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新たなる拠点

 今目の前に広がっているのは、七日前に自分が気を失うきっかけとなった温泉だ。


 (やしろ)の裏に築かれたその巨大な露天風呂は、かつてここに温泉を見つけた初代半蔵がこの場所を根城にした際に整備した物であるらしい。

 岩場の隙間から滾々と湧き出すお湯は尽きる事無く、岩肌にくり抜かれた溝を流れながらその温度を下げて湯船へと注ぎ込まれ、溢れた湯が傍の崖下へと滝となって流れ落ちていく様は実に風流な景色と言える。


 その巨大な露天風呂には、青灰色の鱗の肌を持つ四メートルの巨人が岩場に背中を預けるような、実にリラックスした格好でお湯に浸かっていた。

 初代半蔵がここを根城にしていた時から、人型となった龍王(ドラゴンロード)のウィリアースフィムはここの温泉にちょくちょく入りに来ていたそうだ。

 口から風の吐息を吐き出しながら湯気を飛ばし、実に気持ちよさげに温泉に浸かる様は、地獄谷温泉に浸かるニホンザルに通ずるものがある。


 そのウィリアースフィムが、此方に視線を向けて声を掛けてきた。


「小僧、いつまでそこでそうしているつもりなのだ?」


 そう言って問い掛けられた自分はと言えば、温泉の縁の石垣からそっと足先を伸ばしてそれを湯面に浸け、足先が解呪されて肉体が戻ると同時に足を引っ込めるという行為を繰り返していた。


 あの衝撃の事を思うと、どうしても躊躇うものが出てくるのだ。


 骸骨姿なので感情に対する負荷は無いが、決断する際の感情はまた別のようだった。

 しかしいつまでもこうしている訳にもいかず、覚悟を決めて湯面を見据える。


 今回は気を失っていた七日間の感情の揺り戻しがあるだけ──、前回の時のような酷い症状になる事はない筈──。


南無三(なむさん)!!」


 そう思いながら気合いを入れて、一気に湯面へとその骸骨の身体を沈めた。

 しばし湯の中に沈みながら、瞼を閉じて訪れる衝撃に身を固くする。しかしそれは一向に訪れる気配がなく、湯面からそっと顔を出して周囲を見回した。


 やや身体の奥がぞわぞわとする感触が一瞬這い上っては来たが、以前のような衝撃的な反動はない。

 以前温泉に浸かった時から七日経ったとは言え、その殆どを気を失って過ごしたので、感情に対する負荷もほぼなかったからか。

 結果として今回の温泉での解呪時に訪れる負荷の逆流も大したものではなかった。


 ほっと胸を撫で下ろしつつ、今度は温泉の湯に身を委ねて息を吐き出した。


「はぁ~~」


 これからはこの温泉に定期的に浸かりに来る必要性が出来た。

 こうやって小まめに感情の蓄積を解除しておけば、今後ともこの温泉に浸かるのに相応の覚悟を持って入る事もなくなるだろう。

 以前の毎日風呂に入る生活のように、ここでは毎日この温泉に浸かりに来てもいい。なんとなれば朝晩と二回入ってもいいかもしれない。

 あの感情の濁流に再び飲まれるなど御免被りたい。


 温泉の湯で少し顔を洗って溜め息を吐く。


 解呪の効能によって肉体が戻ると、不意に過去に行った自分の所業が思い起こされる。 人の命をこの手に掛けた時のなんとも言えない後味の悪い感情と、温泉が身体の芯まで温め癒す作用でどうにも複雑で妙な居心地だ。


 そんな止めどない感情の発露を湯の中で身を任せるままに溶かしながら、これからの事について思いを馳せる。


 自分が思っていた肉体とは違うが、とりあえず肉体を取り戻すという目標は達成した。


 自身の長く尖った耳を引っ張りながら、湯面に映ったダークエルフの男の表情を変えつつ睨め合いをして一息吐く。

 まずはこの温泉の効能がどこまでなのかを検証する必要がある。


 そう思って、徐に露天風呂の縁の石垣に座り、足だけを浸けた状態になった。


 骸骨アバターになる前のこのダークエルフアバターは、褐色肌で鍛え抜かれたような筋肉が素晴らしいなかなかにいい身体だ。

 無意味に胸筋を強調してみたくなる。


 しかし今はその自慢の筋肉を見せびらかす為に身体を晒している訳でない。

 この温泉の効能時間を調べる為に、こうやって湯から上がって身体を晒しているのだ。


 しばらくして湯から上がった上半身がうっすら透け始めるようになり、やがて溶けて消えていく肉体の奥から骨の身体が現れる。

 湯に浸かったままの脚はまだそのまま肉体を保持した状態だ。骸骨が肉体の靴下を履いたような実に奇妙な絵面で、傍から見ればかなり衝撃的な姿だろう。

 そんな自分の足先を湯面から上げてしげしげと骨と肉体の境に目をやる。


 どうやら湯から上がると十分もしない内に元の骸骨姿に戻るらしい。


 一旦湯の中に戻り、肉体を戻してから湯を掻き分けながら、湧き出した温泉が湯船に注ぎ込まれる場所へと近づくと、そのお湯を両手に掬って一気に口に含んで飲む。


 特に癖のある味も無く、暖かなお湯が喉を通って腹の底を温める。


 そうして先程と同様に、露天風呂の端の石垣に腰掛けて自分の肉体に視線を落とす。

 しかし今度は十分経っても肉体が消える事が無く、さらに十分が過ぎても肉体を保持したままだった。


「ウィリアースフィム殿、これは呪いが完全に解けたと見て良いのか?」


 奥の方で時折、長い尻尾を湯面で遊ばせていた龍王(ドラゴンロード)に視線を向けて尋ねると、彼はちらりと此方を一瞥してから首をゆっくりと横に振った。


「儂にもそこまで詳しい事は分からんが、小僧に掛かった呪いの特殊性を見る限り、また元に戻る気はするがな。いったい何処でそんな呪いを貰ったんだ?」


 ウィリアースフィムはそう言って風の吐息を鼻から吐き出しながら、特に答えを求めている風でもない問い掛けを投げて寄越した。

 この骸骨の身体はこの世界へとやって来た時に備わったものだ。そうなると、この呪いも世界を越えた時に付与された事になる。

 こうなった理由も原因も、正に神のみぞ知る──だ。

 そんな事を思い悩んだ所で、なぜ自分は生きているのかという事を哲学するに等しい。


 首を横に振って応え、代わりにこれからの事に関してウィリアースフィムに尋ねた。


「ウィリアースフィム殿、この(やしろ)跡だが、今後ここを我の拠点としたいのだが、構わないだろうか?」


「……好きにするといいさ。元々ここはあの猫人族を率いていたハンゾウが築いた場所、儂の寝床である樹に余計な真似をする気がないなら別に構わん」


 そう言って龍王(ドラゴンロード)は湯に口を沈めて、息を吐き出しながら湯面に泡を作ってその瞳を閉じた。


「では、有難く……」


 自分はそんな彼に目礼を返してから、先に温泉から上がった。

 温泉の傍の社の裏手には元は脱衣所だったろう場所があり、そこに纏められていた自分の鎧を身に纏う途中、ふと手を止めて自分の格好を確認する。


「ふむ、ここで完全装備する必要性もないか……」


 そう独り言を溢しながら、下半身の鎧だけ身に纏う。

 全身を鎧で覆ってしまっては、解呪の効能の持続時間をすぐには確認出来なくなる。


 上半身裸の筋肉を隆起させてサイドチェストの構えをとった。鍛え抜かれたような褐色の筋肉がミシミシと音を立て、血管が浮き出るように震える。


「ここに全身が映る姿見が欲しいな」


 今後の拠点化計画の中に、全身が映る鏡の購入を頭の中に追加し、アリアン達がいるであろう(やしろ)内に足を向けた。


 脱衣所から入ったその先には大きな広間のような場所だったが、今は石床の隙間から下草が生えて、ちょとした草原のようになっている。

 そこにアリアンとチヨメが二人、何やら話し込んでいる姿が目に入った。


「すまぬ、待たせたなアリアン殿」


 そう言って声を掛けると、アリアンが此方に振り返って少し驚いた顔をする。


「アーク、その姿……呪いが完全に解けたの? というより身体の方とか大丈夫なの?」


「二人には心配を掛けたが、身体の方はこの通り、何も問題はない。今の状態だが、ウィリアースフィム殿によればこれもまた一時的なものだろうと言われたので、とりあえず今はあの温泉の湯を飲んで肉体を戻した状態で、どれ程の効果時間があるか検証中なのだ」


 アリアンの質問に答えながら、モスト・マスキュラーの構えで僧帽筋を強調してみる。

 すると目の前のアリアンが変な顔をして此方に視線を向けてきた。


「それは分かったけど、なんでそんな格好してるのよ?」


「うむ、肉体がある喜びを全身で表しているのだが、変かね?」


 彼女の質問に答えながら、大胸筋を動かして見せる。


「うちのお祖父ちゃんみたいな事はヤメテ。見てるこっちが暑苦しいから」


 アリアンの辛辣な一言に肩を落としていると、外に遊びに行っていたポンタが駆け寄って来て、魔法の風の力を使って飛び上がった。


「きゅ~ん!」


 そしてそのまま風に乗って此方の頭の上に貼りつくと、綿毛の尻尾を振って顔面を撫で回してきた。

 そんな様子を黙って見ていたアリアンが、何か納得したような顔で頷く。


「アークがエルフ族なら精霊獣のポンタが懐くのも納得ね……。ね、アーク、これが何か見えたりする?」


 そう言って彼女は自らの手の平に息を吹きかけ、それを見せるように此方に示した。

 その彼女の手の上には、以前ランドバルトで見た時のような淡い光がぼんやりと見てとる事が出来た。


「? よくは見えぬが、ぼんやり光っているのは分かるが……」


 アリアンが示すその手の平の上を凝視しながらそう答えると、彼女は再び納得した顔で頷いてその光を消した。


「やっぱり。アークには精霊を見る力があるわね」


「しかしアリアン殿、我にはカナダ大森林に漂う魔素(マナ)不死者(アンデッド)の死の穢れとやらも見えぬのだが?」


 アリアンが一人納得する傍で、疑問に思った事を口に挟む。


「それはエルフ族でも個人差があるわ、それにアークの身体つきから言ってどちらかと言えばあたし達と同じ、ダークエルフ族に近いものがあるように見受けられるしね」


 アリアンのその答えに、この世界でのエルフ族の特徴を思い出す。

 確かエルフ族は魔法適性が高く、ダークエルフ族は身体能力が高いという特徴があると以前に聞いた覚えがある。

 確かに自分のこの肉体を見れば、どう見てもダークエルフ寄りだ。しかしこの肉体はゲーム世界でのダークエルフに似せただけで、エルフそのものかどうかには疑問が残る。


 しかし目の前で示された精霊が僅かでも見えるという事は、身体的特徴どおり種族特性が備わっているという証左とも言えるのか。

 そう言えば、アリアンが住むカナダ大森林を築いた初代族長──恐らく自分と同じような存在のその人物も、確か精霊の存在を視る力はあれど、その力はそれ程強くなかったと以前アリアンから聞いた気がする。


「一旦里に戻ってアークの事を長老に伝えた方がいいかしらね……あ!」


 アリアンはそう一人で今後の予定に言及していると、不意に何かを思い出したように手を打ってチヨメの方へと振り返った。


「そう言えばチヨメちゃんの方でアークに話があったのよね」


 その彼女の言葉に、今迄会話に混じる事なく傍に控えていたチヨメが猫耳の付いた頭を軽く下げて此方に視線を向けてきた。


「ふむ?」


「実はこの間の王都でアーク殿やアリアン殿にご助力頂いた同胞救出作戦を覚えていると思われますが、あれの予想以上の成功にカルカトの山間(やまあい)にある隠れ里の収容出来る許容人数を大幅に超えてしまったのです。魔獣が多数生息する山奥で、耕作出来る場所も少ない山肌の土地なので、元々暮らすには厳しい所で里の人口も既に限界近かった事もあって……」


 里の現状を語ったチヨメは、その肩と一緒に尻尾を力無く垂れ下げた。

 自分はそれに相槌を打つように頷きながらその先を促す。


「それで初代ハンゾウ様がかつて拠点としておられたこの“(やしろ)”を探し出し、その地を新たな里として移住する旨を二十二代目様から申し渡されていたのです」


 どうやら彼女達一族は単に初代半蔵のかつての根城を探していただけではなく、助け出した多くの同胞達が住める安住の地としてもこの地を捜索していたようだ。

 その彼女達の事情に理解を示しつつ、自分と目的を同じくしていた事に少し憂慮を覚えながらその事について言及してみる。


「我もあの温泉の効能やこの身体の事もあって、この地を拠点にしようと思い先程ウィリアースフィム殿にも許可を貰ったのだが……、それは構わぬか?」


 その自分の意見にアリアンとチヨメが一緒に驚いたように顔を見合わせた後、チヨメがその蒼く透き通った瞳で見つめ返すようにして返事をした。


「それは、はい。我々もウィリアースフィム殿に許可を頂きましたし、それに──我々里の者達が暮らす予定なのは龍王(ドラゴンロード)様のお膝元であるこの社周辺ではなく、龍王(ドラゴンロード)様にお教え頂いた東の先にある大きな湖の傍の平野を予定しています」


 どうやらここより暮らしやすい土地がこの先にあるらしい。

 ここは山頂で温泉なども湧いていて、かつての住居跡でもある社が残されており、少人数で暮らすには割と好都合な場所だが大人数で暮らすには些か不便でもある。

 洞窟から出た時に見たこの地は、四方を高い山脈に囲まれた盆地のような場所で、外敵に攻め込まれ難い土地となっている。

 その平野部となれば多くの山野の民を移住させる事も出来るだろう。


 しかし初代半蔵は何故この地を山野の民の里にせず、他の地に移住したのだろうか?

 その事に関してチヨメに尋ねてみるが、彼女は首を横に振ってそれに答えた。


「ボクも詳しい事は知りません。なにせ何代も前のお話なので、現族長の二十二代目様に聞いて貰えればもう少しその辺りの事情が分かるかも知れませんが」


 だいたいの事情が読め、彼女の話となる内容も想像がついた。

 確かにこの地は人族という外敵に攻め込まれ難い土地だが、それは同時にこの地を訪れるにはかなりの困難が付き纏う事を意味する。

 今の所この地を訪れる為に判明している道程は、多数の魔獣が生息する深い森を抜け、その先に聳え立つ風龍山脈を越えるか、あの深く暗い長大な洞窟を抜けてくるしかない。

 山野の民が身体能力に優れた種族だからと言っても、移住による移動はかなりの危険が伴い、それによって多数の死者が出るのは明らかだ。

 それはつまり──、


「チヨメ殿の里の現状と、里の移住計画に関して我に話があるとなれば、転移魔法を使っての里の移住の支援──といった所か?」


 そう当たりをつけてチヨメの方に視線を向けると、頭の上に備わった猫耳をピンと立てて期待するような眼差しで此方を見上げてきた。


「──はい! 今一度、アーク殿のご助力を頂けないかと」


 その彼女に対しての返事は既に決まっている。


「我もこの社を拠点にするにあたって、この地のかつての持ち主であった半蔵殿の末裔である現族長殿にも挨拶を入れておかねばなるまい。言い方は悪いが、移住の為の手伝いによる報酬としてこの社を貰い受ける形での交渉も視野に入れる必要があるからな。我の呪われたこの身体の為にもそれは譲れぬ」


 そう言ってチヨメに笑い掛けると、彼女はいつもの澄ました顔ながらやや頬を紅潮させてその長い尻尾を嬉し気に左右に揺らした。


「ありがとうございます、アーク殿」


「ところでアリアン殿はどうするのだ? 先に一旦ララトイアの里へと戻るか? 我の為にこの地に七日も滞在させる羽目になってしまったしな」


 そう言って此方の話を黙って聞いていたアリアンに話を振ると、彼女はその豊満な胸を自らの腕で押し潰しながら顎先に指を置いて思案する格好をとる。


「本来なら里からここまで来て戻る日数の事を思ったら、七日で帰れる距離じゃないから、そっちの心配する必要はないわ。あなたが寝ている間にチヨメちゃんとも話して、あたしも里に一度訪れる約束もしてたしね」


 そう言って彼女達二人はお互いに視線を合わせて笑みを溢す。

 どうやら自分が寝ていた間に既に話がついていたようで、二人が醸し出す親密な雰囲気に疎外感を感じて頭を掻いた。

 それを頭の上に居たポンタが大きな綿毛の尻尾で撫でて癒してくれる。


「ポンタ、後で美味い物を食わせてやるからな」


「きゅん♪」


 寂しくなった空虚感をポンタを撫でる事で慰めていると、急にその撫でていた腕が透け始めて奥に骨の姿が浮かび上がってくる。


「む?」


 するとたちまち時間を置かずに身体全体の肉体が霞の様に消えていき、元の骸骨姿に逆戻りしていた。

 温泉の湯を口に含んでから一時間弱──といった所か。


「元に戻ったわね……効果時間は結構短いわね」


 アリアンも此方の身体に変化に目を丸くしながらも、温泉の効能に関して辛辣な事実を突きつけてくる。

 確かに効果時間は短いが、温泉に浸かるより飲水した事によって効果時間が劇的に伸びたのは事実だ。

 今度は飲む量を増やしたりしながら、もう少し検証する時間が必要だろう。

 そう思い直して、これからの予定にその事を組み込んだ。


誤字・脱字などありましたら、ご連絡宜しくお願い致します。

次話は16日を予定しております。

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