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稽古

 カナダ大森林と呼ばれる大樹の生い茂る深い森の奥、そんな森の中に住まうエルフ族の里の一つ、ララトイア。


 魔素(マナ)が濃く、数多の魔獣が跋扈する深い森の中にあって、独特の形状をした波型の外壁が外部の森とを隔絶するように里を取り囲んでいる。

 その外壁を構成するのは数多くの根を張った木柱で、隣接する木柱と同調する様に曲線を描きながら反り返り、それらが隙間無く規則正しく並ぶ様は、自然物でありながらも明らかに人工物である事が見て取れた。


 そんな高さ三十メートル以上ある生きた壁の内側には、外界の危険な森の風景とは打って変わって長閑な田舎の風景が広がっている。

 作物を育てる為の畑や、家畜を放しておく牧草地などが広々と広がっており、その中にぽつぽつと木造だろう家が点在していた。

 それらの家は少し変わった形をしており、マッシュルームの様な形をしている。家の外周には少し高いウッドデッキになっていて、軒もそのデッキの上まで張り出し、家の軒を支える周囲の柱には独特の紋様が彫り込まれていて独自の民族文化が垣間見えた。


 家や畑の間には、綺麗な石畳の歩道がひかれ、その脇には街灯が立ち並んでいる。

 そんな牧歌的ながら整えられた里の中央付近、そこには周辺に植えられた木々とは異質な程、巨大な一本の大樹が聳え立っていた。

 大きく広げた枝葉の下、ジャイアントセコイアなど目ではない程の太い幹には、まるで樹木と溶け合うかの様に人工物である屋敷が建っている。

 大樹の幹に開けられたいくつもの窓には綺麗なガラスが嵌め込まれ、枝葉の隙間から零れ落ちる日の光を照り返し、きらきらと反射させるその姿の中で鳥たちが囀る風景は幻想的でありながら妙に落ち着く雰囲気を演出していた。


 このエルフの里を纏める長老の住居でもある大樹の屋敷である前庭、そこには木の棒を手に持った二人が対峙していた。その脇には二人の観戦者がその様子を固唾を飲んで見守っている。


 目の前で木の棒を握り、半身で構える姿を見せるのは妙齢の女性だ。


 水晶の様な滑らかな肌に、雪の如く白い長い髪を三つ編みにして後ろに垂らし、豊満な肉体は妖艶さを伴って魔性の美しさを放っている。人では見られない金色の瞳は、真っ直ぐに自分へと注がれているが、静かにその場で佇む姿は一見隙だらけの様にも見える。

 だが、彼女の尖った耳が此方の動きに合わせるかのように僅かに動き、動作の先手を窺う様を見せて此方の動きを牽制していた。

 凝った紋様に彩られたエルフ族独特の民族衣装、そのワンピースのような物に袖を通して佇むその女性の名は、グレニス・アルナ・ララトイア。


 この里の長老の妻でもある人物で、この大陸では珍しいダークエルフ族の一人だ。


 そして、そんな彼女に相対する自分の姿は二メートルもある鎧騎士の恰好をしている。

 これはこの異世界へと飛ばされる前にプレイしていたアークと言うゲームキャラクターの姿そのままであった。


 風に靡く黒の外套の下から覗くのは、細部にまで装飾が施され、白と蒼を基調に彩られた白銀の全身鎧で、まるで神話の騎士が身に着けていそうな豪奢な鎧。

 鎧に備え付けたようなマントは夜の闇を思わせる漆黒で、内側にはまるで夜空を切り抜いたような煌めきがマントの中に見え星空のよう。


 しかし、いつも身に帯びている剣と盾は今は脇に置かれて、その代わりとして手に握っているのは一本の木の棒だ。


 今はグレニスと自分との間に三メートル程の距離を開けて、お互いにどちらが動くか探りを入れている段階だった。

 正直、何百年と生きて研鑽を続けてきたエルフ族に対して、レベル最大級のキャラクターの身体能力があっても純粋な剣技の対決では勝てる要素が少ない。


 いつまでも睨み合っていても仕方がないと、グレニスに向かって一気に踏み込みながら上段から棒切れを振り下す。身体能力だけは異様に高い身体のおかげで振り下しの速度はかなり速いが、グレニスはそれを既に読んでいたとばかりに棒先を合わせて横へと流す。

 空振りした棒を下段から切り返し、掬い上げるようにして再びグレニスに挑みかかるがゆっくり動いているようにしか見えない彼女には掠りもせず、むしろ握った手の甲を叩かれてしまう。

 手の甲は全身を覆う神話級の鎧である『ベレヌスの聖鎧』によって守られているので痛くもなんともないが、棒切れで叩かれた瞬間に響く金属音に思わず「あ痛っ」と言葉が漏れてしまった。


「動きが単調よ、アーク君。動いて斬るんじゃなくて、斬りながら動きなさい」


「了解である、グレニス殿」


 グレニスが棒で教鞭をとるように棒の先で指摘してくるのを、頷き返しながら返事をして、棒を素振りしながらイメージを頭の中で練る。

 しかし今迄剣術やらを習った事のない自分には一朝一夕で動ける筈も無く、気合と共に横薙ぎから入った連撃をあっさりと躱されると、再びグレニスの棒先が伸びるように間合いに入って来て籠手を叩かれた。

 それを眉根を寄せて溜息を吐いたグレニスが新たな指示を出してくる。


「それじゃ、今度は私の棒を躱してみてくれる?」


「了解である、グレニス殿!?」


 自分の返事が終わるか終らないかの瞬時、不意を突く形でグレニスが間合いを一気に詰めて棒を薙いできた。それを高い動体視力と反射神経でどうにか躱し、慌てて棒の先をグレニスに向けようとするが、彼女は流れるような動きでそれを逸らしつつさらに自分との間合いを詰めて棒を振るってくる。

 それを何とか後ろに下がりながら躱し続けるが、今度はいつの間にか背後に迫った木に背を打って足が止まった所を、籠手、胴、頭を小気味よく叩かれてしまう。

 まるで金管楽器のような音を連打されて一瞬茫然としていた所へ、前に立ったグレニスが艶然(えんぜん)と一笑する姿が視界に入った。


「私の勝ちね?」


 グレニスが此方に笑い掛けながら、勝ちを宣言してくる。

 自分としてはもう少し善戦出来るかと思ったのだが、結果はご覧の有様。しかしこれでは何とも情けない結果だと、己の人差し指を立てて再戦を申し込んでみた。


「ぬう……、グレニス殿、もう一戦お願いしたい」


「いいわよ?」


 棒切れを肩に担ぎながらグレニスがこちらの提案を快諾してくれたは良かったが、その後、何度か同じような光景を繰り返した後に再び頭を棒切れで叩かれて終わってしまう。

 手に持った棒を振りながら、どうにかもう少し自分の動きをマシに出来ないかと頭を捻りながら唸る。


 何故自分と彼女が手に棒を持って模擬戦のような事をしているかと言えば、これから向かう目的地が危険地域でもあるので、剣の使い手でもあり、かつて戦士としても活躍した彼女が朝食前の運動がてら、此方の実力を試すという話になったのだ。


「アーク君は目や動きの反射はすこぶる早いけど、どうしても相手の動きを見てから反応しているから動きが読み易いわ。あとは流れを読んで戦っているわけではないから、虚を突く動作に反応しすぎてるわね。騎士の恰好はしてるけど、あまり剣技が得意ってわけでもなさそうね?」


 特に息を乱した様子も無く、グレニスは此方の寸評を述べる。

 洗練された流れるような動きで此方の動きを翻弄しながら攻撃を繰り出す彼女から見れば、自分のは剣技とも呼べない身体能力に頼った特攻のような攻撃だ。

 いつも身に着けている剣が宝の持ち腐れにならないように、もう少し自分でもマシな動きが出来るようにならなければなと、思いを新たにする。


 そんな反省と決意をしていると、違う所から自分への擁護を口にした者がいた。


「アークのあの動きに合わせてあそこまで捌けるのなんて、母さん以外にそうそういるわけないでしょ?」


 そう言って、多分に呆れの色を含んだ声を上げて此方に歩み寄って来たのは、グレニスと同じダークエルフ族の特徴を持った一人の女性だった。

 薄紫色の肌を包むのは動き易そうな長袖長裾の地味な衣服だが、その下には彼女の隠しきれない女性特有の肉感的な肢体が収まっているのが窺える。

 雪の如く白く長い髪は後ろで一つに束ね、ポニーテールのようなその髪を風に靡かせて、金の双眸が真っ直ぐに此方へと向けられていた。


 グレニスを母と呼んだその女性の名は、アリアン・グレニス・メープル。

 エルフ族の多くが暮らすこのカナダ大森林、その中心都市である森都メープルに所属する戦士の一人で、今さっきまで手合せしていたグレニスの娘でもあった。


 彼女とはひょんな事から知り合い、人間に捕まったエルフ族の奪還を傭兵として雇われる形で手伝った事が切っ掛けで親交を深め、今は人が滅多に足を踏み入れる事の出来ないエルフの里の一つに逗留する事を認められる程になっていた。


「そうね……、アーク君の動きについてこれる人なんてそうそうはいないだろうけど、相手が魔獣だと分からないわよ?」


 グレニスは人差し指を顎に当てながら、アリアンの指摘を受け入れながらも笑みを崩す事無く切り返す。


「アーク、貸して」


 そう言いながらアリアンは右手を差し出して、自分の握っている棒を寄越すように促してきた。それに首肯しながら、彼女に木の棒きれを手渡す。


「母さん、久しぶりに手合せをお願いします」


「あなたと手合せするのは久しぶりね」


 母娘二人が静かに笑い合いながら、少し距離を開けて向かい合う。

 親子といいながら、相対した二人の見た目はどちらも若々しく、どう見ても姉妹にしか見えない。四百年程の寿命が在る彼女達は見た目では年齢がまるで分からない。


「しっ!」


 アリアンが気合と共に一息で滑るように間合いを詰めながら棒切れを振るう。それをグレニスは僅かに後ろに下がりながら、アリアンの振るった棒の軌道を下から添えるように滑らせ、軌道を逸らして躱す。そして躱す動作からアリアンの持つ棒の軌道が浮いたその下から潜り込むように反撃へと転じ、間合いを自ら詰めるように棒を振るう。


 グレニスから繰り出される連撃を、アリアンは先程のグレニスと似た動きで躱しながら距離を取りつつ、牽制に足蹴りを放つ。


「あらあら、足癖が悪いのはお姉ちゃんの影響かしらね」


 アリアンの足蹴りを後ろに跳び退りながら躱し、面白そうに笑うグレニス。


 自分と対峙していた時とはまるで動きが違い、その剣舞を舞っているかのような両者の動きは、ただ見ているだけで魅了されるような感覚に捉われる。

 全身鎧を纏ったこの身体では望むべくもない動きだが、グレニスに師事すれば少しはあのようなスマートな戦い方を覚える事が出来るのだろうかと思い悩んでしまう。

 自分の戦い方はと言えば、力に物を言わせた圧倒的な破壊が前提だ。魔獣などの人外を相手にするには向いているが、人相手に手加減をしたりするなどには向いていない。

 これは暇な時などに、アリアンなどに剣の手解きを本格的に依頼するなどした方がいいだろうと思考に暮れていると、グレニスとアリアンの決着がついたようだった。


 アリアンの手に握られていた棒切れが空中で回転しながら弧を描き、乾いた音を立てて自分の目の前の地面に落ちてきた。

 見れば、アリアンは両膝に手を突きながら肩で息をして汗を流し、前に静かに微笑みを浮かべているグレニスを見上げていた。アリアンの剣技は素人目に見ても分かる程には腕が立つが、グレニスはあの動きや表情を見ると上には上がいるものだと、つくづく感心してしまう。いや、驚愕と言った方が差支えないかも知れない。


「う~ん、実戦も熟して腕は上がってるけど、まだまだね」


「もう! なんで一発も入らないのよ……」


 娘を見下ろしながら笑む母と、悔しそうに母を見上げる娘のそんな様子を脇で眺めていると、自分と同じく静かに観戦していたもう一人が(おもむろ)に手を挙げた。

 それを目敏く視界の端に捉えたグレニスが、そちらの方へと顔を向ける。


「あら? チヨメちゃんも私と手合せしてくれるのかしら?」


「是非、ボクにも一手ご指南頂きたく」


 グレニスにチヨメと呼び掛けられた少女は、その場で立ち上がるとやや堅苦しい返事をして彼女に指導を願い出た。

 少し短めに切り揃えられた黒髪を揺らし、少女のその蒼い瞳は真っ直ぐにグレニスへと注がれている。小柄な身長に動き易そうな黒い服装をして、腕には籠手、足には脛当てをして腰に短剣を差していた。

 そしてそんな彼女の頭には人には見られない特長として、三角の形をした猫耳が覗き、腰には長く黒い尻尾が巻き付いていた。


 この世界では山野の民と呼ばれる獣の特長を持つ彼女達は、人族から受ける迫害を逃れて隠れ住んでいる。それを人が奴隷狩りと称して捕らえて、労働力として扱うなかで、彼ら山野の民達を解放する武力集団が、”刃心(じんしん)の一族”と呼ばれる彼女の一族だ。


 彼女達の一族は約六百年程前にこの世界に流れて来た自分と同じような存在が、迫害を受けていた彼女達を纏め上げて起ち上げた一族で、その集団は所謂忍者と呼ばれる者達の集まりなのだが、チヨメはその忍者の中で上位に位置する六忍の一人の実力者でもある。


「いいわよ」


 グレニスがチヨメを促すと、アリアンとチヨメが入れ替わり、グレニスの前に立った。チヨメは武器を持たずに籠手をした両手を握り込んで構える。

 互いに無言で見つめ合う事、数瞬。


 先程とは違って仕掛けたのはグレニスの方だった。アリアンの踏込をも上回る速さで斬り払いに動いたグレニスだったが、チヨメはそれをまるで地に伏せるような体勢で躱すと、瞬時にそこから蹴りを放ちながら跳ね起きる。その蹴りによる牽制を躱したグレニスを、チヨメが素早く態勢を整えて追い縋った。

 俊敏に動き、相手を翻弄するようなその所作はさすがに猫の血を思わせる動作だ。しかし、両手両足から繰り出される連撃を、危なげなく捌き反撃を加えていくグレニスには、今迄と同様に余裕の笑みが見て取れる。

 両者の攻防と立ち位置が目まぐるしく入れ替わる中、グレニスの振るう棒の先がチヨメの膝裏に当たると、僅かに気を取られたチヨメにグレニスの攻撃が畳み掛けるように繰り出され、体勢を崩したチヨメの喉元に棒の先が突きつけられた。


「ま、参りました……」


 喉を鳴らし、一拍の時を置いてチヨメが敗北の宣言を口にすると、グレニスが手に持った棒を引いて手を打つ。


「なかなか良かったわ、チヨメちゃん。体術で言えば(うち)の娘より上かしらね。身体が小さい分、攻撃が軽いのが気になるけど、まだ成長途中だろうからその内気にならなくなるでしょ」


「あ、ありがとうございます」


 グレニスの寸評に、いつもあまり表情を見せない彼女の口元が緩み、それを隠すように慌てて礼をして頭を下げる。

 それをグレニスは微笑ましい物を見る目で眺めながら、観戦していた此方の方へと目を向けて手を打ち鳴らした。


「はい、それじゃ朝の運動はここまでにして、朝食を摂った後は旅の準備よ!」


「は~い」「うむ、了解した」


「きゅん!」


 グレニスの言葉にアリアンと自分が返事をして立ち上がると、今迄屋敷の周りで遊んでいたポンタが『朝食』と言う単語に惹かれて駆け寄って来て鳴いた。


 体長六十センチ程のキツネにそっくりな顔つきと、ムササビのような身体を持つポンタは通称である綿毛狐の名の通り、まるでタンポポの綿毛のような尻尾を忙しなく動かしてその喜びを目一杯表している。

 柔らかそうな毛は背中全体を草色の毛に覆われ、腹側と尻尾の半ばまで毛が白いその様はまるで抹茶のカキ氷のような配色を思わせた。

 この世界では魔法を使える珍しい動物で、エルフ族などは総じてそういった獣達を精霊獣と呼んでいる。

 アリアンやチヨメの話によれば警戒心が非常に強い動物らしいが、『朝食』の言葉に釣られている今のポンタの姿には、野性動物が持つ本来の警戒心など欠片も見えない。


 ポンタがいつものように風を起こして前脚と後脚の間にある被膜で上昇気流に乗り、既に定位置になっている兜の上に飛び乗ろうとした所を、脇から伸びてきたアリアンの手によって捕まってしまう。


「は~い、ポンタは何が食べたい?」


 いつもより甘い声でアリアンがポンタの頭を撫でながら問い掛けると、しばらく此方とアリアンの顔を見比べていたポンタが「きゅん!」と一声鳴いて彼女の豊満な胸に顔を埋めて喉を鳴らした。


 どうやら定位置に座るより、朝食の誘惑に敗北したらしい──。


書籍Ⅱ巻の献本10冊が本棚を圧迫中。

Ⅰ巻の増刷分も合わさって貴重なスペースが自分の本で埋まる……^^;


誤字・脱字などありましたら、ご連絡宜しくお願いします。

次話は29日を予定しています。

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