空っぽの入れ物と魂
寒さが際立つ十二月の夜。この國──禿──では閉とも呼ばれ、立冬となっていた。
そんな冬の空は暗い。されど、全 思風は、凍える様子がなかった。それどころか、中衣一枚だけでも寒いとは感じない。
「──あれ? 王様、上着は?」
全 思風とともに夜を楽しんでいるのは、年端もいかぬ子供だ。こちらも布一枚のみという格好にも関わらず、冬の寒さをもろともしていない。
子供は雨桐という名で、殭屍に変えられてしまっていた。生きたまま死を体験し、村では人知を越えた出来事にも見舞われた。最終的には華 閻李の決死の術によって、雨桐のみ救い出された。
しかし救い出された子供は、とても大人びている。言い方を変えるならば、本当に本人なのかという疑問すら沸くほどに屈託していた。
「……お前、小猫が助けたいって願った子供じゃないだろ?」
全 思風は子供を見、あることを思い做す。
腰にかけてある剣の柄を握った。子供でしかない雨桐を、冷めた眼差しで見下ろす。
雨桐は肩で笑い、おお怖い怖いとおちょくってきた。
「あー……拙は争いたくないんだ。というか、王様に逆らうほど愚かじゃないからねえ」
真意の掴めぬ笑顔を浮かべる。両手を挙げて参ったと伝えた。
「じゃあ、正体を言ったらどうだい? 私の気が変わらぬ内に──」
怒気混じりの声は、雨桐に軽い悲鳴をあげさせる。雨桐は顔が青ざめ、身を縮ませていった。待った待ったと慌てながら土下座し、子供の瞳に涙を溜める。
全 思風は子供の頭をガシッと掴んだ。乱暴に、強く掴んだせいか、ミシミシとした音が聞こえてくる。
けれど彼はそんなの知らないと、力をこめていった。
「ちょっとぉーー! 脳がもげるぅーー! わかった、わかったよ。話しますからーー!」
叫びも虚しく、空へと放り投げられてしまう。
幼気な子供を空へと投げた本人の全 思風は、ふんっと鼻で嗤った。少しばかりほどけてしまった三つ編みを後ろへと払い、踵を返す。
──ああ、早く小猫の元へ行かなきゃ。寝ている小猫が風邪をひかぬよう、私の服を被せてあげたけど……。
早く私自身で暖めてあげたい。
そんな欲望を晒け出した。
いつになくにやけた口元をしながら、彼は廃屋へと足を向ける。しかし……
「……っ!?」
瞬間、上空から目映い光が降りてきた。夜には似つかわしくない輝きで、全 思風は思わず両目をつぶってしまう。
『──いやあ、子供にも容赦しないって……王様は残酷な人だねえー』
子供のかん高い声が夜空に響いた。
全 思風は振り向き、細く尖った目つきで声の主を注視する。
見上げた先にいるのは雨桐の見目をした、別の何かだ。
『神獣でなければ死んでいたところだよ』
両足は黄色い焔をまとい、お尻から爬虫類の尻尾のようなものが生えている。
破れかけている布から垣間見れる細い両腕には、鱗だろうか。焔と同じ色合いの、体表を覆う硬質の小片だ。それは首筋、頬にもついている。
瞳は獣のように瞳孔が細くなっていた。黒だったはずの髪は浅葱色になり、この者が黄を携えているということがわかる。
「……まさか、麒麟だったとはね」
【麒麟】
泰平の世に現れる。獣類の長であり、同じ鳥類の長の鳳凰とは対に扱われることが多かった。
応龍が建馬を、建馬は麒麟を生む。そして麒麟は諸獣を誕生させた。
比較対象である鳳凰は鸞鳥を生む。しかし鸞鳥が諸鳥を生んだという説もあり、麒麟と対となるのは鸞鳥ではないかという話もあった。
それが万世に伝わる、麒麟の伝説である。
冷静さを保ったまま、全 思風は淡々と語りながらため息をついた。
『間違ってはいないよ。拙は諸鳥を生み落とした事があるしね。だけど、鳳凰も同じ事をしたからなあ』
雨桐の姿をした麒麟と呼ばれる者は静かに地上へ降り立つ。ふわりと着地すれば、焔が地中へと消えていった。
『──まあそれは置いておいて。聞きたい事があるんだろう?』
自らを麒麟と名乗る子供は、その場でがに股になる。鼻をほじくり、お尻をボリボリと掻いた。その様は、とても格式高い神獣とは思えぬがさつぶりである。
しかし全 思風は気にすることなく、端麗な顔に無表情を乗せた。
「なぜ、子供のふりをしていた? 私の小猫を騙すなど……笑止千万!」
かつてないほどの怒気を顕す。凄まじいほどの圧に耐えられなかった木は、一瞬で根元から折れていった。近くを飛んでいた鳥は気を失い、ボトボトと音をたてて地上へと落下。
野良猫や犬などは、尻尾を太くさせながら逃げていってしまう。
『……ち、ちょっ! ちょっと、落ち着いてよ王様! ちゃんと一から説明するから!』
起き上がり、怒りに身を任せている全 思風を止めた。
全思風は麒麟をひと睨みし、そっぽを向く。
『や、やり辛いなあ、この王様……あー、こほん。初めから説明するよ? 拙は、君の大切にしているあの子を騙すとかはしてない。だって拙は、この体が殭屍から人間に戻った時に、出てきたんだから』
「……どういう意味だ?」
『えっと、ね……』
村が血の池に歠まれた時、この体の持ち主も一緒に沈んでいった。けれど華 閻李の不思議な能力により、体の分解は免れる。そして何らかの理由により、雨桐は人間に戻ることとなった。けれど魂は既になく、器だけの空っぽな存在……即ち、死んでいた。
麒麟はこれ幸いにと、その時に雨桐という子供の体に自身の魂を移す。そこから先は今に至るのだと、無邪気に笑いながら説明をしていった。
『もうこの体の持ち主の魂は、殭屍になった時点で死んでいたんだ。だけど人間に戻った時、僅かではあるけど、拙と繋がったんだ』
どう繋がったかの説明は、したところで理解はしてもらえない。麒麟はそう言い、全 思風に教えた。
「事情はわかった。お前が、小猫を騙していたという事ではないという事実もな。ただ……」
なぜ、この地上に出てきたのか。それを問う。
麒麟は言いにくそうに眉をしかめた。
『……拙が暮らしているのは、こことは違う世界。それは知ってるよね?』
「ああ、私もお前と同じ、こちら側の住人ではないからね」
二人ともに、違う世界から訪れた。これだけの衝撃発言をしたにも関わらず、この場では誰も驚く者がいない。
それを少々寂しく思う全 思風だったが、話を横に逸らすことなく進めた。
麒麟と対等に話すため、その場に座る。
『拙の住んでる世界で、異変が起きてるんだ。命を繋ぐ水は枯れ、生物の運命を司る木の葉が茶色くなってしまった』
「……すまないが、その辺りは私にはわからない。つまりは何が言いたい?」
まどろっこしいのは抜きだと、神妙な面持ちを麒麟に投げた。
麒麟は頷き、大きな両目を瞬かせる。そして高い声のまま、大人びた表情で口述する。
『単刀直入に言うよ。世界のバランスが崩れ始めている。それは、この世界だけじゃない。拙の住む場所も、そして……』
必要以上に大きく深呼吸した。
『あなたが治める冥界も、ね──』




