ライブニッツァ事変2
夕刻、街中の人々が茜色に染まる空に急き立てられるかのように足早に行き交う中、自分とアリアンは共に昼間取った宿の一室に既にその身を置いていた。
とりあえずする事も無いので、自分は部屋の隅で膝を抱えて座っている。
アリアンはと言えばベッドの上でポンタと一緒にゴロゴロと戯れて遊んでいる。
そこへ、旅装姿のチヨメが静かに部屋へと入って来て鍵を内側から閉めると、大きな帽子を取って黒い猫耳をぴんと立て、周囲を窺うようにそばだてた。
一通り周囲の様子を探り終えると、チヨメは部屋に居た自分とアリアンに順に視線を向けながら情報収集の成果を尋ねてきた。
「そちらの方はどうでしたか?」
その問い掛けに、自分とアリアンが無言で顔を見合わせる。
「こちらは特に有益な情報は得られなかったな。後はアリアンが酔っ払いに絡まれたくらいか」
チヨメの質問に肩を竦めて答えると、彼女の黒い猫耳がピクピクと動いたのが見えた。表情は殆ど変わらないが、耳などは彼女の感情が如実に出るようだ。
何やらそわそわするような、嬉しげな様子が何となくだが伝わってくる。尻尾も見えていればもっと分かり易い筈だが、実家でも猫を飼っていたのもあって猫の感情が読み易いのだろうか。
自分とアリアンの情報収集が芳しくない結果を内心で喜ぶという事は、彼女自身が持って来た情報が有用であるという事だろう。チヨメはアリアンに対して今回のエルフ族の捜索の任務を急かす立場にあるので、彼女に対して貢献する事が出来るのならば心証も良くなるという考えか。
まぁ当のアリアンは、チヨメに対して特に悪い感情を持ち合わせているように見えない。ただ、手元で撫で回していたポンタをこっそり抱き締めて逃がさないようにしてはいる……。
「こちらは多少収穫がありました」
チヨメとアリアンの視線が交差した後、チヨメは徐にそう言って胸を張った。
「おお、それは素晴らしい」
ここは褒める場面だ。少し大げさに手を打って、褒める言葉を口にすると、チヨメの頭の上の猫耳がこちらに向いてピクピクと動く。
本当ならこの後に彼女の顎下を撫で回したいが、彼女は猫人であって、猫ではない。自重すべきであろうし、やればアリアンから冷たい目で見られそうなのでやりはしないが。
「数は分かりませんでしたが、四月程前に領主の城にエルフ族が連れ込まれたのが目撃されていました。ですが、三月程前に今度は城外へと運び去られたエルフ族があったという事です。城内にはさすがに潜入出来なかったので、まだ城内に囚われている者がいるかは判明しませんでしたが」
随分と前にここに運び込まれていたが、既にここにはいない可能性も出て来たのか。
確か売買契約書の数でいえば五人がこの街へ運び込まれていた筈だ。その内何人が運び出されたのかは不明だが、まだ城内に捕らわれたままの者がいないとも限らない。
そう思ってアリアンの方へと目を向ける。
「残されている可能性が少しでもあるなら、潜入して助け出すわ」
アリアンはその金の双眸で真っ直ぐに見返し、はっきりと決意を口にする。彼女の答えは想定内の内容だったのでそれに頷き、次に潜入する日取りをどうするかを尋ねた。
「では城内に潜り込むのはいつ頃にするのだ?」
「早い方がいいでしょ? 今晩にでも乗り込むのはどう?」
アリアンが拳を握って早期決着を謳うと、それを聞いていたチヨメがやや慌ててその意見を思い留まるように進言してきた。
「待って下さい。まだ城内に捕らえられたエルフ族が何人残っているかや、何処に捕らわれているかなどの調査が終わっていません。今城内に潜入すれば、虱潰しに探す羽目になりますよ!?」
そのチヨメの進言に、アリアンは眉根を寄せて難しい顔を作り彼女に尋ねる。
「でもそれだと、捕まっている人数と場所が判明するのに何日もここに留まる事になるのよね?」
「……はい、せめてあと五日程欲しいのですが」
情報を単独で集めるのは本来かなり大変な作業だ。それでも五日で何とか目途を立てれるというのは、彼女がかなり優秀だと見るべきなのだろう。
だが、ここで一つの懸念が出てくる。
「ヒルク教の根付くこの地でチヨメ殿はともかく、我々が五日も潜伏し通せるかが怪しいのだが」
自分が挙げた懸念に、チヨメの猫耳が少し萎れて難しい顔になった。
人族主義を掲げるヒルク教が、あれ程の立派な教会を建てる事が出来る権力があるのだ。潜伏や潜入の玄人のチヨメならともかく、自分とアリアンのように外見から既に周囲から少し浮いている者が、他者の目を掻い潜って潜伏し続けるのは難しいと思われる。
隠れ家などがあるならいざ知らず、ここは単なる普通の宿だ。宗教を妄信する輩にアリアンの事を通報でもされれば城内に囚われている者達の救出どころの話ではなくなる。
アリアンと自分の意見を受けてしばらく頭を悩ませていたチヨメだったが、一息吐いて徐に頷くと、潜入する日取りの提案をしてきた。
「では城内への潜入は明日の晩にしましょう。明朝、西の砦からケーセックに向かって第三陣となる部隊が派遣されるそうです。城内に隣接した砦は一部で通行可能ですので、潜入が発覚した際に駆け付ける応援の数が少なくなる明日以降が望ましいと思います」
チヨメのその提案にアリアンも納得したのか、頷いて応えた。
そしてチヨメの齎したその情報を元に、潜入する際の段取りを打ち合わせていく。
今回の潜入は今迄通り自分とアリアンが務め、チヨメは潜入が発覚した際に西の砦から応援が派遣される際の足止め、攪乱での援護を担当する事に決まった。
翌日はチヨメが砦の最終的な下調べに出掛けたが、自分とアリアンは例の泥酔高官との件もあって宿の部屋で大人しくしている事にした。相手はかなり酔っていたので此方の事を忘れているかも知れないが、余計な面倒は避けるにこした事はない。
夕刻、昼頃から崩れ出した天気は、空一面が厚く暗い雲が垂れ込める様に覆われていた。
普通ならば潜入する際に月明かりが消えて、暗がりの増えるこの天気は歓迎すべき事なのだろうが、【次元歩法】で潜入をする自分にとっては、見通しの利かない暗がりが増えると転移出来る場所が減って、却って潜入しづらい場所が増えてしまう。
ただこれは特殊な自分達の事情であって、単独で西の砦の方を監視するチヨメにとっては、暗がりが多くなって身を潜めやすいのは好都合な条件となる。
夜の帳を逸早く齎しにかかるその暗がりの空の下、宿を引き払った自分とアリアンは、一旦調査を終えたチヨメと合流して最後の打ち合わせをした。
打ち合わせと言っても、脱出後の合流場所を何処にするかや、砦の攪乱を指示する際の方法などの最終確認だけで、いずれも滞りなく終わった。
夜半過ぎにその場でチヨメと別れ、今は領主の城の南西部の城壁の近くまで来ている。
今回は教会の在る北西部を避けつつ西の砦にも近づかずという条件で、南西の街中に縦横に張り巡らされた暗がりの続く路地を行き、城壁の見える路地の陰からそれを見上げていた。
城壁の周辺には堀などはなく、外周に沿って幅の広い通りがあり、そこを時折見回りの衛兵達が歩いているのが見える。
空を覆う厚い雲からは既に静かに雨粒がしたたり落ちており、周囲の暗がりは一層深くなり始めていた。転移出来る場所を探せば、辛うじて見える城壁の上部か、見張りの為の篝火が焚かれている箇所ぐらいしか場所が見つからない。
この暗さでは城壁の上に転移した後、城内への転移がかなり難しそうだ。城壁内は恐らくこの高い城壁のおかげで影が濃く、転移する場所にかなり制限が出来る筈だ。だが城壁の上で悠長にしていればいくら周りが暗くても見つかる可能性が高まる。
まず最初の転移は時間との勝負だ。
「では行くぞ?」
自分の肩に手を置いたアリアンを見やり尋ねると、彼女は無言で頷き返した。
「【次元歩法】」
転移魔法の行使と共に、自分とアリアン、それと首元で緑の毛皮マフラーを担当しているポンタの二人と一匹は、街中の路地の端から領主の住まう城の城壁の上へと一瞬で移動する。
転移後はすぐに周囲を確認する役目はアリアンの担当だ。ダークエルフの彼女は夜目が利く上にかなり目がいいとの事なので、索敵をお願いしている。ただ城壁の上を移動する衛兵は大抵明かりを手に持っているので、本当に不測の事態を考慮してだ。
自分はと言えば、城壁の上から影色に沈む壁内を目を凝らして、転移し易く見つかり難くそうな場所を選定する作業の真っ最中だ。
壁内の西を背に本館らしきおおきな建物があり、その前に置かれた中央の庭を囲むようにコの字型に大小の建物が配されている。
中央の庭は光源が殆ど無く、チラチラと小さい明かりだけが複数移動して見えるのは、恐らく見回りの衛兵だろう。
囚われたエルフ族の救出へ向かう際に、潜入する本命の建物はやはり西側奥の本館だろう。しかし、本館の周囲は館から漏れる光と周囲に立つ幾人もの衛兵達でなかなかに隙が見えない。
しかも今いる城壁の上からではかなり距離があって、植樹された木々や植え込みなどが視線を遮り、正確な衛兵の数や動きも把握出来ないときている。
ここは直接本館へとは向かわず、今いる城壁から近い手前の南側の建物の傍まで転移して、そこを捜索後に本館への侵入経路を探すのが尤も確実な手段だろう。
城壁の上から城内を見回しながら考えを整理していると、隣で控えていたアリアンが小さく肩を叩いて合図を送ってきた。
彼女の方に視線だけ向けると、二本の指を立てて左に二回振るようなハンドサインを示す。
どうやら左手から二名が近づいて来ているらしい。長居は出来ない。
彼女の合図に頷いて、再び転移魔法を発動させる。
景色が瞬時に切り替わり、南側の他の建物より少し小ぢんまりとした屋敷の裏へと転移した。小ぢんまりとしていると言っても、一般人の家屋などに比べればかなり大きい屋敷だ。
石造りの二階建てで、色違いの石を組み合わせて造られたモザイク模様のような壁面が、屋敷から漏れ出る明りに照らし出されてなかなかの趣を魅せる。
その屋敷の一階壁面に並ぶ、長方形のガラスの大窓には格子状の棧が嵌め込まれて中の様子が窺える。廊下には魔道具の明かりらしき物が一定の間隔で配され、その灯りに照らされた廊下の足元には赤い絨毯が覆っている様子が映し出されていた。
だが調度品などが品良く置かれたその廊下には人の気配が無い。本館に比べて周囲には見張りの姿も少なく、辺りには茂みに潜む虫の音が聞こえるばかりでかなり静かだ。
屋敷づたいに身を屈めながら進み、角の中央の中庭と屋敷の正面玄関が見渡せる場所に身を沈めながら周囲を窺う。正面玄関にはさすがに見張りが二人立ち、中庭には周回する見回り組が複数名、奥の本館は明かりの下に幾人もの衛兵が見える。
中庭には身を潜める場所が少なく、転移で移動するにも明かりが一切無い闇一色の場所が多くてかなり移動が制限される為、なかなかに移動が困難だ。
まずはこの屋敷の探索か、屋敷の裏手から城壁の外周に沿って本館へ移動してそこから侵入する場所を探すしかない。
その旨を後ろから付いて来ていたアリアンに話すと、彼女は先に今居る場所にある屋敷からの捜索を提案してきた。
「あまり見張りも立っておらぬ所を見るに、外れの可能性が高いと思うが?」
一応自分の私見を彼女に伝えてみる。
「捕らわれている人数も場所も特定出来てない現状で、城内を虱潰しに探すならまずは見張りの手薄な場所から探す方がいいでしょ?」
確かに城内を探る上で、見張りに発見される可能性が低い場所を先に捜索するのも手だ。
「ではまずはこの屋敷から探ってみるか」
そう言いながら屋敷の窓の一つを覗き込み、周辺に人影がないのを確認して【次元歩法】を使って屋敷の廊下へと転移した。
「一階には殆ど人の気配がしないけど……、何か妙な感じがするわ」
後ろにいたアリアンが周囲の音を探るように、その尖った耳を僅かに動かしながら呟く。
「人がいないのなら好都合。まずはこの屋敷内を調べながら、本館のある西側まで行ってみるか」
手近な扉のドアノブを回し部屋の中を覗く。
部屋に明かりは無く、薄暗い室内は廊下からの明かりが入口付近を僅かに照らすだけで、見通しが悪い。ただここ最近、この部屋を使った様子は無いのか調度品にうっすら埃が積もっている。
普通ならこういった屋敷は使用人が何十人単位で管理をしていて、これ程あからさまに手入れを怠る事はない筈だ。
ここの領主の台所事情が見掛けより苦しく、屋敷の管理にまで手が回っていないのだろうか?
他の扉を開けて室内を確認していたアリアンと目が合うと、無言で首を振る。
向こうも特に何もなかったようだ。
とりあえず順番に部屋の中を覗き込みながら、明かりだけが灯る廊下を進んで行く。やがて屋敷の角まで来ると、廊下はそのまま直角に曲がり奥へと続いていた。
こちらは屋敷の裏手側になる廊下だが、突き当りに大きな両扉があるだけで、他に部屋に通じるような扉は見当たらない。
アリアンを手招きして、その両扉の前へと音を立てずに【次元歩法】で移動する。アリアンが片側の扉をそっと押し開けると、僅かに扉の軋みが響いた。
そこは大きなダンスホールのような場所だった。
二階までの高さが吹き抜けになっており、その高い天井からは大きなシャンデリアが等間隔で吊り下げられている。磨き抜かれた床石に凝った意匠の施された柱が並び、左手はその柱の間を大きなガラス窓が配置されて一種のサンルームのような形になっている。
だがこのホールにも明かりは一つも灯されておらず、ガラスの大窓からも崩れた天気の為に月明かりも一切入って来ない。
その為、奥はまるで黒い大穴が開いたかのように一切の見通しが利かなかった。
ここは夜目の利くダークエルフであるアリアンの出番かと彼女の方に視線を向けると、彼女はふらふらと何かに吸い寄せされるようにホールの中へ踏み込んで行く所だった。
「アリアン殿?」
そう小声で彼女に呼び掛けてみたが、いつものような反応が無い。訝しみながらもう一度声を掛けようとした所で、ようやくそれに気付く。
彼女の頭上、その少し高い位置にそれは浮いていた。
体長は十五センチ程、丸っこい身体は全身が闇色で、この暗がりではかなり視認しづらい。背中に小さな羽と短い尻尾、頭には複数の突起のような物が生えたその空飛ぶ小人のような生き物は、此方を振り返ると赤い目が見開かれ、奇妙な声を上げた。
「ゲキュ!?」
どう見てもまともな生物には見えず、また何処かしら悪魔を模したような姿に思わず右手が躊躇せず反応する。
「チェスト!!」
右手から繰り出されたチョップがその得体の知れない小人悪魔を床に叩き落とすと、ベチャと何かが潰れたような音がホール内に響いた。
「あ、あれ?」
小人悪魔が床に貼りつくと同時に、今迄無反応だったアリアンが急に思い出したように周囲を見回し、此方へと振り返る。
「大丈夫か、アリアン殿?」
「ごめんなさい、急に意識が遠のいて……」
アリアンは頭を振るようにして、先程までの自分の状態に首を捻った。
「もしやそれは、此奴のせいか?」
床に貼り付いたそれを示して見せると、彼女の目が驚きに見開かれた。
「インプ!? なんでこんな人家に?」
そのアリアンの言葉に自分も検めて床に貼り付いたモノを見やる。確かにゲームでもインプというモンスターが居て似たような形状をしていたが、ここまで小さくはなかった。
だがよくよく考えてみれば、ゲームで体長十五センチのモンスターなど見難くて仕方がないというのも頷ける話だろう。
「確かインプは幻惑系の魔法を扱うのだったか?」
以前にゲームで出現していた時の特徴を挙げてアリアンに確認をとると、それに首肯して床石に貼り付いたインプを見下ろす。
「普段は洞窟みたいな暗がりの、比較的魔素の濃い場所にしかいない筈なのに……」
呟くように漏らすアリアンのその言葉に、ホールの奥の暗がりから別の声がしてそれに答えた。
「そいつはオレ様のペットだぜ? あーあ、非道ぇ事しやがって……」
自分とアリアンは弾かれたように顔を上げて声のした方に視線を向けると、腰に提げた武器の柄に手を掛けて構える。
そこへ闇から抜け出すように一人の男が姿を現した。
その男には見覚えがある。以前城下で泥酔した勢いでアリアンに絡んで来た男だ。
どうやらここの領主と関係のある者らしい。
長身で大柄なその男は、独特のドレッドヘアを揺らしながら無精髭の生やした口元を吊り上げるように笑い、こちらを見据える。そしてその目が僅かに眇められた。
「ほぉ、テメェら……、いつぞやは街中で世話になった連中じゃねぇか……」
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