殭屍《キョンシー》を連れて
公里
キロメートル
動く死体である殭屍は、彼らの行く手を阻んだ。それは一体や二体だけではない。次々と現れては群がっていった。
まるで、先へは通さないと言わんばかりに道を塞いでいく。
「……ど、どうして殭屍がここに!? ここから夔山へは、※五公里はあるはずなのに!」
華 閻李の瞳は不安で押し潰されていった。定まらぬ視線が殭屍たちを見張る。全 思風に抱かれた体は震え、美しく輝く髪が汗で濡れていった。
そんな子供を抱きしめている彼は、静かに殭屍たちを黙視する。
「殭屍はどこにでも現れる。そんなに珍しくはないんだ。それなのに……小猫、本当にどうしたの?」
子供は震え続けていた。瞳を揺らしながら「どうして、どうして」と、嘆いている。
「小猫、いったいどうし……っ!?」
全 思風が声をかけた最中、子供の様子が豹変した。
音もなく立ち上がり、裸足のまま荷台から降りてしまう。彼が静止しようとしても、その声すら耳に入らぬようだった。ふらふらとしたおぼつかぬ足取りで、殭屍の群れの前に立つ。
「小猫! 何をしているんだ!?」
彼はいつになく慌てふためいた。視点が定まらぬ華 閻李の肩を掴み、急いで己の背中に隠す。軽率な行動を取る少年を叱ることはなかったものの、舌打ちで苛立ちを表していた。
そのとき、華 閻李が顔を上げる。眉根は下がり、瞳は憂いている。かさついている小さな唇はピリッと、僅かな音をたてて開いた。
「……雨桐」
細く声に合わせるのは誰かの名である。
子供が見る先にいるのは殭屍の集団だ。その中の左端を、瞬きすらも忘れて見入っている。
全 思風の腕を少しだけ振り切り、たった一人の殭屍を凝望した。
殭屍に成り果てた者は皆、肌が青くなっている。大人も子供も、男や女関係なく、生きる屍として、虚ろな眼差しをしていた。
きれいに結っていたであろう髪はボサボサで、服に至ってはただの布と化している。靴を履いていない者もいれば、上半身裸の子供も存在していた。
そんな集団の左隅に、小さな女の子がいる。華 閻李よりも幼く、まだ五、六歳といったところか。桃色の漢服に包まれた、かわいらしい少女だ。黒髪を結っている髪飾りは美しい山茶花で、かろうじて儚さを保っている。
「あの山茶花の花飾り、僕が作ってあげたやつなんだ。あの子は前に村に行った時、数少ない正常者だった。両親が殭屍になってしまっても、生き残っていた村人たちと隠れていたんだ」
黄 沐阳と村へ訪れた時、村人のほとんどが殭屍に変わっていた。けれど雨桐含む数名は生きており、華 閻李たちが救出する。
黄 沐阳が配下を引き連れて殭屍を退治している時に、子供は雨桐という少女に贈り物をした。
それが、少女が頭につけている山茶花の髪飾りである。
「あの花をあげた時、雨桐はすごく喜んでたんだ」
事件が一段落した後、数人は生き残っていた。彼らは村を離れることを惜しみ、ここで暮らし続けると断言する。亡くなった村人たちを華 閻李とともに埋葬し、事件は無事に解決。
そう思ったから戻ってきたのだと、子供は涙を堪えた。
「殭屍になってしまったら、人間には戻れない。首を刎ねるか、札で動きを封じて棺の中で永遠に眠らせるか。それしかないって聞いた」
そうなのと、震える声で全 思風へ問う。
彼は華 閻李を優しく抱きしめ、無言で殭屍たちに睨みを利かせた。
すると不思議なことに殭屍たちは身震いし、その場で膝を折っていく。
「確かに君の言う通り、彼らを助ける術はないね。唯一の救いは死だけ。それ以外はないのだろう」
殭屍の不可解な行動に臆するどころこか、慣れた様子で微笑んだ。
「私も、救う方法を探してはいるんだ。だけど、個人では限界というのもがある」
動かなくなった殭屍たちを前を、余裕顔で歩く。両手を後ろで組みながら、一体一体の殭屍たちを確認した。首筋や手のひらなどに触れ、ふふっと口角をつり上げる。一体の殭屍の手を取り、そこにある深紅の何かを凝視した。
「小猫、見てごらん。血晶石がある」
殭屍の手のひらを見るように勧める。するとそこには、深紅の宝石のような物が埋まっていた。キラキラとしているそれは薔薇のような形をしている。
華 閻李は潤み始めている目を擦り、涙を吹き飛ばした。言われるがまま、恐る恐る殭屍へと近づく。
「……思、他の殭屍たちにもあるのかな?」
他と言いつつ、華 閻李の視線は常に雨桐へ注がれていた。
全 思風は肩でため息をつく。子供が心配してやまない少女の殭屍の手のひらを観た。しかし雨桐の手のひらには何もない。
「ということは、首筋だろうね」
迷うことなく、少女の首元を見定める。するとそこには他の殭屍たちと同じ、血晶石が浮かんでいた。
「やはり、あったか。小猫が心を痛めているようだから、この子だけでも元に戻してあげたいけど……だけど、私では絶対に無理なんだ」
意味深めいた言葉を空気に乗せる。どこか悲しげに、苦みのある笑みをしていた。
彼の余裕とは程遠い、寂しげな瞳に、華 閻李は驚く。
──この人、こんな顔もするんだ。でも、何で絶対になんて言うんだろう? 方法がないから? だけどそれなら、私ではなんて言わないはず。
全 思風という男の謎が、紐解かれるどころか深くなっていく。
華 閻李は、どう返事をするべきか悩んでしまった。何かを言わなくてはと、悩んだ挙げ句に口を開きかける。瞬間、彼は両手を軽く叩いた。
すると殭屍たちは一斉に立ち上がる。
「えっ!?」
嘘でしょと言葉を繋げようとした直後、全 思風によって横抱きにされてしまった。
「え? えっと……?」
なぜ今、横抱きにされているのか。華 閻李は疑問で頭がいっぱいになる。見上げた先には、全 思風の整った顔があった。先ほど、一瞬だけでも見せた悲痛な表情は消えている。それどころか、幸せいっぱいといった様子だ。
「ここで考査するより、直接村に行った方が早いよね? さあ小猫、私と二度目の逢瀬を楽しもうか」
満面の笑顔に加え、とても弾んだ声で語る。
片足をゆっくりと上げ、地面を強く叩いた。瞬間、意思を持たぬはずの殭屍がドスンドスンと音をたて、動き出す。
その殭屍たちに続いて、子供を横抱きにした彼が後をついていった。




