32:王と王子と父と息子
ミルリス国との件を終えクレアがリズベール国に戻ってから三日後、ユーリは国王の執務室に呼び出されていた。
背後にはフリーデルと彼を含めた数名の騎士。わざわざ指名して連れてくるように言われている。
室内にいるのはユーリ達と、国王と彼の側近二人。この顔触れは先日の一件でテラスに残った者達であり、クレアの投石や魔法を目の当たりにした者達でもある。
となれば話題は一つ。
そうユーリが考えていると、国王が早々に口火を切った。
「言わんとしている事は分かっているだろう」
淡々とした口調だが、言葉にも声にも威圧感が漂っている。
それに対しユーリは背筋を正して「はい」と簡素に返した。
元より父子で語り合うような仲ではないし、息子と言えども自分は彼の中でさほど重要な人物ではない――リズベール国の強さを知った今は重要視されているかもしれないが――。
「最近どうだ?」なんて挨拶もなく、むしろ今更そんなことを言われても薄気味悪さを覚えてしまうだろう。
「クレア王女との婚約を決めたのは、あの事を知っていたからか?」
あの事、とは、王女が崖を登り岩を投げ、炎や目晦ましの魔法を使った事だ。そのうえクレアは平然と『子供でも出来る』と言い切った。つまりリズベール国においてはクレアの強さは特筆すべきものではなく、そして国民がみな己の強さに気付いていない。
国を統べる人物だけあり国王は鋭い。きっと既にリズベール国の認識の違いまで勘付いているだろう。
それを知っていて婚約を申し込んだのかと問われ、ユーリは首を横に振った。
「魔法が残っているというのは把握していましたが、童話に出てくるような花火をあげたり花を咲かせる程度のものだと考えていました。岩を投げるほどのあの強さは王女と初めて顔を合わせた時に……、目の前で馬車を持ち上げられて……」
話すユーリの脳裏に、当時の衝撃が蘇る。
軽々と馬車のコーチを持ち上げるクレア。彼女は馬車が直るとさも平然と出発を促してきた。
更には馬車の中で質問責めにあってなお不思議そうにしており、フォーレスタ国には馬車を持ち上げる専門職があるのか、御者の仕事なのか、と勘違いまでしかけていたのだ。
あれは衝撃だった。
だがその勘違いも、そして御者が特別手当を得る機会を奪ってしまったのではと案じるところも、今になってみるとなんともクレアらしい。
自然とユーリの表情が和らぐ。だがすぐさま表情を真面目なものに戻したのは、今は思い出に耽っている場合ではないからだ。目の前にいるのは父親と言えども一国の主、緩んだ態度は取れない。
「あの力を知らなかったということはリズベール国の土地が目当てか」
「はい。ですが俺はあの土地を利用するつもりはありません。もちろん手土産にして他国での優遇を得る気もありません。リズベール国はリズベール国のままあるべきです」
リズベール国の領地をどうにかしようとは思ってもないし、もちろん、彼等の強さを利用する気もない。それはリズベール国のためであり同時に大陸の平穏のためでもある。
どこかが奪って火種にさせる前に自分が縁を結び守ろうと決めたのだ。
「フォーレスタ国の王族として軟弱な考えなのは理解しております。ですが、たとえ父上の命令と言えども、俺の意思は変わりません」
断言すれば、国王が僅かに考えを巡らせたのち、元より刻まれている眉間の皺を更に深めた。
「お前はリズベール国の領地の価値もあの強さの真価も分かっていない。あの強さがあれば大陸を牛耳る事も、ましてやその先に手を伸ばすことも容易だ」
「俺には興味のない話です」
息子の婚約に対しての発言とは思えないが、それもまた今更な話だ。
むしろ開口一番『クレア王女との婚約を第一王子に譲れ』なんて言い出さないだけマシだろうな、とユーリは達観に似た気持ちで会話の再開を待った。
胸中は驚くほどに落ち着いており緊張すらしていない。きっと誰が何を考えていようと、そして誰が何を言ってこようとも、クレアとの婚約を解消する気はないからだ。
争う気は無い、だがクレアに関して引く気はもっとない。
さて何を言ってくるか……、と考えながら待っていると、国王が僅かに口角を上げた。
微かな表情の変化。だが柔らかな笑みだ。
「何を考えているか多少は分かる。安心しろ、お前達の婚約をどうこうするつもりはない」
更にはこんな事すら言って寄越すのだ。
らしくない言葉にユーリが目を丸くさせていると、国王は先程の笑みを一瞬にして消して「どうした」と怪訝そうな表情に切り替えた。
眉根を寄せた表情。怪訝そうで、相手の考えを探ろうとしている時の顔。こちらの方がユーリからしたら見慣れている。
「いえ、なんだか父上にしては珍しい物言いだと思いまして」
「珍しいだと?」
「はい。もっと、こう、冷静というかシビアな対応をしてくるかと。クレア王女との婚約を他に譲れとか、リズベール国の領地を利用しないのなら婚約は認めないだとか、そういうことを言い出すのではと考えておりました」
もちろん何を言われても断固拒否するつもりだった。だがまさかこんなにあっさりと引くとは思いもしなかったのだ。
そうユーリが話せば、国王の眉間の皺が再び深まる。挙げ句ふんと鼻で笑った。
「私とて父親として息子の良縁を認めるぐらいの甲斐性は有る」
「そうですか……」
「それに、確かにリズベール国の領地と強さは惜しいが、無理強いすればこちらに危険が及ぶ可能性が高い。下手にレイヴンのような野心ある者に力を付けさせるのも危険だ。そう考えると、何もする気のないお前に預けておく方が安全だろう」
「そちらの方が父上らしいお考えですね」
「ただしリズベール国の強さについて他言は控えるように。クレア王女やリズベール国の国民にも自分達の力量を悟られないようにしろ。それを破ればこちらも動かざるを得なくなる」
「それは……」
「大人しい猫で居続けるなら何もしない。だが、凶暴な虎となるならこちらも対処せねばなるまい」
条件を突きつける強い口調。到底、息子の良縁を喜ぶ父親の言葉とは思えず、果てには脅しめいたことすら言って寄越す。
父親らしい発言こそしたが、やはり根底には損得の勘定があったのだろう。
この条件にユーリは僅かに眉根を寄せた。だが応じるしかないと判断して「かしこまりました」と返す。
ユーリの返事を聞き国王が一度深く頷いて返し、次いでニヤリと口角を上げた。纏っていた重苦しい空気が、一瞬、ほんの僅かに、和らいだ気がする。
「下手な動きを見せない限りはリズベール国に関してはお前とクレア王女に任せる。私は何もする気は無い」
「ありがとうございます」
「それに他のやつに婚約を譲らせようとも、お前とクレア王女の様子を見るに、どちらも他の婚約者を宛がっても応じはしないだろう。あれだけ見せつけられれば嫌でも分かる」
国王の言葉にユーリは一瞬目を丸くさせ……、揶揄われていると察して言葉を詰まらせた。
次いでユーリもまた笑みを零して父を見つめて返した。
「そうですね。俺にはクレアだけです。彼女もそうであってくれていると信じています」
はっきりと告げれば、これ以上の話は不要と判断したのか国王が「ならば話は終わりだ」と締めくくってしまった。退室を命じられ、ユーリは一礼すると共にフリーデル達と執務室の出口へと向かう。
だが扉を出ようとした直前、微かに聞こえた笑みに振り返った。
父が穏やかな笑みを浮かべた。
……気がする。
一瞬のことで分からなかったし確認してもきっと答えはしないだろう。現に今はもう机のうえの書類に視線を落としてユーリ達を一瞥すらしない。
ならば『笑ってくれた』と考えておいた方が良い。そう考え、ユーリは部屋を出て行った。
◆◆◆
「認められただけ良かったと思うべきか」
ユーリが隣を歩くフリーデルに話したのは、父親であり国王の部屋を出て、他の騎士達が仕事に戻るのを見届けた後。
そのまま執務室に向かう気にもならず外へと出て、無意識に離れのある森へと歩いている最中。
国王の前でこそ主従関係らしい対応をしていたフリーデルも今は普段通りの態度に戻っており、ユーリの言葉に肩を竦めることで返した。同感という事なのだろう。彼もまた、クレアとの婚約を他に譲れと迫られると危惧していたらしい。
「だけど、クレアに真実を話せないのは辛いな。父上に命じられる前に全て打ち明けておけばよかった」
「話すつもりだったんですか?」
意外だと言いたげにフリーデルが見てくる。
それに対してユーリは僅かに考え込み、次いで目の前に見える離れへと視線をやった。
森の中に建てられた離れ。今までは気にも留めていなかったが、クレアが住み、そして彼女と親しくなると日に何度も訪れるようになった。ユーリにとってはすっかりと心休まる場所になっている。
クレア不在の今は誰も住んでいない。だが手入れはされており、玄関の花に至ってはユーリが自ら水やりをしている。
「クレアに全てを話せば、彼女も、リズベール国の国民達も自分の強さを知る事になる。どの国にもない魔法、全てを凌駕できる力。望めば大陸を支配することも出来るだろうな」
「いまだかつてない争いの時代が到来しますね」
「あぁ、俺もそう思ってた。……だけど、クレアは、いや彼女だけじゃない、彼女が愛するリズベール国の国民は、きっと戦うことを望まないはずだ」
クレアは穏やかで優しく、そして心から平和を愛している。それは彼女だけではなくきっとリズベール国の国民性でもあるのだろう。
今までの歴史の中でリズベール国が争った記録は無い。それはつまり、リズベール国が他国に攻撃をした事も無いということだ。彼等は自分達を弱小国と考えているが、かといってそれを悔やむでも恨むでも無い。
むしろ森の中で穏やかに生活を続けている自分達を愛しているのだ。
「だから全てを話しても大陸を支配しようなんて考えないはずだ。平和な道を選んでくれると信じてる」
「……確かに、クレア王女とヴィンスの性格を考えればそうですね」
「なにより、俺はクレアに嘘を吐きたくないんだ」
胸の内に押し留めた気持ちを吐露するように、ユーリが溜息交じりに呟いた。
離れの玄関まで到着し、いつもの癖でノックをしてしまう。はたと我に返り「しまった、つい」と頭を掻いた。
そんな主人に対してフリーデルは複雑な表情をしている。ユーリの気持ちも分かるが、かといって国王に背くリスクも考えているのだろう。
「そんな顔するな、フリーデル。父上の命令に背いて話そうなんて考えてないから安心しろ。それで火種を作って問題になったら元も子もないだろ」
もしもユーリが全てを話したと知れば、たとえクレアやリズベール国が敵意を持っていないと分かっても国王や重鎮達は対策を取るだろう。自分達が常に領土を広げようと画策しているからこそ、他国も同じように強欲だと考えているのだ。
自国も、他国も、全てが平和であれと願う気持ちは彼等にない。
「それでも理解し信じてもらう事は出来るはずだ。クレアやリズベール国の国民は己の強さを知っても敵意は抱かない、たとえ強くても平和を第一に考えてくれる。それを父上に信じて貰い、きちんと俺からクレアに全てを伝えるんだ」
ユーリの話はだいぶ願望染みているが、語る表情には強い意思が宿っている。
そんなユーリに対して、フリーデルはつい先程まで対峙していた男の事を思い描いていた。
「陛下が他国を信じる……、ですか」
「まぁ、父上の性格からすると難しいだろうけど、可能性はゼロではないはずだ。……こういう所も夢見がちなんだろうな」
改めて夢見がちな部分を自覚し、ユーリが苦笑しながら頭を掻く。
そんな主人に、フリーデルが「一人ぐらい夢見がちな王子が居ても良いんじゃないんですか」と笑った。




