花の舞
何がいけなかったのか。ふと、華 閻李の脳裏にそんな考えが浮かんだ。
殭屍騒動に見舞われた村のその後を放置していたからか。
殭屍になった者は、もう人間には戻れない。それを知っていながら、無事だった人たちを村に置いてしまったからか──
「……っ!?」
華 閻李は目頭を熱くし、村全体を悲痛な眼差しで見張った。
村全体に広がったのは血の池である。建物や村人だった者たち、木々ですら、血中へと埋まってしまっていた。そのなかには華 閻李が気にしていた子供──雨桐──も含まれている。
「せめて、あの子だけでも助けられたら……」
大きな両目から一粒の雫が滴り落ちた。それは額の汗と混ざり、村の上空にある彼岸花へと落下する。
すると朱く、夕陽のように燃える大きな彼岸花は恵みの水を受け、より一層の輝きを増していった。
しかし……
彼岸花の輝きは弱まってしまう。バランスを崩し、斜めになってゆっくりと転落していった。花びらはもげ、雌しべと雄しべは抜け落ちていく。
「……お願い、彼岸花。僕の気持ちに答えて! 村を救えなかった、小さな子供すら護れなかった僕に……」
両手を前に突き出した。手が汗ばむ。額にひっついた髪が気持ち悪い。
それでもやり遂げたかった。
瞳に映るのは、殭屍に成り果ててしまった子供。血の池に体半分以上を取られてしまっても、なおも動き続けている。けれど言葉は発しない。
「少しでいいから、力を貸して!」
喉の奥から叫んだ。瞬間、彼岸花はのっそりとではあるが、元の位置へと戻っていく。
「……ありがとう、彼岸花」
負担が減ったのを見計らい、急いで宙に印を描いていった。
数秒後に出来上がったそれは六芒星の陣である。
華 閻李は迷いなく陣を彼岸花へとぶつけた。陣を受けた彼岸花は一瞬だけ、さわさわと揺れる。それはすぐに止まり、大きさを感じさせない勢いで血の池へと沈下していった。
音すらしない落下を成功させ、村全体に広がっていた血を一気に吸い上げていく。
しばらくすると血の池が嘘だったかのように、村から鉄錆色は消えてなくなっていた。
華 閻李はそれを吸いつくした彼岸花に、ありがとうと告げる。役目を終えた彼岸花は蛍火となって空高く飛んでいった。
「……やっ、た」
疲労からくる息苦しさに耐えながら空を見上げる。
遠くの空は既に暗く、真上には夕焼け雲が浮いていた。
「…………」
視線を村へと移す。
建物の殆んどは消えてなくなっている。殭屍へと変わってしまった人も、自然すらなくなっていた。それでも僅かに残っている家屋の欠片が、ここに人が住んでいたことを証明している。
華 閻李は涙を拭い、唇を噛みしめた。
「……やっぱり、助けられなかった。僕、無力だなぁ」
乾いた笑みと同時に、両目から雫が溢れる。声を押し殺して泣き続けた。何度もごめんなさいと謝り、雨桐の名を呼び続ける。
長い銀の髪が絡みつこうとも、服が泥まみれになろうとも、華 閻李は一人の子供のために感情を爆発させた。
血の池に歠まれ、一人として生きてはいない。魂もここになければ、体もありはしない。
嘆くことしかできず、華 閻李の目からは涙が止まることはなかった。
いくぶんたったのだろうか。月が出始めた頃、華 閻李は顔を拭いた。唇を噛みしめ、両頬を強く叩く。
「……っ」
──それでも僕は、ずっと泣いているわけにはいかない。雨桐のような犠牲者を生まないために僕は、強くなってやる!
泣いてスッキリしたとは言えない。それでも立ち止まってはいられないんだと、涙で引っついた瞼を無理やり開けた。
安全な位置にいた自身を村の中心へと飛ばす。
降り立った場所には何もなく、荒れ地と化していた。それでも何か残っていないかと、周囲を見渡す。
その時だった。全壊と言ってもいいほどに崩れた家屋の瓦礫が、風もないのに動く。
「……っ!?」
驚きながら黒い花を具現化させ警戒した。眉に緊張を乗せ、息を止める。
──もしかして誰か、いるのかな? 生き残ってくれたらって思うけど……。
小さな願望を胸に、用心しながら近づいた。
ガラガラと、瓦礫が動く。
「……だ、誰っ!? ……っ!?」
瓦礫を至近距離に捉えた瞬間、そこから蒼白い手が伸びてきた。
華 閻李は素早く後退する。
トクン、トクンと、自身の心臓音が妙に高く聞こえた。震える体を、ガクガクとする足が支える。
「殭屍!」
村がどんなに絶望的な結末を迎えたとしても、殭屍を放置することは避けたかった。
無理やり意識を殭屍へと向ける。
「生き残っていてくれてありがとう。でも、殭屍では駄目なんだ」
人としての生を終わらせ、屍となった者たち。それに哀れみや躊躇など向けてはならない。油断すれば、自身が彼らの仲間入りしてしまうからだ。
華 閻李は心を鬼にし、黒い花を放つ。花は一直線に瓦礫から出ている手へと飛んでいった。
『が、があぁー!』
黒い花に触れた手は、みるみるうちに溶けていく。
耳をつんざくほどの雄叫びをあげながら、手は力任せに瓦礫を退けた。
そこから現れたのは一体の殭屍だ。下着だけを着た殭屍ではあったが、華 閻李よりも幼い。その殭屍は頭に花の髪飾りをつけていた。
「…………え?」
華 閻李は言葉を喪う。
「雨……桐?」
そう。
現れたのは他でもない、華 閻李が命を削ってでも助けたかった子供だったのだ。
華 閻李は今まで以上に震えあがる。それは恐怖ではなかった。唯一この場に残ってくれていたという事実が、嬉しくてたまらなかったからだ。
それでも相手は殭屍である。一瞬の隙を見せただけでも襲いかかってくるのだ。それをわかってはいても、華 閻李は動くことができない。
殭屍はこれ幸いにと、華 閻李の眼前まで迫った。隙だらけの彼の体を押し倒し、その上に乗り上げる。
当然のように華 閻李は抵抗した。けれど子供と言えど殭屍である雨桐は、腕力が異常なまでに高い。非力な華 閻李では、到底敵うわけがなかった。
──いいんだこれで。この子の命を助けれなかった僕の、せめてもの罪滅ぼしだから。
殭屍の牙が喉元に迫った。それでも華 閻李は抵抗せず、諦めたかのように両目を閉じる。
華 閻李は微笑みながら一筋の涙を流し、意識を飛ばした──




