18:夢見がちな王子様の夢
あの尊い大地が、輝く自然が、そこに根付く愛おしい人々が、悪意と敵意しかない視線に晒されていたなんて……。
考えただけでもぞっとする。クレアは無意識に腕を擦り、不安で震えないようにとぎゅっと腕を掴んだ。
「すまない、こんな話を聞かせてしまって……」
ユーリが謝罪の言葉を口にする。
それに対してクレアは彼を宥めようと手を伸ばし……だがその直前、まるでクレアを制止するようにヴィンスが話を続けた。
「レイヴン様は、ユーリ様もまたお考えがあって、リズベール国の領土を求めてクレア様との婚約を申し出たと仰っていました」
話すヴィンスの声は冷ややかだ。元より感情の起伏が少ない男だが、今はあえて押し隠しているのだろう。
ユーリに対して嘘は許さないと圧を掛け、同時に、己には誤魔化されてはならないと言い聞かせるためだ。その鋭さが声に含まれている。
その声にクレアは出しかけていた手を小さく揺らし、そっと引いた。所在なく胸元をぎゅっと押さえる。
ヴィンスの鋭い声はクレアの胸にも響いた。自分もまたここで誤魔化されたり情に流されてはいけない。きちんと聞くべきことは聞かなくては。
「ユーリ様、このたびの婚約のお申し出は、リズベール国の価値を把握したうえでの事ですか」
「……あぁ、そうだ」
クレアの問いにユーリが一瞬言葉を詰まらせ、だが意を決するようにはっきりと返した。
クレアをじっと見つめながら。翡翠色の瞳からは確固たる意志を感じさせる。
その瞳の強さは兄弟だけありレイヴンを彷彿とさせるが、不思議とレイヴンから感じていたような圧は無い。真摯に向き合おうとする覚悟が伝わり、同時に、嘘偽りなく話すから信じてくれと訴えているようにも思える。
「確かにレイヴンの言う通り、俺も考えがあってクレア王女に婚約を申し込んだ。リズベール国の領土を他国が狙っていると知っていたからだ」
「そうですか……」
「だが信じて欲しい。俺はリズベール国の領土をどうにかしようなんて考えてはいない。もちろん手に入れようとも、ましてや他国に渡そうとも思わない。平和な国を脅かして森を切り開くなんて馬鹿げた話だ。そう思うからこそクレア王女に婚約を申し込んだんだ」
どこかがリズベール国の領土を得れば、それを発端に大陸の情勢が変わり、争いが起きる恐れすらある。
今までは蚊帳の外だった弱小国が、大陸全てを巻き込んだ争いの火種になりかねないのだ。
「必ずしも争いになるとは言わないが、どこが動いてもリズベール国が今のままで居られる可能性は低い。身内の欲深さを語るのは恥ずかしいが、他の兄弟達も同様だ。リズベール国を手に入れればそれを足掛かりに行動を起こしかねない」
「それなら、ユーリ様はどうお考えなのですか?」
「俺はリズベール国には何もする気はない。考えがあるとは言っても、それは『大陸一の国と繋がれば、どこもリズベール国に手出しは出来ないはず』という考えがあっての事だ」
「それで私に婚約を申し込んだんですね……」
「軟弱者だと笑われようと、争いごとは嫌なんだ。皆が幸せに、平穏に、傷付け合うことなく暮らしていくのが一番だと思っている。……信じてもらえるかは分からないけれど」
ユーリの声は落ち着いている。だがクレアを見つめる瞳に一瞬だが弱さを宿した。
信じてもらえないかもしれないと不安になったのだろう。クレアを呼ぶ声も普段より僅かに弱々しい。
そんなユーリに対し、クレアは穏やかな声色で彼を呼んで返し、そして先程出しかけていた手を伸ばしてそっと彼の腕に触れた。今度はヴィンスも制止してこない。ただじっと、それがクレアの答えなのだと理解して見つめている。
「ユーリ様、私はユーリ様を信じております」
「クレア王女……」
「それに、考えがあって婚約を申し込んでいることは元より分かっておりました。だって私達、一度としてお会いしたことがないんですよ」
顔を合わせたことも、ましてや仲介するような知人がいるような仲ですらない。
そんな状態で婚約を希望するとなれば何かしらの思惑があると考えて当然だ。何も考えずに『王子に選ばれたわ』と浮かれて嫁ぐほどクレアも楽観的ではない。
それに、とクレアは笑みを強めた。
「私だって何も考えずに嫁いできたわけではありません。ユーリ様と結婚すれば、有事の際にフォーレスタ国が後ろ盾になってくれる、そう考えて婚約の申し出を受け入れました」
打算があったのは自分もだ。むしろ政略結婚なんて程度の差はあれども打算有りきではないか。
「私はユーリ様を信じております。ただ信じてはおりますが、それはユーリ様が打算も何も無しに私に婚約を申し込んでくれたと信じているわけではありません。ユーリ様の打算がリズベール国のためになるものだと、『皆が幸せに、平穏に、傷付け合うことなく暮らしていくのが一番だ』という考えの『皆』に、リズベール国の国民が入っていると信じているんです」
「もちろんだ。俺と結婚すれば不用意にリズベール国に手を出そうとする者も出ないはず。そう考えて婚約を申し込んだ」
第七王子とはいえ、ユーリは大陸一を誇る国の王子だ。
その伴侶の母国となれば、国自体は小さくとも後ろ盾は強大だと誰だって分かるだろう。リズベール国に手を出すことはすなわちフォーレスタ国への侮辱と見做される。
書類上の数値での争いが重視されている昨今だからこそ猶更、領地も技術も歴史も他と一線を画すフォーレスタ国に歯向かう国はそうそうない。
そんな打算がクレアの心にあった。
だからこそ婚約を受けたのだ。
……だけど、
「今は打算だけではありません。今は……、夢見がちな王子様の夢を一緒に見たいんです」
穏やかに微笑んで告げれば、ユーリが翡翠色の瞳を一度瞬かせた。
そうして告げられた言葉が胸の内に溶け込んでいくかのように次第に表情を緩めていく。次いで彼は己の腕を擦るクレアの手をそっと取った。
暖かく大きな彼の手に、クレアの小さな手が包まれる。
「ありがとう、クレア王女」
穏やかなユーリの言葉に、クレアもまた柔らかく微笑んで彼の手の暖かさを感じ取った。
◆◆◆
そんなやりとりがあって数日、クレアは変わらず穏やかな日々を過ごしていた。
あれからレイヴンが離れを訪れることはない。だが離れと訓練場を行き来しているヴィンス曰く、レイヴンが連れていた近衛騎士が時折離れの近くに姿を見せているらしい。
こちらの動向を監視しているのか、もしくは返答を待っているのか。それともクレアがレイヴンと共にミルリス国に行く決意をし離れから逃げ出してくるのを待っているのかもしれない。
「はっきりとお断りをしましょう」
クレアはヴィンスに話しながら、机の引き出しにしまっていた便箋を取り出した。
薄緑色に美しい景色の絵が描かれた便箋。これもまたユーリが用意してくれたものだ。彼は便箋の残りが少なくなるとクレアが言うより先に察して新しいものを持ってきてくれる。
その便箋に失礼のないよう返答を綴っていく。もっとも、特殊過ぎる内容なうえにそれを断るのだから『失礼のないように』というのは無理な話ではあるのだが。それでも角が立たないようにと細心の注意を払って言葉を選ぶ。
そうして書き上げた手紙をヴィンスに託す。
彼からレイヴンの近衛騎士に、そしてレイヴン本人へと届けてもらうのだ。
(もう一度話し合いにいらっしゃるかしら。その時はきちんと説明しなくては……。それにミルリス国がリズベール国をどうしようとしているのかも知りたいわ)
なんとか理解を得て、同時に情報を聞き出したい。
そうクレアは考えていた。
まさかその夜、自分が襲われるとは思いもせず……。




