長男の義務
「アール、アル、じっとしてるんだよー」
クラウド・ハルシュタットは、白金の髪にブルーの瞳の偉丈夫である。一族の男に特徴的な三白眼と荒々しい造りの顔は、十七歳にして前科十犯くらいの貫禄を彼に与えており、今から戦場での活躍が楽しみな青年だった。
その彼が、笑みらしきものを浮かべて、猫なで声を出し、濃い銀髪にこぼれんばかりに大きな紫の瞳の男の子へと、じりじりと近付いていく。
アルと呼ばれた男の子は、しばらくクラウドを見下ろしていたが、ふいっと顔をそむけたかと思うと、テトテトと歩きだした。
「ああああ、ア、ア……」
アル、と呼び止めるべきかどうか迷い、しかし恐ろしさに、彼は結局呼べず、他の兄弟や厩番の男たちと一緒になって、エディアルドが歩く梁の下を、そろそろとついていった。
「兄貴のその顔が駄目なんだって。笑うとよけいに怖いんだから。アルは絶対寄りつかないぜ」
生意気盛りの十二歳の三男ベンジャミンが、あきれたように、いらないことを言った。
では、誰か他の人間ならいいかというと、兄弟は歳が違うだけの相似であり、厩番の男たちも勇猛なルドワイヤの男として恥じぬ面相の持ち主しか揃っていなかった。
「母上を呼んでくれば」
声変わりをしていない四男ウィルフレッドが無邪気に言ったが。
「母上を心配させたら、親父に殺されるぜ。それに、母上が来るまでに、アルが落っこちるに一票」
「あはは。そうか」
「不吉なことを言うな!」
ベンジャミンの軽口にウィルフレッドは呑気に笑ったが、クラウドは目を吊り上げて怒った。
弟たちに剣の稽古をつけてやれ、と命じられたのは長兄のクラウドだった。それが、生まれたばかりの子馬はどうしているかなあ、というウィルフレッドの呟きに、ついつい皆で厩に来てしまい、子馬に夢中になっているうちに、三歳の末弟がどうやったのか梁の上に登ってしまっていたのだった。
それらの責任は、すべてクラウドにある。ほかは神妙にしていれば、じろりと睨まれるくらいだが、クラウドはそういうわけにはいかなかった。
もっとも、それすらもどうでもいいことであった。……幅十数センチしかない梁の上で、ぐらりと体勢を崩した弟の身の安全に比べたら。
「アル!」
彼らはエディアルドが落ちてきそうな場所を予測して、梁の下で右往左往した。捕獲係として向かった次男キリアンと友人たちは、エディアルドまでまだ数メートルもあり、間に合いそうになかったのだ。
しかし、末弟は二三歩よろけるうちに、体勢を立て直し、なおかつ、たたた、と梁の上を走った。梁から、ぴょんと飛び降り、壁際の張り出しに着地する。
一同は、ほうと溜息をついた。そこにはキリアンが辿り着いていたのだ。彼はすかさずエディアルドを捕まえて、抱き上げた。
「こーら。高いところに登ったら、危ないだろう? メッ!」
怖い顔をしてみせる。彼はまだ十五歳だったが、ハルシュタット家の男らしい迫力を兼ね備えていた。
エディアルドは至近距離でその顔を眺めさせられていたが、やがて、くしゃりと顔を歪めると、泣き声で訴えた。
「メーしないで~。あぶないってしらなかったんだもん~」
「あー。そうか。そうだよなー。知らなかったんだから、しかたないよなあ。ごめんなー、怒った兄さまが悪かったな」
キリアンは相好を崩して、ひしっとエディアルドを抱き締めた。エディアルドは小柄でいつまでたっても少女のような容貌の母に似ており、とにかく、可愛かったのだ。
「キリアン、いいから早く降りてきてくれ!」
クラウドは、苛々と声をかけた。かわいいことを言ったエディアルドを独り占めされているのも気に入らなかったし、父親がそろそろ帰ってきそうなのも気が気ではなかった。
「すぐに行くよ。さーて、エディアルド、兄さまたちが待ってるぞー。みんな、遊んでくれるからな。下に行こう」
「うん。遊ぶ」
「いい子だ」
キリアンは立ち上がった。抱っこしたまま、張り出しをまわって、梯子のある場所へと歩いていく。
その途中で、エディアルドは、あーっ、と叫んで外を指差した。
「おやじー!!」
誰もがぎょっとして固まった。エディアルドは明り取りの窓へと身を乗り出し、手を振って、甲高い子供特有の声で、興奮してキャーッと叫び、おーやーじー!! と呼ぶ。
キリアンは慌ててエディアルドの口をふさいだ。
「父上な、父上!」
だが、エディアルドは聞かなかった。
「おやじ!」
「おやじは、メッ!」
「メー、いや~!!」
腕の中で、ばたばたと暴れだす。
「メ、しない。しないから。な? アル、いい子にして」
「やーっ、キリアー、やーっ、抱っこやー!! うあーんっ」
キリアンは、もがく弟を片腕で抱きかかえかねて、梯子を降りあぐねた。その間に、三男ベンジャミンがフットワーク軽く、外の偵察へと走っていく。
「親父が帰ってくる!! そこまで来てる!!」
クラウドは、危なっかしい弟たちの様子に自分も梯子にとりつき、登りはじめた。
「キリアン、無理するな。いいから、戻れ!」
「でも、兄上、」
「私のことは気にするな。アルの安全が第一だ」
「うん。わかってるけど、いたっ、こら、アル、おとなしく、」
「い、やーーーーーっっっ」
次男の鼻と目に頭突きを食らわし、さらにその後、泣き叫んでのけぞって、今にも落ちそうな末弟と、下から辿り着き、ばたばたしている足を、むんずとつかんだ長男と。
「父上、お帰りなさい。お疲れ様です!! 馬は俺たちが預かりますね! ウィルフレッドも、ちゃんと世話できるようになったから、私たちでやっておきます!! な、ウィルフレッド?」
「はい、できるようになりました!! おまかせください!!」
入り口の外で、父親を中にいれまいとする三男と四男と。
しかし、兄弟の奮闘むなしく、父親に事の顛末が知れるまで、あと一分。
そして、「おやじー、おかえりー」と抱きついた末っ子を抱っこしながら、父親が長男に特大級の雷を落とすまで、あと十分。
こうして、ハルシュタット家では、次男以下が長男にだけはなりたくないと思うようになり、絶対に家督争いが起こらないと言われている。
一族の結束が固く、国王の抱える騎士団と並び称されるルドワイヤ辺境伯の抱える騎士団は、このようにして育まれていくものらしかった。




