扉と鍵
危険な状況に見舞われ始めているのは、どこも同じ。例外はない。
雨桐の姿をした麒麟は、そう告げた。
『詳しくは調査とかしてみないとわからないけど。どうにも、各勢力で怪しい動きをしている連中がいるようだよ』
人間の住む、この地上。麒麟が暮らす世界、そして全 思風が治めていると言われている冥界。これらの世界で、それぞれが不穏な動きをしていた。なかには、別勢力で手を組んでいる者もある。
『今まで、よく気づかれずにやってたって思うよ』
だってそうだろと、ぶっきらぼうに口を尖らせた。
『拙みたいな、考えるのが苦手な奴はともかく、あんたのような王様ですら騙せてるんだ』
麒麟は全 思風を王様と呼んでいる。それは、彼が冥界の長であるという事実でもあった。
全 思風は強い。普通の人間はおろか、仙術を持つ者たちですら立ち向かうこと敵わず。剣術も、体術すらも、敵う者を見つける方が難しいのだろう。
何者にも怯まない精神。美しく、それでいて人目をひく出で立ちの彼は、聡明な頭脳すらも合わせ持っていた。冥界という、名前以外は不明な場所においても、彼は絶対強者のまま。
その強さは麒麟の住まう地にまで届いていた。
そんな彼を、唯一谷底へ落とせる存在は全 思風が敬愛してやまない少年、華 閻李だけ。誰もが口を酸っぱくして、そう答えるはずだ。
『よーく考えてみなよ。そんなあんたを出し抜こうって奴が、冥界のどこかにいるんだ』
面白いよなと、他人事として爆笑する。
全 思風は麒麟の言動にイラつき、大きな手で子供の両頬を挟んだ。麒麟はひたすら謝り続け、解放されたときには涙目になっていた。
『せ、拙の事よりも! ……人間側は、この村を血命陣で滅ぼした連中が暗躍してるのは間違いないよ』
この言葉を聞き、全 思風の眉がピクリと反応する。麒麟を凝視した後、視線を逸らして物思いに耽った。
──私の治める冥界には、不審な輩がわんさかいる。それは今も昔も変わらない。それにあそこは何もない場所だ。正直、つまらない。あんな場所で陰気臭い連中に囲まれてるぐらいなら、こっちでのんびり過ごす方がましさ。それに……
「小猫がいるからね。私はあの子を護るために、寂しい想いをさせないために側にいるって決めたから」
瞳は甘く溶け、唇は蠱惑に笑う。しっとりとした口調が目尻を緩ませた。
見たこともないほどに優しい表情をする彼を見て、麒麟は仰天してしまう。
『……えへ。王様はあの子の話をする時は、そんな顔するんだね』
茶化しているわけではなかった。けれど意外なほどに暖かい笑みを目の当たりにし、これが驚かずにいはいられないと、ひときしりの談笑をする。鉄仮面に近かった全 思風の新たな一面を知り、両手を上げて愉しそうにした。
しかし、全 思風は一瞬で切りつめた表情に戻る。麒麟を目視し、チッと舌打ちをした。
「私のことはいい。それよりも、幾つかの勢力で裏切り者が出ているというのが問題だ」
『うん。それについての理由はハッキリしてるよ』
「何!?」
麒麟による思ってもみなかった返答に、全 思風は身を前へと乗り出す。麒麟をこれでもかというほどに睨み、早く言えと急かした。
麒麟は、はいはいと呆れた様子で生返事をする。
『──【冥現の扉】。十年ほど前にそれが、少しだけ開いたんだ。ただ、数秒もしない内に閉じちゃってね。それでも、かなりの騒ぎだったよ』
冥現の扉とは、麒麟や全 思風の故郷と、人間たちの住まうこの地を結ぶ扉のことであった。
麒麟は霊力が強い。そして全 思風も、冥界の王だけあって強力な力を持っていた。しかしそんな彼らであっても、人間界へは迂闊に渡ることができない。
麒麟の場合は雨桐という、魂のない肉体のおかげで人間の世界へと出ることができた。いくつかの偶然が重なり、麒麟は降り立つことに成功する。
『王様がどうしてこっちの世界にいるのかは……』
「秘密だ」
『ですよねー』
軽口を叩く麒麟の額を、全 思風は指で弾いた。遊んでいるわけではないと刺すような視線を送る。
麒麟はブー垂れつつも、咳払いをした。
『──知ってると思うけど冥現の扉は、玉皇上帝が作ったって言われてる。彼は拙を始め、王様やこの世界の人間……宇宙すらも支配下に置いていたって話だ』
霊現の扉は、その偉大な者が作りしものだった。次元、時空すらも飛び越え、ありとあらゆる世界を行き来できるとされている。
扉は玉皇上帝が姿を消して以降、開くこともなかった。それが十年ほど前に動いたとなれば、欲をかいた者たちが狙うのは必然的である。
『完全には開いてないみたいだけど。鍵が見つかってしまうのも、時間の問題だよ』
鍵という言葉に、全 思風の眉はつり上がっていった。しかし麒麟はそれに気づかないようで、つらつらと説明を施していく。
『鍵は物なのか、それともいきものなのか。それすらわかっていない。でも、この村で事件を起こした連中……白い服の人たちは、それを血眼で探してるって話さ』
けれどそれは、白服の者たちだけに限ったことではなかった。麒麟という神獣も、求めているようである。ただ麒麟は、人間のように私利私欲で求めているのではないらしかった。
『今、拙から言えるのは上からの指示ってだけ。見つけ次第捕獲、あるいは保護しろってさ』
よいしょっと、子供の姿らしからぬかけ声をつけて立ち上がる。両腕を伸ばし、大きく伸びをした。
「……お前、これからどうするつもりだい?」
一見すると麒麟を心配するかのように聞こえる。
けれど彼の頭の中は華 閻李のことでいっぱいだ。麒麟が乗っ取ってしまっている幼子がいなくなれば、大切な子である華 閻李が悲しむ。それだけは避けたかった。
それが顔に出てしまったのだろう。麒麟が、はははとお腹を抱えながら大笑いした。
『王様さ、変わったよね? 昔は無表情かつ、なーんにも興味持たなかったのに』
「私の事はいい! それよりもお前は、これからどうするんだ?」
本当は、華 閻李のために麒麟を繋ぎ止めておきたいと思っていた。けれど神獣である麒麟を側に置いておくことは全 思風にとっては、あまり喜ばしくはない。
麒麟はそんな彼の心情を汲み取ったようで、苦く笑んだ。




