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次の旅へ

 里の長老宅である大樹の屋敷の二階、その大きな一室は隣に厨房が備わった食堂で、中央に置かれた大きな木製のテーブルには既に先程の面々が席に着いていた。


 両隣にアリアンとチヨメが座り、足元にはお皿に出された食事に夢中のポンタが大きな綿毛の尻尾を揺すっている。アリアンはそんなポンタの様子に頬を緩めながら、頭頂部の毛を梳くように撫でていた。

 自分は先程まで身に着けていた鎧を脱ぎ去り、エルフ族が纏う民族衣装的な着流しのような羽織に袖を通して席に着き、目の前に出された朝食に舌鼓をうっている。

 その様子を横からチヨメが摩訶不思議な物を見る目で眺めているのに気付き、パンに齧りつきながらそちらへと顔を向けた。


「どうかしたのか、チヨメ殿?」


 そう問い掛けると、チヨメは何故か複雑な表情を浮かべる。


「いえ、こうやって改めて見ても不死者(アンデッド)にしか見えないのですが、それが普通に食事をしている風景というのは些か、いえ非常に妙な感じがします……」


 そう言ってチヨメが見つめる先の自分の姿は、全身骨で構成された骨格模型のような身体でパンを頬張っている恰好だ。

 頭蓋骨の眼窩にある暗がりには蒼い灯火のようなものが揺らめき、内臓や皮膚、筋肉もないその出で立ちでありながら、物を食べれば味を感じ、飲み込んだ食物は何処かへと消えるその摩訶不思議な生物を目の前にすれば、彼女の感想も至極尤もだと言えよう。


 こちらの世界に来た際にプレイしていたゲームのプレイヤーキャラクターのアバター姿そのままだったのだが、その際に使っていたアバターが人のそれではなく、特殊アバターに変更したこの骸骨の身体だった。


「アークには不死者(アンデッド)特有の死の穢れが見えない……。それはチヨメちゃんにも分かるでしょ?」


 チヨメの妙な感慨を持った言葉に、横から擁護を買って出たのは先程まで餌に夢中になっていたポンタの頭を撫でていたアリアンだ。


「ボク達山野の民にはエルフ族の方が言う『死の穢れ』は見えませんが、確かに、不死者(アンデッド)特有の嫌な死臭というか、気配のようなモノは感じませんね……」


 チヨメはその小さな鼻を少しヒクヒクとさせながら、首を傾げる。


「それに朝の運動で汗を掻いたからって、朝風呂に入る不死者(アンデッド)なんか何処探したっていないわ。骨の姿でどうやって汗を掻くって言うのよね?」


 アリアンはやや呆れたような口調でぼやくと、此方に視線をジロリと向けながら脇に座っていたチヨメに同意を求めるように声を掛ける。

 その声にチヨメも軽く頷くと、彼女も此方を見上げるように視線を向けた。

 彼女達の視線を受け流すように、目を逸らしながら自分の姿に視線を落とす。


 たしかに汗は掻かない身体なのだが、やはり運動した後には風呂やシャワーを使いたくなるのは長年の習慣だからか。

 アリアンに骸骨であっても、風呂に入る事によって気持ちが一新されて心健やかでいられる事の素晴らしさを懇切丁寧に説いていると、奥からグレニスが一枚の紙を持って食堂へと現れた。

 そして手に持ったその紙を、彼女はアリアンの方へと差し出す。


 人族の街では見ることのなかった紙がエルフの里では普通に使用されているようだ。少し大きめの厚い一枚紙には独特の絵柄による地図のようなものが描かれている。


「これが、龍冠樹(ロードクラウン)までの道程と洞窟内の順路を示した地図よ。洞窟までの道は知ってると思うけど、一応ね」


 彼女のその説明にアリアンは頷いてその地図を受け取ると、地図に書かれている詳細に目を通し始めた。

 チヨメはいつもと同じく表情は変えていないが、地図の詳細が気になるのか頭の上の猫耳がピクピクと動いてるのが見える。


 グレニスの言う龍冠樹(ロードクラウン)とは、龍王(ドラゴンロード)と呼ばれる竜種の最上種の住処周辺に稀に生える大樹で、龍王(ドラゴンロード)の膨大な魔力の影響を長年に渡って受けた樹木が精霊を宿し、変質した物だそうだ。

 その龍冠樹(ロードクラウン)の傍にある土地は特殊な効能を持つ事で知られており、この里の長老であるディランから聞いた話によると、これから向かう先にはあらゆる呪いを解く効果があるという泉が存在する、との事だった。


 人族に捕らわれたエルフ族の奪還の報酬、それがこの泉の在処であり、アリアンの持つ地図にはその泉までの道が記されている──らしい。

 旅の準備を整えた明日にはその目的地へと向かう予定だ。


 泉の効能が本物かどうか、本物だとしても果たして自分のこの骸骨の身体の呪いに何処まで効果があるか。全ては未だに可能性の段階だが、この身体のままで過ごすというのも何かと不都合が出る可能性は高く、解決を図れるものならば試してみる価値は高い。


「この洞窟に行くのも久しぶりね。まさか、あの洞窟の奥が山脈を越える抜け道になってるなんて知らなかったわ……」


 アリアンは地図を熱心に眺めながら、感心したようにそんな声を漏らす。

 どうやら彼女は何度かこの目的地へと続く洞窟に足を運んだ事があるようだ。


「おお、アリアン殿はその抜け道となる洞窟にはこれまでにも訪れた事があるのか」


「ええ、まだこの里で戦士見習いだった時に、姉さんに連れられて何度か行った事があるわ。魔道具の動力になる魔晶石の類が多く取れるのよ……」


 当時の事を思い出すように語るアリアンだったが、ふと何かを思い出したようにその瞳が細められると、その視線をすっと此方に向けて何やら含むような声音が漏れた。


「アークがこれからも家で定期的にお風呂に入るつもりなら、この洞窟へ行ったついでに魔晶石も取ってきた方がいいかもしれないわねぇ~」


 ジトッとしたアリアンの視線が容赦なく突き刺さる。


 どうやら風呂に入る際の燃料代を暗に請求されているようだ。現代社会と違って湯を沸かすのにも薪やら魔石を消費するこの世界では風呂はなかなかに贅沢な代物。快適な風呂生活を送りたいならば、彼女の提案に否などあろうはずもない。

 それに事が上手く運び、呪いが解ければ自分の肌で湯につかる事も夢ではないのだ。


「うむ! ではその洞窟で風呂代として魔晶石とやらも採取してくるとしよう」


 拳を握ってその意気込みを見せて一も二もなく返事をすると、それを横で半眼になって見ていたアリアンが大きく溜め息を吐いた。


「本当、なんでそんなにお風呂が好きなのよ……」


 アリアンのその何とも言えない調子で漏らした一言はあえて黙殺する。


「それじゃ、地下室に仕舞っている旅道具なんかを適当に見繕って持って行って構わないから、明日の準備をしてきなさい」


 グレニスが手を打つのを合図に、アリアンやチヨメが席を立つ。

 先程まで朝食に夢中だったポンタも口元を舐めて毛繕いをしていたが、階下に向かう彼女達を追ってせかせかと小さな四本足を回転させて足元に纏わりついて行く。


 屋敷の地下室は、大樹の中央に配された巨大な柱の一階の裏側に隠れるよう入り口が設けられており、その扉を開くと柱に沿うような形で螺旋階段が下へと続いていた。

 地下へと続く階段であっても、魔道具のランプが等間隔で配置されている中は、以前に潜入した領主屋敷の地下で見たような陰気な雰囲気などは無い。

 一番下へと降りた先にある木製のやや重い扉を押し開けると、そこには所狭しと様々な用品が棚に並べられていた。


「ところで、旅の準備とやらには何を持って行けばいいのだ?」


 並べられた様々な品々を見回しながら、先頭に立って部屋の中の物品を漁るアリアンに声を掛けると、彼女は手にした物を此方へと示して顔を向けた。


「とりあえず洞窟に潜るなら手持ちのランプが必要でしょ?」


 そう言って彼女が手渡してきた物は、地球でもよく見る『ランタン』と呼ばれるような手提げ式のランプだった。ただ中央のガラスケース部分に収まっているのは、透明度の高い幾つもの水晶の柱で構成された物で、その下に摘まみのようなスイッチがあった。

 そのスイッチを捻ってみると、ガラスケースの中の水晶柱がキラキラと輝きだしてまるで電灯のような光を放ち始める。それはなかなかにファンタジー心を擽る、幻想的な仕組みの魔道具だった。


「おお、これはすごいな」


「『水晶発光灯(クリスタルランプ)』ですね。エルフ族の作り出すランプは明かりが強く、丈夫なのでかなりの高級品です。人族で持っているのは一部の裕福な者に限られますね」


 ランプの魔道具が生み出す光で影絵を作って遊んでいると、横に来たチヨメがランプの解説を加えてくれた。

 人族の街でよく目にした照度のあまりない油ランプなどの事を考えれば、電気で光るランタンにも引けを取らないこのランプが高級品であるというのは納得だ。手持ちの金貨などを使う先として、一段落した際にこれらのエルフ族が作り出した魔道具などを購入するというのもいいかも知れないなと、内心で今後の予定を考えていると後ろから不意に声が掛けられた。


「ちょっと、サボってないで手伝ってくれない?」


 後ろを振り向くと、やや頬を膨らませたアリアンが手に持ったもう二つのランプと、何かが詰まった革の小袋をグイッと此方の手に押し付けてきた。


「おお、すまぬな」


 彼女に謝りながらランプを受け取りつつ、受け取ったもう一つの紐で閉じられた革の小袋の中身を覗くと、キラキラとした紫色の光を乱反射する砂のような物が詰まっている。


「これは何に使うのだ?」


「『魔石燃料(マナフィオ)』、魔道具の燃料となる物ですね。魔石や魔晶石などを細かく砕いた物で、主にエルフ族の使う魔道具に多く用いられる物です」


 手に持ったその不思議な紫の砂を見ながら誰ともなしに問いかけると、脇に寄って覗き込んできたチヨメが再び解説をしてくれた。


「かなり高い魔力を生み出しますが、安定してその力を使うには高い技術が必要なようで、エルフ族の生み出す魔道具でしか使えません。人族の魔道具でこれを用いると良くて魔道具の破損、悪くて魔力の暴走で爆発などを起こす危険性があります」


 その解説を聞きながら、まるでジェット燃料みたいだなと思っていると、目の前のアリアンが何故か大きな胸を反らして自慢げな表情をとっていた。

 どうも高い技術力を持つという点で、エルフ族が褒められた事に気を良くしたようだ。


「どうしたのだ、アリアン殿?」


 そんなアリアンに素知らぬ素振りで声を掛けると、慌てて普段の表情に戻して「何でもないわよ」と一言残すと、奥の棚の方へと移動していった。

 奥の棚の前で旅に必要そうな物を見繕っているそんなアリアンの後ろ姿を眺めながら、自分はと言えば色々置かれた品物を手に取っては隣にいるチヨメに質問を投げ掛けていると、手前の棚に見覚えのある物を見つけた。


 麻袋に詰め込まれた金色の貨幣。それが棚の一画に置かれ、照らす部屋の灯りで鈍い光を放っている。

 その一枚を摘み上げて、描かれている紋章を見れば、それがローデン王国の金貨だというのが判った。


「あぁ、それ。アークが領主の館で盗んで来た金貨の一部よ。アークが何か入り用になった時に幾分か置いといた方がいいって、お父さんがね」


 準備の手を止めて後ろから覗き込んだアリアンが、此方の手元にある金貨に目を留めてそんなあらましを語る。


「お、ではこれで風呂の燃料代は解決するではないか」


 名案を思い付いたとばかりにそう言って後ろを振り返ると、アリアンが呆れ顔で肩を竦める姿が目に入った。


「なんでそんなにお風呂に対して情熱を燃やしてるのよ……。アークの腕ならお風呂に使う燃料用の魔石なんて、魔獣狩りで手に入るでしょ? 他にお金の使い道ないの?」


 そのアリアンの言にしばし顎に手をやって黙考する。

 確かに、風呂に使う魔石などは剣や魔法の訓練などで魔獣を狩れば事足りるし、これから向かう洞窟でも魔晶石が手に入ると言っていた。

 わざわざお金で魔石を買う必要性も薄い。そうなると、お金の使い道となるとやはり生活を便利にするエルフ製の魔道具などを買い揃えるのがいいだろう。

 幸いエルフ族との伝手が出来た事でもあるし、何処かに拠点を設けた際には有難くこのお金で生活用品──、いや、やはりお風呂の施設を導入するのが最優先だ。

 固くそう決意し、その今後の展望をアリアンに語って聞かせると盛大に溜め息を吐かれてしまった。自分としては至極真面目な展望だったのだが……。


 そんな他愛もないやりとりを交わしながらも、泉への旅の準備は着々と進んでいった。


誤字・脱字などありましたら、ご連絡宜しくお願いします。

次話は11月2日を予定しております。

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