新たな故郷へ1
遅くなって誠にすみません。
第四部終了まで今回を入れてあと五話です。
終了まで毎日更新でアップしていく予定なので、宜しくお願い致します。
翌日、まだうっすらと空に夜の藍色の残る早朝。
山頂部付近の里から見下ろす山の麓には白い朝霧がまるで雲海のように揺蕩い、カルカトの山間は海に浮かぶ孤島群のような幻想的な風景が広がっていた。
その里にある刃心一族の族長ハンゾウの住居前の広場には、この早朝にも拘わらず複数の屈強そうな山野の民達が物々しい装備で集まっており、その周囲を取り囲むように離れた位置でこちらの様子を見守る他の多数の里の者達の姿もあった。
その集団の一番中心にいるのは全身鎧で固めた自分であり、頭の兜の上には未だに欠伸をして前足で顔を洗っているポンタがいる。
その隣では少し冷える朝の山風に、白く美しい長い髪を靡かせているアリアンが革鎧の胸元の位置調整をしている姿があり、チヨメはいつもの忍装束に身を包んだ姿で静かにその場で立っていた。
広場に集まった集団の中には、昨日顔合わせをした里長のゴウロや戦士長であるピッタなどの姿もある。
昨夜はハンゾウやゴウロなどに自分の身体についての説明を長々としてしまい、途中で痺れを切らしたポンタが抗議の声を上げてようやく夕食となった。
鍋の具材はカルカトの山間で採れた山菜に魔獣の肉と小麦粉で作った団子を入れたすいとんのような鍋で、やや癖のある味だったがなかなかに美味かった。
ただ味が山菜と肉の旨みに塩だけというかなりシンプルな味付けだったので、もう少し味にバリエーションが欲しい所だった。
後でチヨメに聞いた話だが、里内では小麦は貴重な為、昨日の鍋の具材はかなり奮発したお客用仕様だったらしい。
里の外観からはかなり行き届いた暮らしをしているように見えたが、食料事情などはやはり厳しいものがあるようだ。
これから向かう地が、彼らにとっての安住の地になればいいが──。
そんな事に思いを馳せながら、広場に集まっている集団に目をやる。
里長のゴウロの傍にはいつの間にか彼と同じような大柄の体格の女性が、巨大な戦斧を肩に担いで威風堂々といった格好で立ってゴウロと言葉を交わしていた。
身長はゴウロよりはやや低いが、それでも二メートル五十程はある。赤茶のショートカットの髪に頭頂部には丸い耳、日に焼けた小麦色の肌を赤く染めた革鎧で覆っている。
体格や耳の形状からいって、彼女もゴウロと同じ熊人族なのだろう。
此方の視線に気付いたのか、里長のゴウロが頭を下げて近寄って来ると、彼女もその後ろに付いて大股で歩み寄って来た。
「アーク殿、今日はどうぞ宜しゅう頼みます。あと先に紹介しておきますが、今回の先遣隊でピッタの補佐を務めるわての娘、ロウズだす」
少しおっとりとした話し方でゴウロは後ろに視線をやりながら、彼の娘だという後ろに付いて来た大柄の女性を紹介してきた。
ロウズと呼ばれたその大柄の女性は、此方に軽く頭を下げて手を差し出してくる。
「あたいの名はロウズ。今回は親父に言われてピッタのおやっさんの補佐を任された。これからしばらくの間、里の者共々世話になるよ、アークさん」
「ロウズ殿か。うむ、此方こそ宜しく頼む」
ロウズの女性とは思えないような逞しい大きな手をとって握手を交わすと、彼女は白い歯を見せて快活そうな笑みを見せた。
自分の体格もかなりの大柄の部類だと思っているが、この世界ではそれを上回る体格の持ち主がごろごろと存在する。
熊人族などその最たるもので、これ程の体格を持つ種族を人族が恐れない筈がない。
この世界の種族間の溝は自分が思っているより大きいのかもしれないなと、彼女を見てそんな感想が頭に浮かぶ。
そんな事を考えていると、不意に後ろから気配を現したハンゾウから声を掛けられた。
「アーク殿、これよりの道中、彼らが世話になる。どうぞよしなに頼みます」
振り返ってハンゾウの方に視線を向けると、好々爺の様な笑みを浮かべる彼の後ろには先程から広場に集まっていた集団が整列していた。
ハンゾウの隣には昨夜顔を合わせた兎人族のピッタが、厳めしい黒光りのする革鎧に二本の曲刀らしき得物を腰に差して、愛らしくない笑みを此方に向けているのが目に入る。
「……きゅ~ん」
その気配を敏感に察知したのか、頭の上に乗って寝ぼけていたポンタが僅かに後退るのを兜越しに感じて、それを宥める為に顎先を擽るように撫でる。
どうも本格的にピッタが苦手のようだ。
今回の先遣隊の人数は自分とアリアン、それにチヨメを含めて十名──、戦士長でありこの先遣隊の隊長を務めるピッタ、その補佐で里長の娘でもあるロウズ、チヨメと同じく六忍の一人ゴエモンに、あとは里の戦士が四名だ。
未開地に赴く先遣隊としてはかなり規模が少ないが、今回は目的の地への迅速な到達が第一で転移を入れての移動も考慮すればあまり大人数になるのも抑えなくてはならない。
その為のまさに少数精鋭部隊だと言える。
「了解した。では早速、社跡のある山麓へと飛ぶ。全員、我の周囲へ集まってくれ」
ハンゾウに頷きながら周囲の先遣隊のメンバーに声を掛けると、彼らは多くの荷物などを抱えながら周囲へと集まってきた。
全員が自分の周囲に集まり、見送りに集まった里の者達が僅かに後ろに下がるのを確認してからハンゾウの方へと視線を向ける。
「朗報を待っている」
ハンゾウのその言葉に頷きで応え、長距離用の転移魔法を発動させた。
「では行ってくる。【転移門】!」
先遣隊の集まる広場に足元に青白い光で描かれた大きな魔法陣が展開されると、一瞬にして目の前の景色が暗転し、次の瞬間には全く別の風景へと切り替わる。
周囲に居た先遣隊のメンバーは、今迄見慣れた里の風景が一瞬にして様変わりした事に感嘆と驚愕を綯交ぜにしたようなどよめきを上げていた。
転移した場所はちょうど鳥居のある麓で、その鳥居の先に聳える山肌を振り仰げば、頂上にある龍冠樹の樹冠がここからでも大きく見てとれる。
「ふむ、カルカトの山の森とは少し匂いが違うな……」
先遣隊の隊長を務めるピッタがその片方の長い耳で周囲に聞き耳を立てながら、臭いを嗅ぐように鼻を何度かひくつかせてそんな感想を口にする。
「話には聞いてたけど、一瞬で別の場所に移動するなんて奇妙な感覚だね、こりゃ」
ロウズは巨大な戦斧を担いだまま、周囲の景色に視線を向けて独り言のように呟くと、その彼女の隣で三角形の耳をピンと立てて、忙しなく周囲の風景を見回していた一人の男の後ろ頭を軽く小突いた。
「痛っ!? な、なんですか姐さん!?」
「何ですかじゃないよ、ギン坊。先遣隊に選ばれた戦士の癖に不安そうな顔なんかするんじゃないよ。あっちの綿毛狐の方がよっぽどどっしり構えてるじゃないか」
「きゅん?」
そう言ってロウズはギンと呼ばれた青年戦士を笑うと、此方の頭の上で器用に後ろ足を使って耳の裏を掻いていたポンタに視線を移した。
ロウズにギン坊と呼ばれたその男の戦士の身長は百九十程もあり、けっして坊主という程の華奢な姿ではないのだが、頭一つ抜き出た体格のロウズにからかわれている様は姉弟のような雰囲気だ。
ギンの尻尾や耳の形状から見るに、犬か狼系の獣人なのだろう。
ロウズの横で尻尾と耳を垂れさせている姿は、どこか飼い主である主人に注意されてしょげる犬の様にも見える。
「ここは儂らにとって未知の土地だ、気を抜き過ぎるなよ。今のうちの手持ちの荷物の確認を再度済ませておけ」
その二人のやりとりを見やりながらピッタは周囲の全員に注意を促しつつ、その視線を近くの大木、その上部へと振り仰ぐように向けた。
するとそれを合図にするかのように、いつの間にか樹上に上がっていたチヨメが音も無くその姿を現し、一気に駆け降りるかの様に木の枝を蹴って地上へと着地する。
「チヨメ様、方角の方はどうでしょう?」
「確認しました。この東方面へと真っ直ぐ、距離はおよそ三日程です」
ピッタの手短な確認の言葉に、チヨメは森の方角を示しながらその問い答えた。
どうやら樹上で目的地の方角を確認していたようだ。
彼はその答えに頷き、準備を整えた先遣隊の方へと顔を向ける。
「今回は儂ら里の将来が掛かっておる、気を引き締めていくぞ!」
「おう!!」
そのピッタの号令の元、ロウズやギンを始めとした他の戦士達も、自らに気合いを入れるように勇ましく声を上げて持っていた武器を振りかざした。
それを合図に、ピッタを先頭にした先遣隊がチヨメの指し示した方角へと向かって目の前に広がる森の奥へと分け入っていく。
それに続くように自分とアリアンが彼らの背中を追い、その後方をチヨメとゴエモンの二人が殿につくように付いて来る。
ここからは、また森の中でのサバイバル行軍のようだ。
しかし普通の人族と違って構成メンバーが森や山で暮らしてきたような種族ばかりなので、普通では考えられないような速度で森の中を進んで行く。
さらに開けた場所などでは自分の転移魔法も併用しての道程となれば、一日に進む速度は考えられない進行速度になっているだろう。
加えて彼らは魔獣などの気配や臭いを逸早く嗅ぎつけるので、道中は比較的安全で脅威となる魔獣とも遭遇する事もそれ程無く、その日一日は無事に終わった。
夕暮れ時になり、森の中での野営の段になってそれぞれがその準備に入る。
少し開けた場所にある大木の傍で全員が担いでいた荷物を下ろし、各自食事や見張り、テントらしき物の設営など、それぞれの分担された役目に沿って動き出す。
自分とアリアンは同行者という事で、お客様扱いだ。
何かを手伝おうとするとピッタに止められるので、仕方なく手持ちの『聖雷の剣』で周辺の雑草を刈って快適なキャンプ地を整備しようと黙々と作業をしていると不意に後ろから声を掛けられた。
「ちょっとアーク、夕食の用意が出来たわよ。何やってるのよ……」
後ろを振り返ると、何故か呆れ顔をしたアリアンが腰に手を当てて立っていた。
「うむ、野営地を整地しようと思ってな……。やっていると結構夢中になるものだな」
そう言いながら綺麗に草刈りがされて広場のようになった周辺を眺め回し、その景色に謎の満足感を得て頷いた。
「ここには一泊するだけなんだから、こんなに整地する必要ないわよ?」
それは百も承知だが、こういう作業は入れ込むと中々止められない物だ。
「特にやる事もなかったのでな……。多少は快適になるのだから良かろう?」
「そうだけど、基本的に剣の使い処を間違ってるわよ、アーク」
アリアンのそんな小言を聞きながら、夕食の席に着いていた他の者達と合流する。
今回の夕食は保存食を簡単に煮炊きしたような物らしく、見張りに立っている者以外は手早く胃の中に掻き込んでいた。
自分もそれに倣い兜を脱いで食事の席に着くと、彼らの視線が一斉に此方に向く。
先遣隊のメンバーには一応伝えられていた事とはいえ、自らの目で見るのとでは訳が違うのだろう。骸骨の顔を晒した此方を、物珍し気な目で見つめてくる。
あまりまじまじと顔を覗き込まれると、骸骨の無表情でも照れが出てしまいそうだ。
「手が止まっとるぞ。さっさと食って持ち場に戻れ、馬鹿者」
そこへ気を利かせたのか、ピッタが周囲の戦士達に叱責を飛ばすと彼らは慌てて止まっていた手を動かして食事を再開した。
エルフ族もそうだが獣人達も人より優れた感覚器官があり、それがあるからこそこんな奇妙な骸骨の姿をしていてもある程度理性を持って相手をして貰えていると考えると、何やら感慨深いものがある。
ピッタに礼を言って、自分の分がよそい分けられた食事に口を付けた。
チヨメの依頼として受けた今回の里の移住計画──これが終わった後の事に思いを馳せつつ柔らかく煮込まれた干し肉に齧りつく。
骸骨の姿の一時解除は出来たが、取り戻した肉体はエルフ族に属するもの──単純に考えれば人族の街で暮らすよりは、エルフの里に帰属した方が何かと都合がいいだろう。
中身が人族で外身がエルフ族、まるで鳥でもなく獣でもないコウモリのような位置に立たされた気分だ。
現状はあまり中途半端に人族などに肩入れをし過ぎると、それこそイソップ物語のコウモリのような事になりかねない。
この辺りで明確な自分の立ち位置のような場所を確保しておくのが得策だろう。
ララトイアの長老であるディランやアリアンの母親のグレニスの顔を思い浮かべながら、一応彼らに相談してみるしかないなと、そう結論付けて汁を啜った。
「……コウモリのように洞窟に身を潜めて夜だけ活動するようになるのだけは勘弁だな」
そう独りごちると、隣でポンタの毛並を梳きながら寛いでいたアリアンが僅かにその尖った耳を動かして此方に顔を向け、視線で何かを尋ねるように首を傾げる。
それに自分は何でもないという風に首を静かに振って、森の木々の影によって切り取られた満点の星空を見上げた。
澱んだ空気がないこちらの星空には、まさに零れ落ちるような星屑の海が広がっている。
星座にはあまり詳しくないが、それでも自分の記憶している星座が一つも見当たらない星空を眺めると妙な感慨を覚えるものだ。
しかし以前からの性格で思考は前向きで割と単純、骸骨の身体のおかげでもあるのか深く思い悩む事がない事も幸いして、こんな何処とも知れない世界でも温かい食事と会話する事の出来る仲間がいるだけで割と満足してしまえている自分がいる事に気付く。
星の海の中を一条の光の筋が、弧を描きながら瞬き消える姿が目に入る。
願わくば──明日も良き日である事をその流れる星に心の中で祈った。




