受け継がれしもの
日が傾き、空の色が青色から茜色に変わる中、静寂に満ちた山頂の風景も空と歩調を合わせるようにその色を夕暮れ色に染めつつあった。
社跡の石床の隙間から伸びた下草が天井の開口部から吹く風にそよぎながら微かな葉擦れの音を奏で、その風は晒した上半身の褐色の肌を優しく撫でる。
閉じていた瞳をすっと開き、目の前に広がる生い茂る下草を見据えると、半身に構えた姿勢から流れるような動作で右手を押し出し絶妙な力加減をされた魔法を放った。
「【風刃】!」
魔法士の風系の基本魔法である【風刃】発動させると、目には見えない一陣の風の刃が目の前の下草をサッと薙いで刈り取った。
刈り取られた草の束は音も無くその石床の上に散ってその身を横たえる。
基本魔法ではあるが威力もかなり抑えられ、目の前の狭い範囲の草を刈るだけに徹したこの何度目かの練習もようやくコツを掴めてきた。
「きゅん! きゅん!」
すると横でその様子を眺めていたポンタが声を上げて鳴く。
「おぉ、次はポンタがやってみるか?」
「きゅん!」
そう言って話を振ると、ポンタは綿毛のような尻尾を一振りしながらそれに答えるように鳴いて前に進み出た。
「きゅきゅ~ん……」
そんな声を出しながら力を籠めるように、ポンタは目の前にある石床の隙間から這い出るようにして伸び始めていた若木と睨めっこをするように構えた。
やがてポンタの草色の毛がうっすらと鮮やかな色に変わり始めると、そのポンタの周囲をつむじ風が舞って落ちていた木の葉などが舞ってポンタの周囲を回り始める。
「きゅん!」
気合いの一鳴きがポンタから発せられると、そのつむじ風から一陣の風が飛び出し、周囲に舞っていた幾つかの木の葉と同時に目の前の若木を根本から切断して見せた。
「うむ、申し分ないな! では褒美の炒り豆をやろう」
「きゅん☆」
ポンタの魔法の上達にいたく感心し、そのご褒美として腰につけた革袋から炒り豆を与えようと手を伸ばしていると、背後からアリアンの胡乱気な声が掛かった。
「ちょっとアーク、ポンタになに物騒な事教えてるのよ……」
その声に後ろを振り返ると、彼女が眉を顰めながら腕組みをして立っていた。
「ここを今後の我の拠点にするにあたって、雑草の除去などをしておこうと思ってな。魔法の修練がてらに草刈りをしておったらポンタが我の真似をしだしたのだ。綿毛狐はあまり外敵に対して攻撃的な手段などは取らぬものなのか?」
とりあえず自己の弁護を挟みつつ、足元で「炒り豆はまだ?」と小首を傾げて見上げるポンタに視線を落としながらそんな疑問を口にして話題の軸をずらした。
その自分の質問に、アリアンもポンタに視線を向けながら首を傾げて頭を振った。
「綿毛狐の生態はあまり詳しい事は知られてないけど……、攻撃的な魔法を使うなんて聞いた事がないわよ」
「そうなのか。成長の過程で使うようになるのかも知れんが、ポンタにも自衛の手段があるならそれに越した事はなかろう」
「それはそうかもしれないけど……。あ、アーク、また身体が元に戻り始めてるわよ」
此方の返しに未だ少し渋るアリアンだったが、その視線が此方の身体の変化に気付いてそれを指摘するように声を上げた。
「うむ、どうやら温泉の湯を飲む量でも効果時間は変わるようだな」
今回飲んだ温泉の量は一リットル程、効果時間はおよそ二、三時間程度といった所か。
褐色の肌の上半身は霞のように消えて、その奥にある骨だけの身体に戻った。その様子を確かめるように肋骨になった自分の胸を撫でる。
温泉の効果時間をアリアンに伝えると、彼女は少し溜め息を吐いて肩を竦めた。
「なんだか微妙な効果時間ね」
アリアンのその言の通り、肉体を取り戻せる時間としてはかなり微妙だ。それとも某М78星雲の巨大ヒーローの三分に比べれば随分とマシと思えるのだろうか。
だが運動などすると効果時間も心持ち減衰すような感覚がある。
何か温泉の中のエネルギー的な物が運動によって消費されているような現象だが、龍王のウィリアースフィムに確かめてみても確かな答えは得られなかった。
温泉の効能に関して思考を埋没させていると、アリアンが不意に思い出したように顔を上げて本来の用事を口にした。
「そうそう、夕食の準備が出来たわ。今日はチヨメちゃんが作ってくれたのよ」
「きゅん!」
その言葉に、今迄此方を見上げていた炒り豆の催促をしていたポンタが一声鳴いてチヨメの姿を求めて駆だしていた。
「そうか。では明日は予定通り、一度ローデンの王都へ出てから、そこからチヨメ殿の隠れ里へと向かう段取りで構わぬのだな?」
そのポンタの背中を見やりながらアリアンに明日の予定を確認すると、彼女も同じようにポンタの背を目で追いながら首肯して答えた。
「ええ。あたしも山野の民の隠れ里に興味もあるし、チヨメちゃんからも是非にって招待されてるから。あたし達も行きましょうか」
そう言ってアリアンの促しに応えて、チヨメの待つ厨房跡へと向かった。
厨房跡の部屋に入ると、そこにはかつての竈だった場所に火が灯り、薄暗くなった室内を仄かに照らし出していた。竈の上には鍋が掛けられ、薪の爆ぜる音と共に湯気を上げてぐつぐつと煮え立つ静かな音が耳に入る。
その煮える音を黒い三角の猫耳を聳たせて聞いていたチヨメが、鍋の中の煮え具合を確かめるように持っていた匙で掻き混ぜ、そして既に準備万端といった風に尻尾を振って夕食を待ち構えるポンタの姿があった。
「今日の夕食はボクの里で病の時によく食べる、野鳥の山菜汁です。滋養強壮に効果があって里では定番の一品です」
此方の姿を見とめて、チヨメが今日の夕食の献立の内容を説明しながらポンタの取り分である野鳥の肉を皿に移し、それを今か今かと待ち構えるポンタの前に置いた。
ポンタはその未だに湯気を上げる鳥肉に、風の精霊魔法を使って冷ましにかかる。
今日の夕食は自分が意識を失って倒れてからの初の食事の為か、刃心一族に伝わる病人食のようだ。
──まぁ、正確には病人ではないが……。
七日の間、飲まず食わずでも平気なのは間違いなくこの身体のお蔭だ。点滴設備などあるとは思えないこの世界では、七日も寝たきりになれば脱水症状であの世行きだ。
「ではありがたく頂戴する」
チヨメがよそい分けてくれた椀を受け取り、礼を言ってから口をつけた。
鳥の肉はやや野性味の溢れる味で、しっかりと煮込まれた身は柔らかで、その少し癖のある脂がスープ全体に溶け出している。その中に苦みのある山菜と少しの塩気が合わさり、どこか薬膳のような味を思わせた。
我儘を言えばここにもう一味程欲しいところだ。
醤油やコンソメのようなベースとなる味があればもっと美味しくなるだろうなと、そんな感想を抱きながらスープを啜る。
「……口に合いませんでしたか? アーク殿」
無言でスープを啜っていると、チヨメがやや不安そうな顔で此方の顔を窺っていた。
「いや、すまぬな。少し考え事をしていた。もう一味程欲しい所だが、これはこれで身体に良さそうで美味いな」
そう言って笑うと、真正面にいたアリアンが匙を口に含みながら此方を指さした。
「アーク、あなた肉体が戻ってるわよ?」
「ん? おや」
その彼女の指摘通り、自分の身体に視線を落とすといつの間にか骨の身体だった物が褐色の肌を持つエルフの肉体へと変化していた。
「すみません、アーク殿。スープの水に温泉のお湯を利用したので、その影響ですね。あと味に関しては里では塩と香草以外はなかなか手に入らないので、こういった味付けが多いのです」
チヨメが頭の上の猫耳を少し倒し申し訳なさそうに頭を下げるので、慌てて弁明するように首を横に振って話題を変えた。
「いや、此方こそすまぬな。そうか……里では塩なども手に入りづらいのだな。現状はどうやって調達しているのだ? それとここへ移住した際にはどうするつもりなのだ?」
塩は生きている者にとっては必要不可欠な物だ。海があればそこから塩を精製する事は出来るだろうが、ここは周囲を山脈に囲まれた盆地だ。
上手くすれば岩塩が産出する場所が見つかるかも知れないが、それでも一朝一夕で見つかるようなものではない。
その事を指摘すると、チヨメはアリアンの方へと視線を向けた。
「里には少ないながら岩塩の採掘出来る場所があるのですが、この地へ移住した際には再びそういった場所を探す必要があります。その為、当面の間はエルフ族の方に融通して貰えないかと思い、アリアン殿の口利きでララトイアの長老殿らとの話し合いを持てるように取り計らって頂く運びになっています」
そのチヨメの言にアリアンもそれを肯定するように頷く。
どうやら自分が気を失っている間に色々と話が進んでいたようだ。
「そうか、我が寝ている間に随分と話が纏まっていたのだな。ではこの社での用件はもう済んだのだな?」
そう尋ねるとこれにチヨメは小さく頷く。
「はい。ボクの目的であった二つの探し物、初代様の社とそこに残されていた『契の精霊結晶』は見つける事が出来ました」
「『契の精霊結晶』?」
聞き慣れない単語を耳について聞き返しながら、龍王のウィリアースフィムが彼女に対して“精霊結晶の担い手”などと呼んでいたのを思い出す。
そんな此方の疑問に応えるように、チヨメは手に持った椀を傍らに置き、自らの忍び装束の胸元を少し開いてそれを見せるようにした。
彼女の白い肌が露わになった胸元──そこには部屋を灯す厨房の火に照らされ、僅かに虹色に光る少し大きめの菱形の宝石が貼りつくように顔を覗かせていた。
それはまるで生きているかの様に、僅かな光を発しながらそれが脈動するように淡く明滅を繰り返していた。
「アリアン殿には一度お話しましたが、この精霊結晶と融合する事でボク達は忍術を使えるようになります。これは自分と相性のいい精霊を呼び出し契約する魔道具で、初代ハンゾウ様から代々受け継がれている一族の秘宝ですね」
そう言いながら彼女は少し頬に朱を上らせて、興味深く覗き込んでいた自分の視線からその結晶を隠すように胸元を仕舞った。
正面から何やら圧力のような視線を感じたが、ここはあえて見えないフリをするのが得策だろう。空咳を一つ入れて、手に持った椀に口を付けて一口啜る。
「そうか、世の中には不思議な魔道具が色々とあるのだな」
今迄に見た事も無い効果の魔道具に自分の率直な感想を述べると、チヨメは少しその猫耳を項垂れさせて息を吐いた。
「アーク殿もこれの出所をご存知ないようですね──初代ハンゾウ様のご同郷と目していたので、少し期待をしていたのですが……」
その彼女の発言に、正面にいたアリアンがその尖った耳を僅かに動かして、訝し気な顔をして此方に顔を向けてきた。
「え? アークってチヨメちゃんの里の初代族長のハンゾウって人と同郷なの? 確かハンゾウって人族だったのよね?」
アリアンのその尋ねに、自分自身がチヨメに言った彼女達しか知らない筈の“忍者”の言葉の出所、それを自分の故郷で用いられるものだと語ったのを思い出した。
そう言えばあの時、自分は初代半蔵と同じく人族であるという認識で答えたのだが、自分の今の姿は生憎と人族ではなくエルフ族の仕様になってしまっている。
「……記憶では我も人族のつもりであったのだがな。どうも記憶に色々と齟齬があるようなのだ」
──ここはもうこう言ってとぼけるしか思いつかない。
首を傾げてそう言葉を濁すと、アリアンは眉根を寄せて考え込むように唸る。
そんな唸る彼女を置いて、話題を逸らす目的でチヨメに他の質問を投げ掛けた。
「その精霊結晶だが、出所を知りたいというのはあまり数がないのか?」
その自分の質問に、チヨメは自らの胸にある精霊結晶を忍者装束の上から暫し撫ぜるようにしてから答えた。
「……はい。言い伝えでは初代様が十個の『契の精霊結晶』を一族に託された以外には、他でこの魔道具の噂を耳にした事がありません。里に今ある八個と、この社に保管されていた一つと合わせて全部で九個。残りの一つは遥か昔に既に失われたと聞いています。もう少しこれの数があれば、里の戦力を底上げ出来るのですが……」
初代半蔵はその魔道具をこの世界に持ち込んだのか、それともこの世界へ来てから自らの手で生み出したのか──少なくとも自分の知っているアイテムの類ではない。
「その精霊結晶とやらは、融合するという事はやはり気軽に取り外しが出来ぬのか?」
「これを取り外せる時はボクが死んだ時です。これは代々受け継いだ者の死後、遺灰から次代の六忍の適格者に引き継がれてきた物ですから」
静かに熱を放つ炎に照らされ、そう言葉にする彼女の表情は少女のそれではなく、里の為、同胞の為に命を懸けた一人の戦士の貫禄を宿していた。
そのチヨメの表情に、自分はそこに次ぐ言葉を見つけられず、残った椀の中の山菜を掻き込んで一息吐いてから明日の予定へと話を移した。
「では明日は予定通り、チヨメ殿の隠れ里へと向かうとするか。馳走になったチヨメ殿」
チヨメはその言葉に謝意を示すようにして頭を静かに下げた。
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次話は21日を予定しております。




