あの、冷酷無比で、何者にも臆さないって言われてる冥界の王様が! 子供一人の前では、ただの甘いおじさんになるとか!』
信じられないと大声で笑い飛ばす。
けれど、当然それは全 思風の望む展開ではなかった。彼は麒麟の頭を掴む。ミシミシという軋む音を楽しみながら、獲物を狩る瞳で微笑した。
『……あ、ヤバ』
麒麟の顔色が悪くなっていく。それでも全 思風は気にすることなく、満面の笑みを送った。
◇ ◇ ◇ ◆ ◆ ◆
廃屋の壁には隙間がある。その隙間から太陽の光が差しこみ、華 閻李は目を覚ました。
寝惚け眼なまま、重たい頭をゆらゆらと。軽くあくびをし、目をこする。
「久しぶりによく寝た気がする。あれ? これって……思の?」
起き上がったとき、華 閻李には黒い漢服か被せられていた。それはともに行動をとっている青年、全 思風の上着である。
けれど本人はここにおらず、どうしたんだろうと周囲を見渡した。
「あ、小猫。目が覚めたんだね。もう、体調はいいのかい?」
ふと、廃屋の入り口の扉が開く。そこから現れた全 思風は、白菜や人参などたくさんの野菜が入った籠を持っていた。
いつもの黒服ではなく、白い下地が健康的な肌に映える。広い肩幅をはじめ、服の上からでも見てとれる筋肉が、彼の体格のよさを表していた。
全 思風は籠を置き、華 閻李の元へと進む。藁の上に腰を下ろし、華 閻李の頬を撫でた。
「……思、それは?」
「ん? ああ、君が助けたきり……雨桐だっけ? あの子が畑に案内してくれてね。たくさん取ってきたんだ」
二人の視線は籠に釘づけとなる。ふと、華 閻李は雨桐という名に反応した。
体ごと全 思風に迫り、あの子は大丈夫なのかと心配する。
「ん? ああ、うん。大丈夫だよ。今は村に戻って、何か残ってないかを探してるみたいだよ」
若干たじろいだ。
華 閻李はそれを聞き、ホッと胸を撫で下ろす。
「……そっか。雨桐は無事だったんだ」
殭屍になってしまった子供が、なぜ人間に戻っているのか。そこまで考える余裕がないのか、ただ、純粋な喜びを表情に乗せていた。
「えっと。それで、その野菜たちはどう調理するの?」
こんもりと、山のように積まれた野菜たち。これらを二人だけで食するのは難しかった。それ以前に調理道具すらない。下手をすれば、そのまま噛る他なかった。
華 閻李は野菜が嫌いではない。けれど、せめて火を通して味つけをしたい。些細なことではあるが、空腹を満たすためには必要だよと呟いた。
「調味料はねえ……私も探してはいるんだけど、それは厳しいかもね。でも、切る事はできるよ」
腰にぶら下げている剣の柄に触れる。
華 閻李は、彼が何を言いたいのか。それを理解した。
「うー! 贅沢は言えないもんね……わかった。切るのはその剣で……あ、その剣、綺麗だよね?」
土や、何かの血で汚れているのは遠慮したい。それは華 閻李だけでははなく、全 思風も同意見だった。
「そうだね。近くに河があったから、そこで洗ってくるよ。ついでに野菜も洗って、魚も捕ってこようかな」
魚という単語に、華 閻李の目はキラキラと輝く。勢いよく立ち、僕も行くと言って、全 思風とともに廃屋を出ていった。




