毒花の舞
どこからともなく吹き荒れる冷たい風が、華 閻李の体を打ちつける。それでも、同じ土俵に立つことすら厭わしい白服の男を無言で睨みつけた。
「……最低」
大きな瞳に嫌悪感を乗せ、白服の男へ吐き捨てる。怒りで震える拳を携え、顔を伏せた。
「ああ、なるほどね。それで気配はするけど、姿が見えなかったのか。小猫の言葉を借りるわけじゃないけど、お前……」
華 閻李の肩を抱き寄せ、月を落とした瞳で白服の男を推し量る。
「──冥界に寝返ったのか?」
華 閻李と語らう時の声とは真逆で、とても冷めていた。
木々に留まって体を休めている鳥たちが飛び去っていくのを知っても、彼の冷然たる姿勢は変わらない。むしろ、眼前にいる人間を羽虫としてしか見ていないかのよう。
「冥界? ……っ!?」
華 閻李は頭上から降ってくる低い声に、体をびくりとさせた。見上げればそこには、いつもの全 思風とは違う、濃い闇色を纏う青年がいる。
ふと、彼が華 閻李の視線に気づいた。けれどいつもと同じ優しさに満ちた笑みを浮かべている。
それにホッとした華 閻李は「何でもないよ」と、恐怖を我慢して首を振った。
「め、冥界って何?」
恐る恐る聞いてみる。
全 思風は華 閻李が震えているのを知り、怖がらせてごめんねと、頭を撫でた。
「小猫は、人が死んだらどこへ行くか知っているかい?」
「え? えっと確か、あの世?」
本当にあの世という世界があるのか。華 閻李は小動物のようにかわいらしく目を丸くした。
「うーん……当たらずとも遠からず、かな? 冥界は死んだ者の魂が辿り着く場所でもあるから」
それ以上は口にしない。口を閉ざす、と言った方が正しいのだろう。全 思風は両目を軽く瞑り、側にある枝から葉っぱをもぎ取った。それにふっと息を吹きかけば、葉は細長い剣となる。
「冥界云々はこの際置いておくとして……仲間を屍に変えて優越感に浸ってるやり方は、気に食わないなあ」
白服の男へと牽制する。
それでも白服の男は不敵な笑みを絶やすことはなかった。親指から出ている血を拭うことをしないどころか、爪を食いこませてさらに傷を深くさせる。
やがて、滴り落ちる赤黒い液を宙へと投げ捨てた。次第にそれは何かの紋様となっていく。
白服の男の口からは嘲笑う雄叫びが飛び出た。狂ったように両目を血走らせ、両手で素早く印を結んでいく。
「……へえ、自身をも血命陣の餌食にするつもりか。だけど……そうはさせない!」
白服の男が何をしているのか。全 思風悟り、右手に金色の剣を、左手には細長い剣を持って、靴の裏を擦る。目にも止まらぬ敏速さで、枝を蹴った。
全 思風は体ごと白服の男へと向かっていく。
細長い剣で何閃も空を斬り、金色の剣は白服の男へと突き上げた。
「小猫! 君はそこから動かないで! こいつは、私が切り刻んでみようと思うから」
まるで、野菜でも切るかのような言い方である。
彼の切っ先は一閃、二閃と、数えることすら叶わぬほどに動きが見えなかった。
ただ、白服の男は寸でのところで避けている。避けきれぬものは体に傷となって残っていくが、全 思風の動きにはついてきているようだった。
攻防戦を繰り広げる二人は少しずつ村から離れていく。やがて近くにあった森の中へと姿を消していった。
残された華 閻李は、どうしようかと悩む。
──思、本当に強いなあ。それに比べて僕は……
何もできない。
傍観者でいるしかできないことに歯痒さを覚えた。それでもと前を見据える。
「僕だって……僕にだってできる事、あるはずだよ」
泣き虫で弱虫。そんな自分を叱るかのように、自らの両頬を叩いた。頭の上に蝙蝠を乗せ、風のように軽い足取りで木から降りていく。
「村全体が血の池になってしまってる以上、ここから先には近づけない。となると……」
周囲を見渡した。
血の池に呑まれている村ではあったが、家屋の何軒かは屋根だけが残っている。そこに飛び乗り、左手を前に翳した。
美しい銀の髪がゆらり、またゆらりと、穏やかに揺れる。
「──我、汝らを救いたき者。毒を持ちて、村を埋める朱き色を浄化せよ!」
大きな瞳を開いた。
その時、翳した先が淡く光る。輝きはさざ波の音をたて、姿形を成していく。
やがて光は収まった。キラキラとした粒子が雪のように降っている。
光の中から現れたのは、巨大な一輪の花だった。村を覆うほどに大きな姿でありながら、朱を詰めたかのように深紅色である。花の中心にある雄しべや雌しべが、風もないのに小刻みに動いた。
「…………」
左手を上げた。白くて長い指を、身長よりも高く伸ばす。
長いまつ毛の下から見えるは蠱惑な艶。端麗な顔立ちに浮かぶのは妖艶な笑み。
「血命陣を消す事は叶わなくとも、血の池をなくすのならできる。だってこの花は……」
中性的で、魅惑な声音が静かに響いた。
「彼岸花なのだから──」
上げた左手を振り下ろす。すると巨大な花は淡く光る粒子を纏いながら、ゆっくりと村へと吸いこまれていった。




