23:女神の加護と王女の決意
ミルリス国はフォーレスタ国ほどの強大な国では無いが、それでもリズベール国程度ならば優に飲み込める規模である。
仮に今草原を陣取っている騎士隊が方向転換して森へと進行すれば、きっと一晩経たぬうちにリズベール国は潰れてしまうに違いない。
だからといってフォーレスタ国への危機を『難を逃れた』とは考えられない。クレアの脳裏にユーリの姿が浮かぶ。彼は既にこの事を知っているのだろうか……。
矢継ぎ早に湧いては募る戸惑いと不安をなんとか押し隠そうとするも、両親にはお見通しなのだろう、父が「落ち着きなさい」と優しい声で宥めてきた。
「もしも攻め入るつもりならフォーレスタ国から見える場所に兵を出すはずがない。牽制が目的か、我が国を背に構えるあたり有利に交渉しようとしているのかもしれないな」
「お父様、それはもしかして……」
「クレアの話していた通り、リズベール国を狙っている国は多いようだ」
リズベール国に戻った際、フォーレスタ国で見聞きしたことをクレアは全て両親に伝えていた。――レイヴンとの会話内容についてのみ、クレアからではなくヴィンスから伝えてもらった――
今リズベール国の価値が見直されている事、領地が狙われている事。そしてその価値が戦略的なものである事も全て説明したのだ。
それを踏まえ、父は今回のミルリス国の動きを『あえてリズベール国を背にしている』と判断したのだろう。今まで蚊帳の外だった弱小国が今は牽制の役割を果たしているのだ。まったくもって嬉しい話ではないのだが。
「フォーレスタ国とミルリス国が動き出さない限り、我が国は目立った行動は取るべきではないな。警戒を強め、常に動向を探り報告を欠かさぬよう努めてくれ」
「お父様……」
「クレア、私達が動揺していては国民の不安を募らせるだけだ」
父が諭してくる。穏やかで優しい声だ。
肩に置かれる手は大きく暖かい。その手に肩を撫でられ、クレアは促されるように深く息を吐いた。
ようやく呼吸が出来たような気がする。もっともそれで気分が晴れるわけでもなく、まだ胸中は不安で渦巻いているのだが。
リズベール国は小さく、規模で言えばフォーレスタ国の町一つ程度。おかげで各家への伝達はすぐに完了し、自室に戻ったクレアの元にも報告が入ってきた。
伝えに来たヴィンス曰く、国民はこの緊急事態にも異論を唱える事はなく、森への立ち入り禁止の命令を大人しく聞き入れてくれたという。それどころか何か手伝えることはないかと皆が協力を申し出て、更には今後の伝達をスムーズに行えるようにと声を掛け合い集まって過ごしているという。
「みんな動揺せず話を聞いてくれたのね。良かった。……でも、フォーレスタ国はどうするのかしら」
「クレア様……」
思わず不安を口にすれば、ヴィンスが気遣うように声を掛けてきた。
それに対してクレアは心配させまいと笑って返した。……うまく笑えているとは自分でも思わないが。
「フォーレスタ国ならきっとうまくやるわね。平和を望むユーリなら解決策を見つけてくれるはず」
「そうですね……」
「……でも、なにか危険なことがあったら。私と婚約したことでミルリス国が動く切っ掛けになっていたら……。そう思うと居ても立っても居られないの」
机の上に置いていた本に手を伸ばす。
別れ際にユーリが託してくれた本だ。子供向けの平和な物語。優しさが詰まっていて、まるで彼のようだ。
会いたい。
何も出来なくても、ユーリのそばに居たい。
そうクレアが心の中で呟いた。
声に出かねないくらいの思いを、本の上で強く手を握ることでなんとか堪える。自分の中できつく己を律しないと、今すぐに部屋を飛び出て、それどころか森を駆け抜けてユーリのもとへと走っていきかねない。
だがそんな勝手な行動を取れるわけがない。迂闊に行動してミルリス国に囚われでもすれば、リズベール国すらも巻き込んだ争いに繋がりかねないのだ。その火種は下手をすれば大陸を巻き込む可能性がある。ユーリが恐れていたことだ。
だから今は待たなければならない。
何も出来ず、何も分からない、だけど動くことも許されない。
そんなもどかしさに押し潰されそうだ。
湧き上がる気持ちを必死に押し留めていると、部屋の扉がノックされた。
「クレア、まだ部屋にいるか?」
入ってきたのは父だ。その隣には母の姿もある。
「あぁ良かった、もう居ないかと思った。間に合ったようだな」
「お父様、もう居ないってどういうこと? 私、部屋に戻るってさっき言ったでしょう?」
「ユーリ殿会いたさに抜け出すかと思っていたんだ。どうやら私達が思っていたよりは落ち着きのある子に育ってくれたようだ」
「……もう、お父様ってば。冗談を言っている場合じゃないでしょ」
不謹慎だと咎めれば、父が眉尻を下げて笑い謝罪の言葉を口にしてきた。先程までは青ざめていた母も落ち着いたのか、今は穏やかに微笑んで父と娘のやりとりを見守っている。
普段通りの親子のやりとりにクレアの胸に安堵が僅かに湧いた。いつも通りの会話が今は安心する。
「それで、いったいどうしたの?」
さすがにこの状況下で落ち着かせるためだけに部屋を訪れたわけではないだろう。
そう考えて尋ねれば、父が改めるように「クレア」と名前を呼んできた。
「フォーレスタ国に行きたいのだろう」
「……それは。でも……、勝手な行動は出来ないわ」
そのせいでリズベール国が危機に晒されたらとクレアが案じれば、宥めるように再び名前を呼ばれた。
「大丈夫だ。きっと我らの女神が助けてくださる」
「でも、もしミルリス国に見つかって捕らえられでもしたら……」
「かつての文献に、過去幾度かリズベール国が危機に陥ったと記載がある。だがその際には必ず女神の助けがあったらしい」
今日までリズベール国はひっそりと平穏に永らえてきた。
だが常に穏やかとはいかず、多少なりとも他国との小競り合いはあったらしい。それは国家間の争いというほどの規模では無く、たとえば森に侵入してきた異国の者に脅されたり、傷つき逃げてきた者を受け入れたところを敵国が追ってきたり、中には助けた者が逆に剣を向けてきたり……。戦火のもらい火のようなものだ。
だがどのような危機であれども、常にリズベール国の女神が救いの手を差し伸べ、事態はすぐに解決していたという。
たとえば、たった五時間ほど森の中を走って逃げている間になぜか相手が力尽きてしまったり、時には逃げている間に獣の群れと遭遇し、なぜか相手が獣に怯んで撤退したり。
取り押さえられて抵抗したところ、相手が吹っ飛んだり、火柱や雷雨に恐れを成したり……。
「我々は無力な抵抗しか出来ない。だが女神は我々を見守り、力を貸してくださるんだ」
「……もしかして、あの時も」
クレアの脳裏に、フォーレスタ国の離れで不審者に腕を掴まれた時のことが蘇った。
あの時、逃れるため咄嗟に不審者の肩を押した。それを受けて不審者は窓を破って逃げていったと考えていたが、もしかしたら違っていたのかもしれない。
考えてみれば、体躯の良いヴィンスに見つかったならまだしも、クレアに見つかり抵抗されたからといって窓を破ってまで逃げるのはおかしい。
何が目的なのかは分からないが、押さえつけ、口を塞げばそれだけだ。むしろクレアを盾にして駆け付けてきたヴィンスの行動を制限する手だってあったはず。
だがそれをせず逃げていった。
更には窓を破るなど、下手に足を負傷し逃げ損ねればお終いではないか。わざわざ月も星も出ていない真暗闇の夜を狙うような人物が、そんなヘマをするだろうか……。
「あの時、私は相手の肩を力いっぱい押したわ。もしかして女神が力を貸してくださったのかも……!」
もしそうであれば辻褄が合う。
きっとあの瞬間、リズベール国を守る女神が力を貸し、不審者の体を弾き飛ばしたのだ。その後にヴィンスが放った炎の柱を前に不審者が声をだして逃げだしたのも、きっと女神の力で炎がよりうず高く恐ろしいものに見えていたからに違いない。
目撃した者がただの火柱をやたらと大袈裟に話していたのも、きっと女神の力が働いていたからだろう。
そうだったのね……! とクレアは感動を覚えた。
他国に嫁ぐ決意をしてもなお、リズベール国の女神は自分を守ってくださっていたのだ。
「だから行きなさい、クレア。女神がきっとお前を守ってくださる」
「はい……。お父様、お母様、私、行ってきます!」
クレアが両親に告げる。
「クレア様、俺も共に参ります」
クレアに続いたのはヴィンスだ。
真剣な眼差しでクレアを見つめ、次いで国王であるクレアの父へと視線をやった。
「俺は一度はクレア様と共にフォーレスタ国に渡る決断をしました。その覚悟は変わっておりません。どうか共に行くことをお許しください」
「ヴィンス、一緒に付いてきてくれるの?」
クレアが問えば、ヴィンスがしっかりと深く頷いて返してきた。
なんて頼もしいのだろうか。彼の決意もまたクレアの背を優しく、強く、押してくれる。
「行きましょう、ヴィンス。私達は弱いけど、それでも何かのお役に立てるはず」
「はい、参りましょう」
「お父様、お母様、行ってまいります。どうか無事を祈っていてください……!」
両親に別れを告げ、それだけでは足りず二人と強く抱擁を交わす。
そうして「行ってきなさい」「どうか気を付けて」と見送りの言葉を貰うと、クレアはヴィンスと共に部屋を出て行った。




