どーも、ニンジャチヨメです
今、眼前には神聖レブラン帝国の街であるケーセックが見えて来ていた。
北西に連なる山脈の頂きを背景に背負い、平面と直線で形成された高い街壁はかなり頑丈な造りで城塞のような様相を呈している。
さすがに国境付近の要所なだけあって街の規模も大きく、なかなかに物々しい雰囲気を纏っているが、それに反して周囲には幾筋もの細い川や水路が伸びていて、周辺は豊かな農園のような景色が広がっている。
自分達が辿って来た東側の街道と、南へと抜けてローデンへと入る街道が合わさる場所の近くに置かれたケーセックの街だが、今は魔獣の被害の為か街道を利用する者は近郊の村落から来るような者達ばかりで、あまり人通りは多くなかった。
街へ近づくにつれ、長閑な風景の中に置かれたケーセックの街の周辺には衛兵とは趣を異にする者達が多くいるのが窺えた。
皆同じような暗灰色の長袖長裾の出で立ちに、鈍色の金属製の軽鎧などを身に着けて巡回する姿はどう見ても軍隊のような雰囲気だ。
街門では衛兵の他にもそれら軍人達が門を出入りする者達に目を光らせている。今は街道を行く者も少ない為に、このまま門を通り掛かっても目に付き易い。
こちらは兜の脱げない骸骨騎士にフードを下したくないダークエルフ族の二人連れだ、入る前に尋問など受ければ確実に面倒な事になる。
「正面から入るのは避けた方が良さそうであるな」
「そうね」
自分の懸念に隣のアリアンも同意して頷く。
ケーセックの街を遠巻きにしながら、軍人や衛兵の少なそうな場所を探してアリアンと二人で周辺を歩く。ポンタは先程から頭の上で居眠りしているのか、スピスピと寝息が聞こえてくる。
街の西側は軍が駐屯しているらしく、街とは別の木製の外壁で囲われた砦のような場所に多くの軍人が出入りしているのが見える。この駐屯地自体は最近急造したもののようで、あまりしっかりした造りではないが、外壁のおかげで中の様子を窺い知る事は出来ない。
その場所は避けて、街の東側付近の見張りのいない街壁へ【次元歩法】を使って移動し、そこから街の中へとさらに転移する。
この方法で街に侵入するのもだいぶ慣れたなと、独りごちながら街の様子を眺める。
街道の人気のなさとは裏腹に、街中はなかなかに人通りも多く活気がある。多くの人々に混じって鎧を付けていない軍人の姿も多く見る。
他にも自分と同じく傭兵のような者達も多く闊歩している事から、街中ではあまり目立つ事はなさそうだと胸を撫で下ろした。
「さて、とりあえず帝国の街へ潜入したはいいが、今度はドラッソス・ドゥ・バリシモン子爵とやらの所在を探さなければならんな……」
そう言いながらアリアンと二人で顔を見合わせる。どういう形で所在を調べるかと言っても、自分達にやれる事と言えば街の住人に聞き込んだり、以前のように商人に話を聞いたりだろう。
今回の帝国領内ではローデン王国と違い、エルフ族は見つかれば即捕縛されかねないと聞いたので出来るだけ彼女と別行動を避けた方がいい。
とりあえずバリシモン子爵の名前を出してあちこち嗅ぎ回り衛兵達に目を付けられないよう、あまり露骨に聞き込みをするのは避けた方がいい。
大通りを進んで、街の中にある市が開かれている場所に出る。
ここなら物を買ったりするついでに商人と話したり、世間話をして道で屯している者達が多くいるので、情報を集めるには持ってこいの場だ。
市のあちこちで売られている食べ物の匂いが漂う中、頭の上のポンタは珍しくまだ起きない。ポンタを頭から下ろしてアリアンに預け、自分は適当に摘まめるような食い物を売っている商人の所へ行く。
商人の目の前に置かれた商品は、見た目には胡桃だった。籠での量り売りをしてるようで、道中の食べ物としても最適だと思い商人に声を掛けた。
「すまん、こいつを一籠貰いたい」
「いらっしゃい」
商人は愛想良く笑みを浮かべると、慣れた手つきで大きな麻袋に詰められた胡桃の山に籠を掬い入れて、此方が渡した袋に移し入れる。
「1リーエです、旦那」
バリシモンについて何か知らないかと商人に問おうとして、その一言で商人の顔を二度見してしまった。国が変われば貨幣単位も変わる、そんな単純な事に今更ながら気付く。
腰に括りつけた革袋から金貨を取り出して、それを一枚商人に渡す。
「すまぬが、これでもいいか?」
「ローデン金貨ですね、ええ勿論使えますよ。お釣りは9リーエです」
商人から今迄の銀貨と違う紋様が刻まれた九枚の銀貨を渡される。材質的な質感などは左程変わりはないようだが、紋様の細かさなどはこちらの銀貨の方が洗練されている気がする。
この商人が虚偽を言っていなければ貨幣価値の程も特にローデンと変わらないようで、とりあえず分かり易くて一安心だと息を吐く。
「旦那、ケーセックは初めてですかい?」
「ああ、そうだ。実は商人殿に尋ねたい事があってな、バリシモン領の場所を知らぬか?」
商人の尋ねに答えながら、自分も捜索中のバリシモンの名を口にする。ローデンでも領主の名前が領地の名前になっていた事から、貴族である領主の名前を出して探すより、その貴族の治める領地を探している事を装えば多少は不審感も薄らぐと思っての事だ。
だが商人はその名前に聞き覚えがないのか、少し首を捻って考え込む。
「バリシモン領ですかい? 生憎と聞いた事ないですねぇ」
「そうか、邪魔をしたな」
その後、何人かの商人などにも同じように聞いて回ってみたが、バリシモン領の所在を知る者は現われず、捜索は早々に暗礁に乗り上げていた。
「意外と見つからんもんだな……」
街中の通りに立ち尽くしながらぼやきつつ、手に持った胡桃の殻を砕き中身を取り出してそれを隣にいるアリアンに手渡す。アリアンはそれを受け取ると、手元に抱いたポンタにやりながら嬉しそうにそれを齧るポンタの頭を撫でて頬ずりしている。
よくよく考えてみれば、貴族だからといってその誰もが領地を持っているとは限らないのだ。そうなると貴族の名前を出して探すしかないが、こんな情報化社会とは無縁の世界で一般人が特定の一人の貴族の名を知っている可能性はかなり低い。
そんな今更ながらの事実に途方に暮れていると、何時ぞやと同じように背後から声を掛けて来る者があった。
「お困りのようですね」
後ろを振り返ると、以前ローデン王国の王都で出会った時と変わらない恰好で、その者は静かに佇んで此方を見上げてきた。
大きな帽子を頭に被り、蒼い瞳に少し短めに切り揃えられた黒髪を揺らし、動き易そうな黒い服装をした一人の少女がそこに立っていた。背丈は小柄で身長百五十くらい、街娘といった印象は無く、腕に籠手、足には脛当てをして腰に短剣を差していた。
「おお、チヨメ殿か!? 何故こんな場所に?」
そこにいたのは王都で山野の民の同胞を助ける手助けをした、刃心一族の一人であるチヨメだった。
アリアンも彼女を見て少し驚いた表情になる。
「王都でアーク殿と別れた後、隠し里に戻って族長から新たな命を受けまして。再びアーク殿を探してここまで駆けて来た次第です。目的の人物を探す為にはまずこの街を訪れるだろうと思っていましたので、読みが当たり安心しました」
抑揚のない喋り方でチヨメは平然とそんな事を言った。
この街はランドバルトのような巨大な街ではないが、それでもそこそこに大きい街だ。そんな中からよく自分達を見つけ出せるものだと半ば呆れるような感心をする。
「ふむ、我にまた何か依頼であろうか? 前回も言ったが、まだアリアン殿の方の依頼が終わっておらぬのでな、今は少し待って貰えるとありがたいのだが」
そう言うとチヨメは承知しているという風に頷いて此方を見返し、隣にいるアリアンの方へも目を向けた。
「今回はアーク殿に依頼するのはアリアン殿の依頼を終えた後にと思っていますが、こちらもなるべく急ぎたい旨もありまして、微力ながらボクもその依頼を手伝わせて頂きたく」
ポンタに胡桃をやっていたアリアンの手が止まり、ポンタが小首を傾げて彼女を見上げる。
「我は特に異論はないが……」
自分も同じようにアリアンに目を向けた。
「あたしもチヨメちゃんに手伝って貰えて、任務が早くに済むなら別に問題はないけど……」
「交渉成立ですね? お任せください、捜索中の人物のいる所領は既に調べてあります」
チヨメはそう言って少し得意気に胸を張って見せる。やはりこういった諜報活動は忍者の得意分野だからだろうか、頓挫したと思った捜索の進捗がここにきて一気に進展する様相を見せた。
「ほぉ、もう調べはついているのか? してその場所は?」
チヨメにバリシモン子爵の行方を尋ねると、彼女は北の方角を指差した。
「ここからシアナ山脈沿いに北へと向かった先にある街、ライブニッツァ領が目的地になります」
「ライブニッツァ? 領の名前と違うという事は、バリシモン子爵はそこの領主の臣下なのか?」
「いえ、バリシモン子爵はそのライブニッツァ領の領主です。この神聖レブラン帝国の領主は、皇帝の領地を命を受けて預かる形で領主となります。ですから皇帝の命が下れば治める領地も変わる事になるので、領地の名と領主の名は一致しないのだそうです」
つまりはこの国の政治形態は絶対君主制のようなものという事か。
「そもそもこの国の前身であるレブラン帝国は西から東へと他国を併呑して大きくなった国ですから、地名の殆どは以前から使われているものをそのまま使っている事が多いそうです」
チヨメの説明に自分とアリアンが感心したように耳を傾けていると、彼女は何やら思い出したように手を打ってから此方へと向き直った。
「それと、アーク殿とアリアン殿はあまり顔を人前に出す事が出来ないのですよね?」
アリアンと顔を見合わせてから、それにどちらともなしに頷く。
「それではこれから御二人はボクの雇った私的な護衛という事にして下さい」
チヨメのその申し入れに、アリアンが首を傾げてその意味を問うように目を向ける。
「この帝国では傭兵は国に許可された傭兵団にしか所属できません。流れの傭兵だと知れると軽い尋問などを受ける場合があるので念の為です」
確かに尋問される側がフードや兜を被ったままで質疑応答が許される場面などないだろう、そうなれば逃げるかしなくてはならないが、逃げれば今後の行動がしづらくなる。
所変われば制度も変わるのは当たり前の事だが、自分もアリアンもその辺の事情はさっぱりなので、正直言ってチヨメの助力は大変ありがたいの一言に尽きる。
「それじゃ早速そのライブニッツァに向けて出発する?」
ポンタの頭を撫でながら、話は纏まったという顔でアリアンが全員の顔を見回すが、それにチヨメは首を振って返した。
「いえ、ライブニッツァ領まではここから馬車でも三、四日の距離です。それに今からこの街を出ても中途半端な距離までしか稼げません。小さい村落ではどうしても人目につくので、比較的大きな街を経由して行く予定です」
チヨメの言う通り、空は夕暮れには入っていないが随分と傾き出している。せっかく街中に入り込んでいるので、ここで一泊してから次の日にライブニッツァを目指しても充分だ。
馬車で三、四日の距離ならば【次元歩法】を使えば半日もあれば移動する事が出来る。
「ならば、今日は泊まる宿を探すとするか? この辺は割と綺麗な区画ゆえ、割合に小奇麗な宿も探せるだろう」
周辺の街並みを眺め回しながらそう言うと、チヨメはそれにも首を振って応えた。
「ここはヒルク教の教会が近くにあるので避けましょう。少々治安が悪いですが、北東部の区画の方で宿を取ります。付いて来て下さい」
地理や周辺の事情に詳しい彼女の事だ、何か理由があるのだろうと先を行く彼女の後を、黙ってアリアンと一緒に歩いてついて行く。
大通りを通って北東部へと向かう道すがら、その途中に大きな石造りの荘厳な建物が視界に入った。二対の鐘楼が大きな正面入口を挟んで立ち、壁面には彫像や彫刻などが施されている。正面の入口の上部には縦にした金剛杵をシンボル化したような紋様が掲げられていた。
その建物は周囲の建物から抜きん出ていて、辺りを睥睨するかのように聳え建っていた。
「あれがヒルク教とやらの教会であるか?」
歩きながらその教会を見上げ、前を歩くチヨメに声を掛ける。
「そうです。この東と西の帝国にも深く根差しているヒルク教ですが、その教えは人族至上主義的な物です。彼らの教えでは、山野の民やエルフ族、ドワーフ族などは、邪な者達が魔と交わって生まれた穢れた存在だという事になっています」
それは何とも乱暴な教義だ。そうなるとこのヒルク教の教えが根付いている地域は、チヨメやアリアンにとって愉快な場所にはなりはしないだろう。
アリアンも不愉快そうに眉根を寄せて、フードの奥から金色の瞳で教会を睨んでいる。
「ローデン王国にもこのヒルク教を信仰しておる者がおったのか?」
そこでふと疑問に思った事を尋ねた。ローデンではチヨメのような獣の姿を持つ山野の民は迫害されていたが、エルフ族は表向きにではあるが条約を交わして対等の立場であるという形を取っていた筈だ。
「ローデン王国にヒルク教は広まっていません。もとからある神殿信仰が各地に根差していて、王家も今はそれを理由にヒルク教の布教は禁止しています。ただ我々の扱いはヒルク教とあまり大差が無く、山野の民は魔獣と交わって生まれた獣人と蔑まれ、エルフ族は神々の権能を言葉巧みに騙し取った収奪者という認識が大きいです」
「何よそれ!? 殆ど言い掛かりじゃない!」
チヨメの説明を聞いたアリアンが憤慨して声を荒げる。それをチヨメは慌てて声を抑えるようにとの仕草でアリアンを宥める。アリアンが憤慨して力が入ったのか、胸元に抱かれたポンタは巨大な二つな丘に挟まれて若干苦しそうだ。
「まぁ、エルフ族に関しては長命で魔法の技に長けた者達への妬みの部分が大きいのだろう」
人が神々の恩寵を受けた存在とするならば、それらより確実に恩寵を受けているとしか思えないエルフ族の立場を落とすには、何かズルをしたのだという考え方は実に人間臭いと言える。
しばらくの間、人族に対して憤慨するアリアンを自分とチヨメが宥めつつ、今日泊まれる宿を探してその日を終えた。
誤字・脱字などありましたら、ご連絡宜しくお願い致します。




