甘い男
逢瀬
いわゆるデート
──何だろうう。すごく懐かしい香りがする。
華 閻李は重たい瞼を無理やり開けた。ズキズキと痛む脳を働かせる。ふと、首から上だけが浮いているという感覚に見舞われた。
なぜだろうかと、視線だけを動かす。
「──あ、気がついたかい?」
思いもよらぬ声が頭上から聞こえた。
華 閻李は驚きのあまり、目眩を忘れて起き上がってしまう。当然のように視界がぐらつき、ふらりと横に倒れてしまった。
「おっと。急に動いちゃダメだよ」
声の主は華 閻李の体を支える。
──え? だ、誰? な、何で僕はこの人の膝で寝てたの? あれ? でもこの人って……
恥ずかしさと動揺を隠し、声の主の顔を見た。
宵闇のように長い黒髪を三つ編みした男だ。女性の黄色い声が聞こえそうなほどに目鼻立ちは整っている。
華 閻李とは違い、健康的な肌色をしていた。体格はよく、服に隠されていようとも、大きな肩幅から見てとれる。
「……えっと、町で会ったあの人?」
突然声をかけてきて、人攫い顔負けに屋根上の散歩を促した。そしてあっという間に姿を消し、華 閻李の心に少しだけ疑問を残した男である。
次第に体を縛っていた目眩がなくなっていく。眼前の男に手を貸してもらいながゆっくりと起き上がった。
「ふふ、うん。そうだよ。あの時の散歩はどうだった? 私は、君と初逢瀬出来て幸せいっぱいだったけどね」
美しい見目に見合わない言動が飛び交う。華 閻李の小さな手を優しく撫でた。瞳をとろけさせながら微笑み、子供を壊れ物のように扱った。
華 閻李は彼の放った言葉に小首を傾げる。銀の髪はさらりと流れ、大きな目とともに男を直視した。
すると男はうっと言葉を詰まらせ、下を向いてしまう。華 閻李がどうしたのと尋ねながら男の顔をのぞけば、彼は視線を逸らした。そして天を仰ぎ見、子供の両肩を軽く叩く。
「これぞ、至福の時!」
男の頬には嬉し涙が伝っていた。
しかし華 閻李には、彼が何をして、何を想っているのか理解できなかった。ただ、大きな目を瞬きさせている。
「次の※逢瀬はどこでしようか!?」
「……逢瀬? 僕、あなたと逢瀬した記憶ありませんけど?」
華 閻李は迷いなく答える。男は衝撃を浮け、その場で四つん這いになってしまった。絶望したかのように真っ青になり、捨てられた仔犬かと思えるほどに涙を流す。
男の、あまりにも大袈裟な態度に華 閻李は困惑した。全く知りもしない他人であり、そこまで感情移入できる相手ではないからだ。
それでも男は真剣に子供の手を握り、「あんなに楽しかった逢瀬を忘れたのかい!?」と、真剣な面持ちで迫りくる。
「え? ……あの。それよりも、あなたは一体……」
「ん? ああ、そうだった。自己紹介がまだだったね。私は全 思風、思と、気軽に呼んでくれて構わないよ」
男は華 閻李の頭についた花びらを取って、笑顔を浮かべた。その笑みは怖くはない。けれど見透かされてしまうような……そんな微笑みですらあった。
華 閻李は警戒心を眉に乗せ、口を閉じる。突然現れた男をじっと見つめ、頭の先から足元まで視線を伸ばした。
男は年上のよう。黒髪を三つ編みにし、それを後ろでまとめていた。大きな肩幅に負けないほどに厚い髪のようで、風に揺れることはなかった。
そんな男は華 閻李から視線を外すことなく、微笑み続けている。
「……えっと、全 思風さ……」
「思だよ」
「す、思さ」
「呼び捨てがいいな」
「…………」
何ともわがままか。
全 思風という男は見た目の美しさに反し、とても我が強かった。
華 閻李はあきれたため息をつく。けれど倒れた自分を助けてくれたという恩もあるため、とりあえずは折れてあげよう。と、大人な姿勢で対応した。
「わかりました。じゃあ思、まずは助けてくれてありがとう」
長く垂れた前髪を横に寄せ、柔らかく笑む。その見目は麗しく、銀の髪も相まって儚げだ。
「……あ、ああ、うん。ど、どういたしまして」
全 思風は慌てながら自身の三つ編みを弄る。そんな彼の耳を見れば、先まで真っ赤になっていた。
──何なんだろう、この人。綺麗な人だけど、面白い。
彼の百面相に少しずつ警戒心を解いていく。クスッと微笑し、しどろもどろになっている全 思風の手を握った。
彼は驚きながら両目を見開く。「え?」と、すっとんきょうな声をあげては視線を落ち着きなく動かした。
「……?」
華 閻李はどうしたんだろうと、小さな顔に子供っぽさを乗せる。口づけができてしまいそうなほどに彼へ近づいた。
全 思風は頭一つ分以上背が高く、華 閻李は足の爪先を立たせる。そして彼の右耳へと腕を伸ばした。
「思、花びらついてたよ?」
そっと、中性的な声で優しく教える。
すると彼の両目が血走った。かと思えばカッと、目玉が飛び出てしまいそうなほどに大きくなる。
華 閻李は彼の豹変にびっくりした。瞬間、細腰を掴まれてしまう。そのままぐいっと引き寄せられ、膝裏に手を回された。
横抱きにされた子供は両目をぱちくりと。言葉が出ない様子だ。
「ここで長話はあまりよくないね。どこか、別の場所に行こうか?」
声か異常なまでに弾んでいる。ウキウキとした気持ちが表情に出ており、鼻の下が伸びていた。
「え? べ、別の場所? ……って、うわあーー!」
ぐいっと、横抱きにされる。そして成す術もないままに、空への空中散歩を強制されてしまった。




