隠された姿
戌の刻
20時
ホーホーと、ふくろうの鳴き声が静寂の中を走る。
空には月明かりが妖しく輝き、数多もの星が浮いていた。星々は天の川を作り、終わりのない道を宵闇へと忍ばせていた。
そんな夜の※戌の刻。
殭屍事件によって滅んだ枌洋の村から少し離れた場所に、誰も使っていない廃屋があった。屋根や外壁はボロボロで、蔦が絡みついている。
中には家具などはいっさなかった。代わりに藁が山のように積まれている。
その藁の上に美しい銀髪を持つ端麗な顔立ちの子供、華 閻李が眠っていた。横向きになり身を縮め、苦しそうに唸っている。
隣では、華 閻李より小さな子供が一緒に寝そべっていた。少年に包まれているかのように、小さな体を彼に預けている。
「…………」
眠る子供を抱きしめている華 閻李の隣には三つ編みの男──全 思風──がいた。彼は藁に寄りかかり、無表情で天井を見上げている。
──小猫が無事でよかった。怪我もしていないようだし、安心した。でも……
両目を細めた。鋭い眼差しで凝視しているのは華 閻李ではない。一緒に寝ている子供だった。
身を起こし、うなされている少年の額に触れる。そして愛しい子が抱擁している子供へと目を向けた。
──この子供は殭屍だったはず。だけど今は人間に戻っている。どういう事だ?
一度殭屍になってしまった者は、二度と人間へ戻ることはない。その方法すらなく、誰もが諦めるしかないのが現状であった。
にも関わらず、子供は人間の姿でいる。これが何を意味しているのか。
全 思風の心は不安ではなく、疑問だけが埋め尽くしていった。
「私が戻って来た時、小猫は気を失って倒れていた。その上に、この子供が乗っかっていたわけだけど……」
森で白服の男と遊んでいたのがいけなかったのかと、後悔ばかりが先走る。華 閻李から手を離し、再び藁に身を寄せた。
「あの白服のせいで、小猫の新たな一面を見逃してしまったじゃないか! 今度白服のやつ見かけたら、腹いせにいたぶってやろうか」
聞く相手すらいない愚痴を溢す。
ふと、隣で眠っている華 閻李が微かに動いた。
全 思風は急いで体を起こし、華 閻李を見つめる。何度も小猫と呼び続ければ、子供の瞼がゆっくりと開いていった。
「小猫、気がついたのかい!?」
華 閻李の大きな瞳と目が合うなり、彼は微笑む。
「……小猫じゃないし。僕は、華 閻李だもん」
寝て、体力が回復したのだろう。華 閻李の頬はうっすらと紅色に染まっていた。口を尖らせて呼び方に文句をつける。うーと眠たそうに、気だるげに動いた。
両手を伸ばし、全 思風に起こしてと甘える。
彼は一瞬だけ驚いた様子になった。
けれど寝ぼけ眼な状態でしか甘えられないであろう華 閻李の気持ちを汲み、「しょうがないなあ」と微笑する。
ただ、表情は冷めていなかった。むしろ、感情が緩みきっている。瞳も口も、全 思風のどこもかしこもが、甘くとろける表情になっている。
──ああ、幸せだ。普段あんなにツンケンしてるのに、小猫はこういう時だけ甘えてくるんだよね。
至福の時間に酔いしれ、悦った。
「……? 思、何かあったの?」
「いいや、何もないよ」
華 閻李は自らの行動を制御しきれていないのだろう。
無意識に甘えてくる姿に、全 思風の心は晴れ晴れとしていった。けれどすぐに真剣な面持ちへと切り替える。
華 閻李と、隣で眠る子供に視線を走らせた。
「……ねえ小猫、私が白服の男を追いかけている間に何があったの?」
森の中で見た輝きは一生忘れられない。しかしそれとは別に、子供が元に戻ったという事実への驚愕を顕にした。
首にかかる長い三つ編みを払う。
大きな瞳で見上げてくる華 閻李を注視した。教えてくれないかいと優しく尋ねる。
華 閻李の眉は困惑を交えてしまった。
「えっと、僕が花を操れるのは知ってるよね?」
「ああ、それは知ってるよ。出会った時もそうだったし、森の中で私が見た眩しい光。……もしかしてあれも、花だったりするの?」
「うん、あれは彼岸花だよ。あの花の毒で村の血の池を吸い上……げ……っ!?」
華 閻李は頷く。その時、何かに驚いたかのように立ち上がった。
「え!? ゆ、雨桐!?」
息をしているのか、それが心配になったよう。首もとで脈を測った。トクン、トクンと、ゆっくりだが脈があることに安堵の息をもらす。
「な、何で雨桐が!? それにこの姿って……人間、だよね? 思が戻してくれたの?」
どうして人間に戻っているのか。それを全 思風へ問うた。
全 思風は腕組みし、ゆっくりと首を左右に振る。
「確かに人間だよ。というか、戻ってるよね。ただ、元に戻したのは私ではないよ。そんな芸当できないからね」
不思議だよねと呟き、藁の上に寝転がった。そんな己をのぞきこむ華 閻李の銀髪は、細く煌めいている。
全 思風は垂れていた少年の髪を手に取り、指に巻きつけていった。けれど細すぎるのか、あっという間にほどけてしまう。
「私が戻って来た時には、小猫が倒れていたんだ。しかも、その子供は人間の姿に戻っているというオマケつきでね」
情報が足りないどころの話ではなかった。
当事者である華 閻李を見上げ、視線だけで尋ねる。
「……ごめん、わかんない。雨桐に喉を噛まれそうになったところまでの記憶はあるんだけど、それ以降は……」
二人は、すやすやと眠る子供を推し量ってみた。
布一枚をかろうじて着ている子供は、髪も体もホコリだらけである。唯一きれいな部分をあげるならば、華 閻李が送った花の簪だけだった。
「雨桐が無事なら、細かい事は気にしなくてもいいかもって思うけど……思的には、そうはいかないんでしょ?」
「そうだね。私はこの子供の事を知らないし、小猫のように気にかける理由もないから。あるとするならそれは……って、小猫、眠いのかい?」
最後まで言葉を繋げようとするも、華 閻李があくびで遮ってしまう。
全 思風は怒るどころか、ふふっと微笑んだ。
「もう、夜だからね。子供は寝る時間だ。小猫、君はもう寝なさい」
うとうととし始めている華 閻李の頬を撫で、眠りへと誘う。
華 閻李は瞼をこすりながら、もそもそと藁の上に倒れこんだ。数秒もしないうちに華 閻李から寝息が聞こえ始める。
彼は華 閻李の手のひらに軽く、お休みの口づけをした。
ふと、笑顔を消す。おもむろに腰の剣へと手を置き、鞘から抜いた。それを迷いもなく、華 閻李の隣で眠る雨桐へと振り落とさんとする。
「──おいおい、止めてくれよ。血生臭い事は性に合わないんだ」
瞬間、眠っていたはずの子供の口から声が発せられた。その声は子供というにはあまりにも低く、野太い。何よりも、年端もいかぬ子供の口調とは思えなかった。
「お前、何者だ。それにこの気配……凄く、イラつく気配なんだけと?」
全 思風は警戒を緩めず、雨桐を睨む。
「はは、そう睨みなさんなって。拙はあんたとは真逆の存在だからな。嫌悪したって仕方ない、か」
雨桐のような、そうでない子供は、肩をすくませた。全 思風とのやり取りに対し、多少の苦言を眉に乗せている。
そんななか、唯一眠る華 閻李が寝返りをうった。寝息をたてながら藁の何本かを、抱き枕にする。
「男前なお兄さん、外に出て話そうか?」
「……わかった」
雨桐の提案を受け入れた全 思風は、華 閻李を起こさぬように静かに外へと出ていった。




