悪友の復活です。
講堂では、俺達二年三組の出し物である演劇が開幕の時間を迎えていた。
客入りはなかなかのもので、約八割ほどの席が埋まっていた。並べられているパイプ椅子は四百脚前後と聞いているので、三百人以上の観客がいることになる。半分ほどが外部の人間で、その中には芳弘達の姿も見えた。場内に洩れ聞こえていたざわめきは照明が落ちると小さくなり、緞帳が上がる頃には完全に聞こえなくなった。
劇の脚本は一応オリジナルだったが、即席の脚本家に一からストーリーが書けるわけがない。クラス全員で案を出し合ってアウトラインを決め、それにいろんな要素をつぎはぎしたものになった。
ストーリーは以下のとおりだ。
主人公の資産家令嬢は庶民を見下す高慢な性格だったが、家が没落してメイドに身を落としてしまう。彼女は自分の家のライバルだった資産家のメイドとして雇われることになる。その家の令嬢からいじめを受けたり、いろんな辛い出来事を乗り越えて人間的に成長する。最後は貴族の青年に見初められ、二人は結ばれハッピーエンドとなるという、『小公女』をモチーフにして恋愛要素を加えたようなストーリーだった。
主人公のメイドに奏お嬢様、彼女をいじめるライバル家の令嬢に小宮山が配役されている。
この配役と脚本には妙なリアリティがあった。春先までのクラスの様子を考えると、皮肉が効きすぎた内容であるように感じられる。
しかし逆に考えると、以前の微妙な雰囲気を笑い話にできるようになったとも言えるのだ。高慢にも見える態度でクラスメイトと距離を置いていた奏お嬢様と、そんな彼女に反感を持っていた小宮山がいじられているという構図だった。奏お嬢様だけではなく、小宮山も本当の意味でクラスに溶け込んだ証拠なのかもしれない。
このストーリーと配役に奏お嬢様と小宮山本人が難色を示したが、結局は渋々ながらも引き受けてくれた。
そして、主人公と恋に落ちる貴族の青年役には奈緒が配役されている。貴族の衣装を着た奈緒を見たクラスの女子の反応が壮絶だった。変な道にはまってしまう女子がいないことを祈ろう。
俺は主に舞台セットの制作に携わっていたので、上演中の仕事は少ない。今は緊急事態に備えて、舞台袖で劇の進行を見守っている。
俺の隣では柳原が、自分のアイデアが劇中に採用されなかったことに対する不満を洩らしていた。
「あーあ、いいアイデアだと思ったんだけどな。会沢君もそう思うよね。メイドとライバル令嬢が貴族の愛を懸けてローションまみれのガチ相撲をして、その勝敗で劇のラストが変わるって、絶対盛り上がると思うんだけどな。」
「お前の案は自分が見たいだけのやつだろ……俺を巻き込むなよ」
「水着を着たら倫理的にも大丈夫だと思うんだけどねえ」
「まず倫理を気にしなきゃいけないってところで諦めろよ。一応ラブロマンスなんだぞ。ラストシーンでローションまみれの水着の女の子が抱き締められて、どこにロマンスを感じるんだよ?」
俺は柳原とくだらない会話を交わしながら、雛子達のことを考えていた。あの後、できればもう少し雛子と一緒にいてやりたかったが、劇の上演時間が近づいていたため、俺は準備に向かわなくてはならなかった。芳弘と竜平の「ここは任せて行ってこい」という言葉に甘えて、俺は一旦彼らと別れたのだ。
上演はつつがなく進行し、舞台はクライマックスを迎えていた。
身分の違いを気にして身を引こうとするメイドを、貴族の青年が説得する場面だ。
スポットライトの中、奏お嬢様が演じる可憐なメイドと、奈緒が演じる凜々しい青年貴族が近づいていく。
ラストシーンの二人の熱演は見物だった。この場面の台詞は奏お嬢様と奈緒、二人によって考えられたものだったので、より感情がこもっていたのかもしれない。
舞台上で抱きしめ合う二人。会場の女生徒達からため息のような嘆声が洩れた。
講堂に響き渡る大きな拍手が、上演の成功を物語っていた。
出演者一同が舞台上で拍手に応える。舞台袖では裏方のクラスメイト達がハイタッチを交わしていた。
劇の上演後、セットの後片付けを急いで済ませると、俺は芳弘達との待ち合わせ場所になっている学食へと向かった。劇の成功の余韻を噛みしめている暇もなかった。
奏お嬢様と奈緒だけではなく、諏訪部さんや小宮山も雛子のことを心配して学食へ一緒に付いて来てくれた。
学食に到着し、三人の姿を探す。芳弘達がいるテーブルには華ちゃんが一緒にいて、何やら楽しそうに話をしていた。
俺達が合流すると、芳弘と竜平が口々に劇の感想を言ってくれた。
「よう、ご苦労さん。お前達の劇、なかなか面白かったぞ」
「意地悪なライバル令嬢が迫真の演技だったよな。あれ、相当練習したんだろうな」
「いや、あれは素だよ、そのままの小宮山だよ。なんなら台本なしのアドリブでもいけるよな?」
「会沢ぁ、あんたねぇ……」
しばらくは劇の話題で盛り上がっていたのだが、雛子は積極的に会話に加わって来なかった。少し遠慮をしているような態度で、言葉にいつもの勢いがない。他の連中も雛子に気を遣っている様子で、対応がぎこちない。
誰が悪いわけでもないことは、その場にいる全員が分かっていた。
雛子は積もっていた感情を処理し損ねただけで、翠ケ浜の連中に対して悪意を持っているわけではないのだ。一方、翠ケ浜の面々は意図せずとはいえ、雛子が泣いた原因を作ったことで、ばつの悪さを感じている。何とももどかしい状況だった。
少し荒療治になるが、仕方がない。転校前の俺達のノリに巻き込んでみようか。
俺はニヤニヤと笑いながら雛子に話しかけた。
「それにしても、雛子。俺がいなくなったこと、あんなに大泣きするほど寂しがってくれてたんだなあ」
「ぐっ……」
「いやあ、雛子があんなに寂しがり屋さんだったなんてなあ。大人の俺が気づいてやるべきだったよな」
「ぐぬっ……」
「うわあ、アッキーの顔、この上なくゲスいよねえ」
「会沢ってさぁ、たいして親しくない時は優しい奴だとか、懐が深い奴だとか思ってたんだけど、仲良くなるほど屑だと思っちゃうんだよねぇ」
「きっと、仲の良さに甘えてるんですよ。会沢君って甘えん坊なところがあるみたいですから」
華ちゃんや小宮山、諏訪部さんが顔を寄せ合ってヒソヒソと話をしていた。聞こえてくる会話の断片をつなぎ合わせてみると、どんな組み合わせ方をしても悪評しかできあがらない。
雛子をいじればいじるほど、女性陣の俺に対する評価が落ちて行くようだ。
だが、雛子と俺のライバル関係の歴史は長いのだ。こんなチャンスを掴んでおいて、攻撃に手心を加えたら、今までの俺達の関係を否定してしまうことになるだろう。
竜平が困り顔で本気の苦言を呈してくる。
「おい彰人、後で雛子の機嫌を取らなきゃならないのは俺達なんだぞ、少し手加減してくれ」
「いいや、逆の立場だったら、こんなもんじゃ済まないだろ?こいつ、写真撮りまくって記念誌とか作りかねないぞ」
雛子は新聞部に所属していた。俺を笑い者にした記事が学校新聞の紙面を飾ったことも少なくないのだ。
「ふっ、ふふっ……大人?あんたが大人だなんて、聞いて呆れるわね。目には目をって言葉、知らないのかしら?」
雛子の思わせぶりな挑発。とても嫌な予感がしたが、今さら引き下がるなんて漢のやることではないだろう。
「何をしようとしているかは知らんが、俺には後ろ暗いことなんて微塵もないぞ」
「去年のクリスマス……」
「ごめんなさいっ、俺が悪かったですッ!!」
「雛子さん、詳しいお話をっ!」
「何だか面白い話が聞けそうだよねえ」
俺が止める間もなく、雛子があっという間に女子の輪に飲み込まれる。
ちょっとちょっと、今謝ったよね?そんな鮮度が古いネタ持ち出すのは良くないんじゃないかなあ?
まあ、大したエピソードではない。誰もが日常的に体験するようなありふれた思い出なのだ。
雛子に渡すはずだったクリスマスプレゼントを間違えて宮子に渡してしまった、それだけのことなのだ。
ただ、その中身がセクシーな下着だったというだけの話だ。もちろんジョークグッズとして渡すはずの物であって、本命のプレゼントは別に用意してあった。
ただ、その下着はあまりにスケスケで布の面積が少ない挑発的な代物だった。おまけに、どういうわけか肝心な部分に穴が開いていた。きっと欠陥商品だったんだろうな、うん。
期待に満ちた表情で包みを開いた宮子の表情は凍り付き、俺は金輪際口を利かないとの宣告を受けることになった。
俺は雛子に……紳士的にお願いして、宮子への説明を引き受けてもらったのだ。
「あの時は私も恥ずかしい思いをしたんだよ。宮子ちゃんには私が彰人に頼んで、その下着を買ってもらったってことにしたんだもん。変態女だって思われてるよね、きっと。でも、彰人が半べそかいて土下座するから仕方なく引き受けたんだよ」
華ちゃんと小宮山がお互いを支え合うようにしながら、体を震わせて笑っている。
奏お嬢様と諏訪部さんの冷たい視線が心に痛い。
「その下着、どうなったの?私にプレゼントしてくれたら着てあげるのに」
喧噪がピタリと止み、全員の視線が奈緒に注がれた。狂戦士は自分が振るった攻撃の威力に耐えきれずに崩れ落ちた。
まあ、あの下着の実物を見てないから言えるセリフですな。着るというか、引っ掛けるみたいな感覚ですよ、あれは。
あの下着を奈緒が身につけるなんて……やばい、凄い画を想像してしまった。
芳弘と竜平が同情するような表情で、俺だけに聞こえるように話しかけてくる。
「お前は相変わらずだな、彰人」
「嬉しくねえよ。お前ら俺の恥ずかしい話のライブラリが豊富すぎるんだよ」
「そりゃ、自業自得だろうが。でも、芳弘はそういうこと言ってんじゃないと思うぞ」
「ああ?」
「雛子を見てみろよ、もういつもどおりだ」
芳弘が視線を向けるのにつられて、賑やかに談笑する女子達の方を見る。
雛子は翠ケ浜の女子達と俺の悪口で盛り上がっているようだった。特に小宮山とは気が合うみたいで、並んで俺に向かって舌を出している。この二人の邂逅は俺にとって危険なものになる予感がした。
竜平はその様子を眩しそうに見ながらつぶやいた。
「お前は『内輪』なんて言葉を使ったけど、お前の周りにはそんな垣根は存在しないみたいだな」
「あーっ、男同士の内緒話、怪しいんだ」
雛子が俺達に近づいてきて、唇を尖らせて抗議する。やっぱり雛子はこうじゃないとな。
俺はニヤリと笑いながら軽口で応えた。
「おう、今年のクリスマスプレゼントにどんな下着を贈ってやろうか相談してたんだ」
不意をつかれたのか、雛子は俺の予想以上に動揺し、アワアワと妙な動きを見せた。
「……穴が開いてないのにしてね」
耳まで真っ赤に染めた顔で上目遣いに俺を見ながら、雛子は恥ずかしそうにそう答えた。
それ以降の一同は打ち解けた雰囲気になった。
話が一段落すると、 雛子は奏お嬢様に会ったときの失礼な態度を詫びた。
「ごめんなさい、若宮さん。あなたが彰人を救ってくれたんだって、頭では分かっていたんだけど……」
「いえ、いえ、私が会沢の転校の原因を作ったのは事実ですから」
奏お嬢様と雛子は向かい合ってペコペコと頭を下げ合っている。
この二人も何とか仲良くなれそうで、俺は安心した。
「ところで、明日もウチの学園祭は続いてるけど、皆はどうする予定なのかしら?」
奈緒が芳弘達に質問した。
「うーん、予定は特にないけど、さすがに二日連続でここに来るってのは厳しいかな、移動もあるし」
芳弘が竜平と雛子の反応を窺いながら代表して答える。
それはそうだろう。この翠ケ浜から三人が住んでいる高天津までは二時間近い移動時間がかかる。
「良かったら、若宮邸に泊まっていったらどうかしら?それなら明日も学園祭に参加できるでしょう。ねえ、奏お嬢様」
「さすがは奈緒、グッドアイデアですっ!会沢のお客様ということは、主人である私にとってもお客様ということですからね」
「ええ?いや、そこまでしてもらうわけには……」
遠慮する芳弘に、華ちゃんが悪戯っぽい笑みを浮かべながら説明する。
「藤島君、この二人はねえ、知りたいんだよ、アッキーの過去を。どんな悪さをしてきたんだろうって、気になって仕方ないんだよ。良かったら食事でもしながら、ゆっくりと教えてやってくれないかなあ」
恐ろしく不穏な空気を感じる。この計画は何としても阻止しなくてはいけない。
「いやあ、芳弘達も忙しいだろうし、そんな暇はないんじゃないかな。ほら、生徒会長になったばかりで、いろいろ予定もあるだろうしなっ。急な外泊じゃ親御さん達も心配するよな。だから、また次の機会ってことで……残念だけど仕方ないよな、うんうん」
俺が必死に言い募るほどに、雛子の笑顔が悪魔めいたものに変化していく。
相手の嫌がることをする。俺と雛子の間にある不文律をすっかり忘れていた。
俺は選択を誤ったのだ。
「私は構わないけどなあ。若宮さんと弓月さんが知りたい情報も、たくさん持ってるしね」
「くっ、お前、着替えも何も持ってきてないだろっ。パンツはどうするんだ、パンツはっ?まさか今はいているパンツを明日もはくんじゃないだろうな?毎日同じパンツはいてたんじゃ一生彼氏なんてできないぞっ!」
「パンツ、パンツうるさいのよ、この変態っ!!」
「藤島君と波多野君も遠慮なんてなさらないでください。急な来客には慣れた家なんです」
「芳弘、良い機会だからご厚意に甘えておかないか。彰人が働いている場所を見ることができるんだし」
「そうか……そうだな。それじゃ若宮さん、お世話になってもいいですか?」
「はいっ、歓迎いたします!」
奏お嬢様は純粋に嬉しそうだった。小宮山がわざわざ俺の視界に入るようにして、ニヤニヤと不純な笑いを浮かべていた。くそっ、人ごとだと思って楽しんでやがる。
今夜、若宮邸では一体何が起こるのだろうか、想像できないだけに恐ろしかった。




