夢を見る3
「お母さん……」
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
「そうなの」
「でもなんだか……やらなきゃいけないことがあった気がするんだ」
どれほど日が経ったのだろうか。
母親の愛に抱かれて、圭の思考は完全に鈍っていた。
「あなたがすべきはここにいることよ」
圭の母親はゆっくりと圭の額に口づけする。
鏡もなく自分の姿を確認することもない。
手足の小ささと声の高さからかなり幼そうなことは分かる。
だが幼かろうと、元の年齢だろうと特にやれることに変わりはない。
ただ部屋の中で母親とのんびり過ごすのだ。
母親の料理を食べ、子守唄を聞きながらまどろみに意識を落としていく。
時に思い出したように圭が大変だったと話をすれば、母親は優しく頷きながら話を聞いてくれる。
精神まで幼くなってしまったかのようだ。
夢から抜け出さなきゃと思うのだけど、母親はここにいればいいという。
「ここにいれば危ないことも、辛いこともない。何にもないの。ただここにいればいいの」
母親は圭を抱き上げ、トントンと優しく背中を叩く。
それだけでまた心地が良くて眠たくなる。
「何しなきゃ……いけなかったんだっけ」
ほんの一瞬正常に戻りかけた思考も、まただんだんと鈍っていく。
「ここにいればあなたが不幸を背負うことはないの。あなたは幸せに生きれば、私はそれでいいの」
染み入るような母親の声。
このまま目を閉じて身を任せれば、たぶんずっと眠れることだろう。
寝て、起きたらきっと次は晩ご飯だ。
父親が帰ってきて、今度は二人に囲まれて、幸せに過ごすのだ。
「不幸……」
「あなたは不幸なんじゃないわ。幸運な子よ」
「不幸で……幸運」
「あなたが不幸を背負うことはないの。そんなことしなくても世界は無事にいるはずよ」
「…………違うよ」
「何が違うの?」
「僕が頑張らなきゃ……世界が滅びちゃうんだ」
ほとんど何も考えないままに圭は答える。
不幸を背負うことはない。
でも今は圭が動かねば、世界が滅びてしまうようなゲームの中にいる。
不幸とか幸運とか関係ない。
いや、不幸だったから幸運で、ゲームにも立ち向かえるのだ。
「世界なんて滅びないわよ」
「違うんだ……ほろびちゃうんだ……」
ここまで色々なゲートや塔を攻略してきた。
神々のゲームに自ら参加して、世界を差し出している神もいるのだろう。
しかしゲームに巻き込まれたせいで世界が滅び、最後の希望を繋ぐようにゲームにしがみついて仕方なく自分の世界をゲームの一部としている神もいる。
望まぬ戦いを強いられる。
世界の滅亡を繰り返す。
悲しい終わりを目撃した。
それでも諦めない神もいた。
こんなくだらないゲームに抵抗する神もいる。
そしてまた圭たちに期待してくれている神もいるのだ。
『目を覚ましてください』
目の前に浮かぶ表示を見た。
その瞬間、みんなのことを思い出した。
苦しくても共に戦ってくれる仲間がいる。
世界の滅亡に立ち向かおうとしてくれる人たちが待っている。
「圭?」
「母さん……僕、いや俺は行かなきゃ」
「どうして? あなたは……」
「……俺は不幸なんかじゃ死なないよ」
声が低くなる。
手足が大きくなって、いつの間にか圭が母親の方を抱きしめていた。
「不幸だったことある。不幸を恨んだこともある。でも俺は生き延びたんだ。不幸で、幸運な男としてね。今は世界のために頑張ってるんだ。俺に不幸を被せて消そうとした世界だけど……大切な人たちが生きているから」
「圭……」
「行ってくるよ」
母親が圭を見上げる。
身長は自分の方が高かったのだと知る。
「応援してくれる?」
「……いってらっしゃい」
悩んだ表情を浮かべた圭の母親は、最後には笑ってくれた。
「ありがとう」
圭は母親を強く抱きしめる。
そして部屋の玄関に向かう。
ドアノブを回す。
少しきしむような音を立ててドアはあっさりと開いた。
「行ってしまうのかい?」
ドアの向こうには父親が立っていた。
「うん、行ってくるよ、父さん」
「そうか……寂しくなるな」
「……寂しく思うことなんてないよ。俺の心にはいつだって父さんと母さんがいる」
父親は寂しそうに微笑むとスッと横に避けてくれた。
窓から見た外は晴れていたのに、玄関から出ると白い霧に包まれていた。
玄関から一歩出て振り返る。
圭の両親が寄り添うようにして圭のことを見ている。
その表情は優しくて、また家に帰ってしまいたい衝動に駆られる。
でも帰らない。
「行ってくるよ。この世界は守ってみせるよ。この世界は……父さんと母さんも愛したはずの世界だから」
二人の姿を目に焼き付けて、圭は霧の中に足を踏み出す。
「いってらっしゃい」
「きっとあの子は大丈夫だ。……僕たちの子供だからね」




