16:離れの訪問者
その日もクレアは離れで過ごしていた。
テーブルの上には今日も元南京錠の猫が上品に座っている。その足元にはオブジェの子猫が二匹。一匹は親猫を真似るようにちょこんと座り、もう一匹はころりと転がっている。
どちらの子猫も銅製だ。これはクレアが「一匹では可哀想」と猫について話していたところ、ユーリが持ってきてくれたものである。
その際に、
『なんて可愛らしい子猫。これはユーリ様が何かを溶かして作られたんですか?』
『いや、これは職人が作ったものなんだ』
そんな会話が交わされた。
その時のことを思い出しながら、クレアはそっとオブジェの子猫へと手を伸ばして頭を撫でた。当然だが硬い。だけど実際の子猫のように愛おしい。
これを持ってきたとき、ユーリは照れ臭そうに笑いながら話し、そしてクレアが喜ぶとまるで自分が物を贈られたかのように嬉しそうに笑った。目を細め、穏やかに笑みを零し、そうして柔らかな声色で「喜んでくれて良かった」と告げてくれたのだ。
あの時の彼の表情を、自分を呼んでくれる声を、姿を……、思い出すと胸が暖かくなってくる。オブジェの猫のひやりとした冷たさが心地良く感じるのだから、もしかしたら胸に留まらず体中に熱が灯っているのかもしれない。
だが次の瞬間クレアがはっと息を呑んで我に返ったのは、コンコンと扉をノックする音が室内に響いたからだ。
外にはヴィンスが居る。戻ってきたのかと一瞬思ったが、彼がノックをする音ではない。ユーリやフリーデルが来た時のノックの音でもなく、身の回りの手伝いをしてくれるメイド達のものでもない。
つまり、初めてここを訪れる者だ。
「……どなたですか?」
扉へと近付き、その奥にいるであろう誰かに声を掛ける。
幾分声が上擦ってしまうのは仕方あるまい。なにせ扉の向こうに居るのはフォーレスタ国の者。尚且つ王宮の敷地内の外れにある離れにまで来られる者。となれば、ユーリが言っていた『クレアを疑っている者』かもしれないのだ。
だが警戒の色を態度に出すわけにはいかない。そう考えクレアが大きく呼吸をして己を落ち着かせていると、扉の向こうから「クレア王女ですか?」と男の声が聞こてきた。穏やかな声色だ。
「突然の訪問、申し訳ありません。レイヴンと申します。ご挨拶をしたくお伺い致しました」
「まぁ、レイヴン様!?」
驚き、クレアは慌てて扉を開けた。
そこに居たのは薄水色の髪の青年。銀縁の眼鏡が知的さを感じさせる美丈夫だ。
彼の背後には二人の騎士、一人はレイヴンの近衛騎士だろうか。そしてもう一人はヴィンスだ。
ヴィンスはこの訪問の意図が分からないと言いたげな表情をしているが、それでも王子を相手に無礼な真似はするまいと考えているのだろう黙って背を正している。
レイヴン・フォーレスタ。フォーレスタ国の第六王子。
国王と第三夫人の息子であり、ユーリとは腹違いの兄弟となる。
数ヵ月の差で生まれたが乳母が違うため交流はあまり無いらしく、ユーリが以前に他愛もない会話の中で話していたのを思い出す。――あまりに淡々と彼が話すので、クレアはまたも悲しさを表情に出してしまい、そして逆に彼に宥められてしまった――
そんなレイヴンが、なぜここに……。
だが訝しく考えるのは失礼だと自分を改め、クレアは「どうぞ中へ」と彼を促した。
元が王子の別荘だけあり離れには応接室と呼べる部屋があり、そこにレイヴンと側仕えの騎士を通す。
紅茶を用意すれば彼は礼を告げてきた。品の良い仕草と穏やかな物腰、銀縁の眼鏡の奥は切れ長の翡翠色の瞳が覗く。年齢はユーリと同じで見目も年相応ではあるが、落ち着き払った態度や知的さは少し年上にも感じられる。
若くして既に貫禄を纏っている。国政にも意欲的らしくその手腕は優れており、通いのメイドがコソリと教えてくれた話ではレイヴンこそが王位に就くべきだと考えている者も居るらしい。
「レイヴン様、本日はお越し頂きありがとうございます。本来であれば私の方からご挨拶に伺うべきところ、御足労頂き申し訳ありません」
クレアが深く頭を下げれば、ヴィンスが一瞬何か言いたげな表情をしたものの――きっと「挨拶しようにも」と文句を言いたいのだろう――、それでも主人に倣って続くように頭を下げた。
それに対してレイヴンが「気にしないでくれ」と宥めてきた。細められた目元、柔らかく弧を描く唇、穏やかで上品な物腰はどことなくユーリを彷彿とさせる。髪色こそ違うが瞳の色は同じだ。
「我々がこの離れにクレア王女を閉じ込めてしまっているんです。それを考えれば足を運ぶぐらいして当然ですよ。それより、ここでの生活はどうでしょうか」
「不自由はしておりません。ユーリ様にはよくして頂き、十分な生活を送らせて頂いております」
「ユーリ、ですか……。彼は今まで国政には滅多に口を挟まなかったんです。それを突然クレア王女と婚約すると言い出したから驚きました。……先を越されたとどれだけ悔やんだか」
「……え?」
レイヴンの言葉に、クレアは咄嗟に声をあげてしまった。
先を越された、とは、どういう事だろうか。
そんな疑問を察したのか、レイヴンはじっとクレアを見つめ、そしてテーブルの上に置いていたクレアの手にそっと触れてきた。細くしなやかだが節の太い男の手がクレアの手を包み込む。
「クレア王女、どうか僕と婚約をしてください。貴女がこんな離れに閉じ込められていると知れば、母国の両親や国民が悲しむでしょう」
「こ、婚約なんて、いったい何を……。それに、レイヴン様と婚約をしても何も変わらないのでは」
動揺を悟られてはいけないと本能で察し、クレアは出来る限り落ち着いた声でレイヴンに尋ね返した。
クレアが離れに閉じ込められているのは疑われているからだ。
そしてその疑いは、リズベール国のしきたりに従って結婚を一年待たせているせいもある。
ユーリは理解し快く受け入れてくれたが、元が政略結婚なうえに更に一年の保留は裏があるのではと怪しむ者が居り、今こうやって行動を制限されているのだ。
それはレイヴンと婚約し直したところで変わるものではない。結婚は来年の春の訪れまで待ち、疑惑は続く。むしろユーリを捨てて彼に鞍替えしたと余計に信頼を失うだけだ。
そうクレアが訴えるも、レイヴンはゆっくりと首を横に振った。薄水色の髪がさらりと揺れる。
「この国ではありません。クレア王女、どうか僕とミルリス国に行ってくれませんか」
「ミルリス国……?」
「はい。僕は近くあの国に渡ります。フォーレスタ国に比べれば小さな国ではありますが、他の大陸との交流や流通が盛んで発達の最中にある国です。その国に僕は求められている」
話すレイヴンの口調はどこか誇らしげで、彼の声に熱が込められていくのが分かった。
翡翠色の瞳が輝いている。
「ミルリス国はリズベール国との交流を求めているので、クレア王女をお連れすれば歓迎されます。もちろん離れに閉じ込めるなんて無礼な真似はいたしません」
「それなら、後日、私の両親からご挨拶に伺います。リズベール国は今まで他国との交流はしておりませんが、なにも嫌って避けていたわけではありません。きっと両親も喜びます」
レイヴンの熱意に気圧されないよう、クレアは己を落ち着かせながら返した。
彼の言う通りミルリス国がリズベール国との交流を望んでいるのなら、これは喜ばしい話だ。だがいくら有難い話であってもクレア一人で決められる事ではない。
そもそもクレアは王女で、それもまだ婚約の段階とはいえフォーレスタ国に嫁ぐために来ている。勝手に母国についての返事は出来ない。
それは王子という立場のレイヴンも理解してくれるはず。
そう考えてクレアが告げるも、話を聞いたレイヴンからの返事は理解を示すものではなかった。
「今はもう挨拶だのという段階ではないんです。ミルリス国の王は、僕とクレア王女の間に子が生まれれば王族との婚約を考えるとも仰っています」




