22:リズベール国にて
「クレアさまー!」
扉を開けるなり駆け寄ってくる幼い少女に、ソファに座り本を読んでいたクレアは「どうしたの?」と穏やかに微笑んだ。
続いて入室してくるのは少女の母親だ。穏やかな物腰の女性で、入室してクレアと目が合うと軽く一礼をしてきた。
クレアが今いる場所は、リズベール国の王宮にある広間。
だが王宮と言えどもフォーレスタ国のように絢爛豪華な建物とは言い難く、周囲の家屋と比べて二回か三回りほど大きい屋敷程度である。
広間もたいしたものではなく、玉座代わりのちょっと立派なソファが置かれているだけだ。一応玉座なので国民は座ろうとはしないが、周りを椅子で囲んでお喋りする事は多々ある。幼い子供は一度は必ず「座って良いですか?」と王達に尋ね、微笑みと共に了承されて玉座に座って嬉しそうに笑うのだ。
そんなソファこと玉座に座り、クレアは駆け寄ってくる少女とその母親を交互に見た。
「二人とも、何かあったの?」
抱き着いてくる少女を受け止め、頭を撫でながらクレアが問う。
幼い子供特有のふわふわとした柔らかな髪の毛が心地良く、ぎゅっと抱き着いてくる暖かさが愛おしい。撫でられて嬉しそうに目を閉じる顔は親猫に毛繕いされる子猫のようだ。
そう考え、「……猫」と小さく呟いた。思い出されるのはフォーレスタ国の離れ、テーブルの上にちょこんと座る銅製の猫達。
(あの子達も連れてきてあげればよかった)
リズベール国に戻る際、不要な疑いを避けるために荷物は極力少なくし、来た時と同じものを増やさず減らさずそっくりそのまま持ってきた。
唯一と言えるのがユーリから手渡された本だけだ。
彼が何度も読んだという本。子供向けの、優しく暖かい平和な物語。
リズベール国に戻って一ヵ月が経つが、クレアは毎日のようにこの本を手に取り、ページをめくるたびにユーリの事を思い出していた。荷物を少なくしたため彼の面影を思い出せるものは少なく、この本と、そしてフォーレスタ国に居た際に自分で書いていた手紙だけだ。
(ユーリも、何かを見て私のことを思い出してくれてるかしら……)
そんな事を考えれば胸に寂しさが募る。
だが「クレアさま……」と窺うように声を掛けられるとはっと我に返った。
腕の中で少女が自分を見上げている。案じるような瞳に見つめられ、頭を撫でることで返した。
「今日はどうしたの?」
「あのね、私……、高い高い競争をしてて、それで……それでね……」
きょろきょろと視線を泳がせる少女に、クレアは小さく笑みを零した。
気まずそうな表情。普段は活発でお転婆とすら言えるこの少女がこれほどに焦れた態度を取るのは、決まって何か失敗や悪いことをしてしまった時だ。
愛おしい分かりやすさにクレアは再び彼女の頭を撫で、柔らかな髪の毛を手で掬った。
「高い高い競争ね。私も小さい頃はよくやったわ」
『高い高い競争』とは、子供同士で高い高いをする遊びだ。
腕で持ち上げるも良し、そのまま放るも良し、魔法で浮かせるも良し。単純に高さを楽しむ時もあれば、一対一や二人一組に分かれて高さや浮遊時間を競ったりもする。
ルールはその時々で変わる子供らしい遊び。リズベール国においてはポピュラーな遊びの一つで、鬼ごっこや隠れん坊と並んで人気である。
それがどうしたのかとクレアが問うと、少女はクレアの服をきゅっと掴んで「あのね……」と言い難そうに話し出した。
「遊んでて、……それで、私、森の上に出ちゃったの」
「森の上に? 森から出るのは駄目って言われてるでしょ」
「だって、もっと上にって思って……! それに一瞬だけ! でも、森から出ちゃって……ごめんなさい……」
言い訳をしたかと思えばすぐに項垂れてしまう。自分でもやってはいけない事を仕出かしてしまったと自覚しているのだろう。
ならばこれ以上咎める必要は無いかと判断し、クレアは少女の頬を優しく撫でて「次は気を付けましょうね」と優しく声を掛けた。
暗かった少女の顔がまるで花が咲いたかのようにパッと明るくなる。――仮にここにユーリとフリーデルが居れば「森の外じゃなくて上かぁ……」「上なんですねぇ……」と遠い目をしただろうが、生憎とこの会話を疑問に思う者はリズベール国には居ない――
「今日はその事を報告しに来たの?」
「あっ、違うの! あのね、高い高いご競争をしてね、それで森の外に出ちゃったらね!」
あのね、それでね! と少女が話す。
だが急ぐ心が勝ってしまい、誰と遊んでいたか、どこで遊んでいたか、どうして遊んだのか、高い高い競争の前は何をして遊んでいたのか……、と話がとっちらかってしまう。
これでは先に進められないと判断したのか、少女の母が肩を優しく叩くと自分のもとへと近寄らせた。代わりに話すという事なのだろう。少女も母の意図を察し、クレアから離れて母に抱き着くことで話し手を譲った。
「この子が森の上へと出てしまった時に、森の外の草原に数百に近い人の姿を見たそうなんです」
「人の姿?」
「はい。それも隊列を組んでいたようです。すぐに戻ったからはっきりとは見ていないそうなんですが……」
「私見たの! 本当よ! 原っぱに人がいっぱいいて、みんな背中を向けて並んでいたの。お祭りとかそういうのじゃなくて、それでっ……それで、なんだか怖かったの……」
母に抱き着いたまま少女が訴える。
怯えを含んだ弱々しい声だ。
彼女の話に、クレアは考えを巡らせた。
森の外は広大な草原が続いている。何もない、ただ風が草を揺らすだけの土地だ。
森の境目から先はフォーレスタ国の土地となっており、草原の先を進むと神殿のある高台の崖に当たる。クレアがユーリに連れられて登った坂道とは反対側、道が途絶えているならと登ろうとした崖だ。
結局、工事終了を待っている間に侵入者の騒動が起こってしまい、あの神殿に行くことは叶わなかった。一緒に行こうという約束をユーリは覚えてくれているだろうか、そう考えればクレアの胸に寂しさが増す。
だが今は寂しさを抱いている場合ではない。
そう考え、傍らにいたメイドを呼び寄せた。
「今の話を騎士隊に伝えて、すぐに確認に向かわせて。私はお父様とお母様に報告してくるわ」
「かしこまりました」
メイドが一度頭を下げ、すぐさま広間を出て行く。
「二人とも、教えてくれてありがとう」
「……クレア様」
「大丈夫よ。すぐに騎士隊が向かってくれるわ。それに隊列を組んでいた者達はこちらを向いてはいなかったんでしょう?」
少女曰く、草原で隊列を組んでいた者達はこちらに背を向けていたという。
仮にリズベール国に攻め込むつもりなら逆を向くはずがない。となれば今すぐに攻撃がくるような恐れはないだろう。
……ただ、リズベール国に背を向けていたということはフォーレスタ国の方を向いていたという事だ。クレアの胸に不安が湧くが、それを顔に出すまいと深く息を吐いた。
「事態が落ち着くまで森に行かないように皆に伝えておいて。でも混乱にならないように、落ち着いて対処をお願い」
二人に告げ、他のメイド達にも指示を出す。
胸の内に湧き上がる不安を押さえつけ、クレアは広間を後にした。
◆◆◆
「ミルリス国の騎士隊と見て間違いなさそうです。数は二百前後。今すぐに攻撃を仕掛ける様子はありませんが、かといって訓練という風でもありません」
騎士隊長の報告にクレアは小さく息を呑み、それでも動揺を悟られまいと己を律した。
ちらと隣に視線をやれば父が難しい表情をしている。反対隣に座るのは母。こちらはクレアが心配してしまうほどに青ざめている。
椅子に座る王族を前に、騎士隊長が報告する。今のこの状況はまさに王宮といった風景だろう。
もっとも、騎士隊長と言えども知人、それどころかヴィンスの父でありクレアにとっては第二の父親のようなものだ。普段であれば穏やかに微笑んでクレアと他愛もない話をする仲である。
そんな彼の険しい表情と騎士らしい態度は初めて見るもので、それがよりこの場の空気を張り詰めさせる。
「こちらに侵攻してくる素振りはあるのか?」
低く問う父の声に、クレアは一瞬父へと視線をやり、次いで騎士隊長へと視線をやった。
彼の後ろにはヴィンスも控えている。彼もまた険しい表情をしている。顰め面が常の彼だが、それでも今がより険しく警戒の色を露わにしているのだと分かる。
「いえ、こちらを警戒している様子はなく、それどころか気に掛ける素振りすら見せません。標的はフォーレスタ国と考えて間違いないでしょう」
「そんな……!」
騎士隊長の報告に、クレアは咄嗟に声を出してしまった。
慌てて口元を押さえ「話を続けて」と促すが、その声は自分でも分かるほどに弱々しい。




