序章
前回、第三部のあらすじ
エルフの売買契約書に記された先のランドバルト領で、領主の花嫁となっていたエルフ女性の無事を確認後、アーク達一行は忍者少女チヨメの齎した最後の手掛かりである神聖レブラン帝国の領内にあるライブニッツァ領へと潜入する。
そこで魔獣を操る力を持つ男から、攫われたエルフの顛末を聞かされた。大型の魔獣ヒュドラをけしかけてきた男とその大型魔獣との決死の激闘(笑)後、アーク達は一旦エルフ族が暮らすカナダ大森林のララトイアの里へと戻った。
北大陸北東部、旧レブラン帝国の東部に位置する神聖レブラン帝国。
その広大な領土のほぼ中央に置かれた帝都ハバーレンは、人口八万人以上を抱える大陸でも有数の大都市で、広大な平原に築かれたその都市は円形状に広がり、中心から放射状に延びた通りが整然とした街並みを形成していた。
その帝都の中心に聳え建つのは皇帝の居城でもあるシグウェンサ城だ。
かつてのレブラン帝国時代に東へと領地を求めた際に築かれた城塞を改修した物である事もあってか、優美さには程遠く、質実剛健なその造りも相俟って他を威圧するような雰囲気を纏っている。
その城塞の奥の間、この国を統べる皇帝が普段を執務室として使っている一室。
煌びやかながらも華美さを感じさせないシャンデリアが天井より下がり、その灯りで以って照らし出されたその執務室は、皇帝の一室と呼ぶに相応しい絢爛たる物だ。
部屋の奥には磨き込まれた幅広の執務机が置かれ、そこには一国の主にしか着く事が許されない椅子が置かれている。その椅子は部屋の趣よりは質素だが、剛建な造りの中に丁寧で細かな浮彫が施され、決して安物でない事が判る。
そしてその椅子に深く腰を下ろす人物は、くっきりした目鼻立ちに赤茶けた長くやや癖のある髪を後ろで乱雑に束ね、引き締まった身体に飾り気の少ない軍装を纏っているまだ青年のような若さの男だ。
彼の名はドミティアヌス・レブラン・ヴァレティアフェルベ。西のレブラン大帝国と北大陸の覇を争う東の大国、神聖レブラン帝国の若き皇帝だ。
その若き皇帝の眇められた灰色の瞳は、今は真っ直ぐに正面で報告書を読み上げる男へと向けられていた。
「報告によりますと、ライブニッツァ領の西の砦に収容していた魔獣の『使役の鉄輪』未装着のモノが突如暴走し、多数が領都へと雪崩れ込み被害はかなりの物となったそうです。これらの魔獣が暴走する前、フンバ氏が捕らえた中での最大魔獣であったヒュドラが砦の門を突き破り領主の城を襲撃しており、その際に領主は死亡しております。それ以降、フンバ氏の姿を見た者はおらず、謀反を起こしたのではとの噂ですね」
男はそこに書かれた重大事な内容に反して、にこにことした表情のまま報告書から顔を上げて、執務机の前で眉を顰めている皇帝の顔を窺うようにした。
でっぷりした腹を揺らし、鼻の下に申し訳程度の口髭を蓄え、皇帝より派手な衣服に身を包んだ一見裕福そうな商人に見えるその男の笑みには胡散臭い雰囲気が漂っている。
男の名はヴェルモアス・ドゥ・ライゼール、この神聖レブラン帝国の政務を取り纏める立場にある大法官を務める者だ。
そのヴェルモアスを胡乱げな目で見返すドミティアヌス皇帝は、今為された報告の内容を頭の中で反芻しながら、徐に口を開いた。
「あのフンバが謀反など考えるものか……。女と酒さえあれば後はどうでもいい辺境部族の男だぞ? 私に逆らって何の得があると言うのだ」
その皇帝の言葉に、ヴェルモアスは特に表情を変える事無く「私に聞かれましても」と可愛らしくも無いその顔で小首を傾げて見せた。
そんな彼の行動に青筋を浮かべる皇帝だったが、ヴェルモアスはそれに頓着する事無くさらに手元にある報告書に目を落として報告を上げる。
「それと街中で暴れていたヒュドラですが、突如現れた謎の魔獣により殲滅されてしまいました。目撃談によれば炎を纏った半人半獣の化物だそうで、古い伝承より伝わる炎獄の魔人だったと言う噂が街中に広まっております。なんでも伝承によれば、罪咎のある者を地獄の業火にくべる者らしく、領民に動揺が走っております」
「あのヒュドラをその魔人とやらが打ち破ったというのか!? クソッ、せっかく特注の『使役の鉄輪』を作らせていたものを……。あれ程の大物はフンバがいなければ捕獲すら難しいのだぞ……」
ドミティアヌス皇帝は苛立たしげに椅子の肘掛けを叩くと、報告を淡々と上げる大法官のヴェルモアスを睨み付けた。
「そんな顔をされても私にはどうする事も出来ません。 それと、ヒュドラと謎の魔人による被害で、ヒルク教の教会が壊滅する事態になっております。教会関係者からは、今すぐに再建の為の費用等を求める声が矢の様な催促で上がって来ております。……どうやら地獄の獄卒に教会を焼かれた事で、領民の間に不安が広がっているようでして」
そう言いながら、ヴェルモアスは報告書から顔を上げて皇帝の様子を窺う。
しかしそこには、先程まで青筋を浮かべていた皇帝の姿は無く、むしろ楽しげに口元を歪めて思案する顔をした姿が映し出されていた。
「ふん、古くから帝国に寄生する教会の連中か……。それで、領内に入り込んだ魔獣などはどうなった?」
「ヒュドラが殲滅された事で、残っていた領軍の現場の者が兵士達を纏め上げて、なんとか街中の魔獣を掃討し終えたという話です。今は事態が沈静化しておりますが、今回の件で領民達の不満が噴出するのは時間の問題かと」
その皇帝の姿に訝しがりながらも、ヴェルモアスは今後の事態の動向を見解を交えて具申すると、皇帝は一層酷薄な笑みを浮かべた。
「……この際だ、領内でヒルク教などを信仰しても何も救われない、それどころか教会は罪咎のある者として業火に焼かれた──と、領民達を焚き付けてやれ。今回の被害の鬱憤を教会関係者に回して、領内外の教会の信仰を失墜させてやろうではないか」
「宜しいのですか? 教会からは事態の収拾を図るように突き上げが来ますよ?」
「これを機に、我が帝国にこびり付いたカビのような教会を引き剥がしてやる。裏では寄進だ布施だとのたまい、表では自由だ愛だと愚昧事にしか口を開かない連中など私の帝国の躍進には足枷でしかない。ライブニッツァは辺境だ、ここの教会連中は今回の件をいい金蔓だと思っているようだが、気付いた時には遅い」
「分かりました。ではライブニッツァ領にはそのように対処致します」
大法官は報告書の傍らに覚え書きを走らせながら、恭しく頭を下げた。
「フンバの方は引き続き捜索を続行させろ。最悪死んでしまっていても、魔法院での『使役の鉄輪』は完成している。奴がいない事で大物を捕らえる事が出来ないのは痛手だが、オーガ程度なら軍でも何とか生け捕る事くらいは出来る」
皇帝は椅子に深く腰掛け直すと、これからの事に思いを馳せているのか、面白がるような笑みを浮かべて窓の外、遠くにあるライブニッツァ領の方角を見据えた。
◆◇◆◇◆
北大陸北西部、旧レブラン帝国の西部に位置するレブラン大帝国。
その中心地として栄える巨大都市ヴィッテルヴァーレは、巨大な街壁が都市を取り囲み、その内側には洗練された石造りの優美な巨大建造物が建ち並んでいる。大きな通りや公園が整備され、行き交う人や和やかに歓談する人など身綺麗な恰好をした多くの人々を見れば、その繁栄ぶりが窺い知れる事が出来た。
そんな帝都の中心には、皇帝の居城でもある壮麗なディヨンボルグ大宮殿が置かれており、その敷地は小都市が丸々収まる程の広大さを誇る。
そんな大宮殿の一画に、レブラン大帝国を動かす者達が一堂に会する場があった。
豪奢な内装に彩られたその議会所、その頂点の座に文字通り並ぶ者のいない高い席に着くのは、この帝国皇帝、ガウルバ・レブラン・セルジオフェブス。
白くなった髪と顎鬚は長く、緩くうねった毛先まで丁寧に梳られている。眉間に溜めた皺は濃いが、その下に収まる眼光は猛禽のように鋭く他を威圧するように周囲を睥睨し、その頭には皇帝の象徴として金に宝石を散りばめたサークレット状の帝冠を被っていた。 豪奢な衣装とマントで着飾ったその姿は帝国の威厳を映すかのようであったが、皇帝の表情は苦々しいものとなっていた。
その原因となっているのは、皇帝の横に立った端正な顔立ちをした如才なさげな若い男で、皇帝を公私共に補佐する役目にある宮宰の地位に就くサルウィス・ドゥ・オスト、その彼が読み上げる報告書にあった。
「──と言う事で、不意を突かれる形となったティシェンは今や、東の手に落ちたものと思われます。敵は魔獣を従えた混成部隊を編制しており、その打撃力は一分隊で中隊規模程もあり、ティシェン周辺に残されている南皇軍の数では攻めきれないと考えられる──、以上です」
宮宰のサルウィスが報告書を読み上げると、皇帝や宮宰と相対するように設けられた議席に着いた元老院議員達から、口々に悲鳴のような動揺が漏れ、まるでそれが小波のようにして広がっていった。
「何という事だ! ウェトリアスの救援の為に動かした南皇軍が玉突きで移動して手薄になったティシェンを突かれるとは……! 今すぐに南皇軍のキーリング将軍を南部に呼び戻さなくては!!」
「いやいやそんな事より、魔獣を従えての進軍とはいったいどう言う事ですかっ!? 魔獣との混成部隊など聞いた事がないですぞ!? あんな穢れた獣を従えるなど、東の連中は皆穢れに触れた忌まわしい畜生と同義ですぞ!!」
「問題はそんな事ではない!! あのシアナ山脈の麓の深い森に仕切られたティシェンをいったい何処から攻め落としたのか、と言う事です!! 森の南部に広がるフェビエント湿地は行商や隊商程度ならともかく、軍が大規模に移動する道幅も無ければ、移動を隠す事の出来る障害物も無いのですよ!?」
「今回のティシェンはかなり手薄になった状態であった筈です。それ程大規模な軍容でなくても攻め落とすには充分だった筈です。しかも敵は魔獣を加えた攻撃型の編成、まさに電光石火の攻勢だったのでしょう……」
口々に交わされる元老院議員達の会話を憮然とした表情で聞き流しながら、皇帝であるガウルバは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
それを、傍らに立っていた宮宰のサルウィスが聞き付け、困ったような表情を向ける。
「今回はまんまと東にしてやられましたね。ティシェンから南部の南皇軍は西のデルフレント王国との国境警備もあってあまり動かせませんし、かと言ってティシェン自体は三方を森に囲まれた要害。北西部からの一方の攻めには部隊の数が足らず、即応での奪還は無理でしょう」
その言葉に頬杖を突いた恰好の皇帝ガウルバは、眉根を寄せて小さく溜息を吐く。
「ウェトリアスの魔獣侵攻を囮にして、ブルゴー湾を臨む南部領域が手薄になった所を侵攻か……。しかし奴らは何処から現れた? フェビエント湿地からの道は議員共の言う通り現実的ではない。しかもローデンと東の国境付近には『豊穣の魔結石』を撒いて魔獣を誘き寄せての分断工作も実施してあったのだ……、まさか誘き寄せられた魔獣すらも利用されたのか」
「それもあるかも知れません。あと未確認ではありますが、東の者達はシアナ山脈の麓の森から押し寄せたとあります。もしこれが本当なら、あの深い森を横切る事を可能にした何かが在ると言う事です。これでは同じくウラト山脈とシアナ山脈の間にある森で国境を分断している、南部の大都市ハルトバルクも警戒せざるを得ません」
宮宰であるサルウィスの進言に、皇帝は一層眉根の皺を深くして唸る。そしてその視線は議会で元老院議員達が議論を交わし紛糾する議場へと向けられた。
「これ以上東の好きにさせて、南部のブルゴー湾を押さえられても面白くない」
そう独白しながら皇帝は、脇に置かれた煌びやかな意匠の施された帝笏を手に取ると、その長い柄の下で床を二度叩く。
澄んだ音が議場に響き、それまで喧噪を生んでいた議員達の口が自然と閉じられると、先程とは打って変わり議員達の身を包む貫頭衣の衣擦れがやけに耳に障る程の静寂が齎された。
皇帝ガウルバはそれをゆっくりと睥睨した後、徐に席から立ち上がる。
「彼奴等の勝手にこれ以上はさせん。南皇軍のキーリング将軍をティシェン奪還の任に充てる為、ハルトバルクまで戻す。将軍の到着に先行してハルトバルクで兵の準備をしろ。ウェトリアスの魔獣掃討には北皇軍のミンゼイア将軍を充て、北部国境の街であるフェブルエントにはスーウィン王国からの傭兵団を投入して対岸のカリッシュに圧力を掛けよ。あとはこの動きに呼応して西部のアスパニアが余計な動きをしないよう、西皇軍には厳に監視するように申し渡せ! 以上だ!」
皇帝が議場を睨み据え、再び帝笏を打ち鳴らすと、議員達は一斉に跪礼をして頭を垂れて次々に議場から出て行き、今回の決定が各所に申し渡されていった。
皇帝の前に並んだ五人の執政官達も、議事録を納めた後に慌ただしく議場を去って行くその後ろ姿を眺めながら、皇帝は傍らに立つ宮宰に目を向けた。
「キーリング将軍には連中の魔獣部隊の確保も申し伝えておけ。連中が手に入れた技術、全容を知る為にも此方で使えるかどうかも含めて検証せねばならん」
その内容に宮宰であるサルウィスは片眉を上げて、皇帝の顔を窺うように一つの懸念を口にする。
「宜しいのですか? 穢れた魔獣を使役する法など、ヒルク教の者達がいい顔をしませんよ? 何より、直接的に苦情を申し入れられるのは私なんですが……」
やや苦笑を浮かべながら話すサルウィスのその口調は、損な役回りを仰せつかった役人の愚痴といった風で、大げさに肩を竦めてみせた。
それをガウルバは一瞥した後に軽く鼻を鳴らすと、どっかりと皇帝の席に腰掛ける。
「ふん。綺麗、汚いで国が守れるなら苦労などせん! 小煩い司教共は何かと言って賄賂をせびるのが目的だろう、貴様の方で適当にあしらっておけ」
「では仰せのままに」
皇帝の言に苦笑を漏らしたサルウィスは、その場で恭しく頭を垂れた。
第四部、遅くなって大変申し訳ありません。
この物語も第四部で折り返し地点となります、頑張って最終部まで完結させたいです。
あと今日が書籍版「骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中 Ⅱ」の発売日でした。
興味のある方は、書店で見掛けた際にお手に取って頂ければ幸いです。
なお次話は27日を予定しています。




