恵みと災いを齎すモノ2
見送る討伐隊の面々が見えなくなる距離まで歩いていると、不意に隣を歩いていたアリアンが口を開いてぽつりと呟く。
「人族も色々ね……」
「そうだな」
少し感慨深げな彼女の言葉に相槌を打ちつつ、後ろを振り返る。森沿いに北西に進む街道は緩やかなカーブを描いて、すでに森の陰に入った彼らの姿をそこに見る事は出来なくなっていた。
ここからはもうほぼ帝国の領内へ入っているので、【次元歩法】を使っての移動もあまり大きく転移せずに小まめに移動する。
このローデン王国と神聖レブラン帝国の国境付近では魔獣が増えているという話だったので、あまり長大な距離を転移して不意の魔獣との遭遇戦にならないようにとの配慮だ。
あとは以前のように道を間違って違う街に辿り着くのを避ける為に、移動先の方角を逐一アリアンに確認して貰う為でもある。
現在は北西に向かう人気の無い街道を辿って、帝国の国境で一番大きな街であるケーセックへと向かっている。そこで帝国領内にいるであろう、ドラッソス・ドゥ・バリシモン子爵の手掛かりを探す事になるのだが、聞いた話では帝国の領土はかなり広いらしく、ローデン王国の五倍もあるという。普通はそれだけの広さがあればすぐには見つけれらない可能性が高いが、捕獲したエルフ族の移送などを考慮するとローデンとの国境付近に拠点か、それに類する物が見つかる可能性も高いと考えると、そう悲観する事もないだろう。
しばらく転移を繰り返しながら進む中、そんな思考の渦に埋没していると、肩に手を掛けていたアリアンから何やら不審そうな声で呼び止められた。
「ちょっと、止まってアーク」
そんな彼女の呼び掛けに、後ろを振り返る。
「どうしたのだ?」
特に何の変哲もない草原の中を一本の街道が伸びていく長閑な風景。大きな森も近くにはなくなり、見晴らしもいいこの場所では近くに警戒すべき魔獣も近くにはいない。
しかし、アリアンはそんな周囲の風景を不審そうに目を細めて見回していた。
いつもならそろそろ小腹が空いて、何かを強請るように前足でペチペチと兜を肉球タッチするポンタは気分良さそうに尻尾を揺らして、特に深刻な脅威があるようには見えない。
「この周辺、何故か異常に魔素が濃いわ……」
深刻そうに眉根を寄せるアリアンに、自分はその事実に何か脅威を感じる物があるのかと首を傾げた。魔素が濃いと強力な魔獣が住み着き易くなる──、彼女達エルフ族が暮らすカナダ大森林はその魔素が濃く、森中に多くの魔獣が生息していると以前彼女から聞いた。
此方の疑問に気付いたのか、アリアンはその問いに答えをくれた。
「本来魔素を溜めこむ性質のある特定の種類の木々が多く生息する森や、窪地や洞窟のような魔素が拡散し難い場所以外でこれ程濃い魔素は普通見られ無いのよ」
どうやら魔素とは霞や霧のように移動したり沈殿したりするという事らしい。確かにそれを言われると、今立っている場所は見晴らしのいい遮る物の少ない土地だ。魔素が溜るような要素は無いように見える。
自分には明確に魔素を感じる事も視る事も出来ないが、確かにここはカナダ大森林で感じたような妙なもやっとしたモノが肌に絡み付いてくるような雰囲気──、そんな表現しか出来ないが、そんな感触がごく僅かにだが感じられる。
アリアンは被っていた灰色の外套のフードを鬱陶しげに下ろすと、その金の双眸を見開き慎重に周囲を探り出した。
ややあって街道を少し離れた草地で彼女が屈みこむと、手に何かの破片のような物を持ってやおら立ち上がった。
「『豊穣の魔結石』の欠片ね……」
手に持った紫色の綺麗なその結晶のような欠片を、日の光に翳してアリアンが呟く。その聞き慣れない言葉に首を傾げながら、彼女の足元に散らばった同じような欠片を拾い上げる。
「これが『豊穣の魔結石』という物なのか?」
「そうよ。これはエルフ族が作り出した物よ」
「そうなのか、何に使うものなのだ?」
手の上にあるキラキラと光る紫色の半透明の結晶を転がしながら、アリアンに目を向ける。
「これの本来の使い道は、細かく砕いてその粉末を薄く畑などに撒くと、その地の活力が上がって作物が丈夫に、且つ大きく育つ物なのよ」
「ほぉ」
彼女の説明に相槌を打ちながら手に持った物に目を落とす。どうやらこれは固形の肥料といった物らしいが、しかしそれが何故このような何もない街道脇の草地に放り捨てられているのか。周囲には作物を育てる畑どころか、人家すら見当たらない。
此方の視線を受けてアリアンは自分が尋ねるより先に、その事を口にした。
「でもこれには取り扱う上で気を付けなければならない注意点があるのよ。こんな風に荒く砕いただけの形でその辺に放置すると、その周辺には濃い魔素が漏れ出して魔獣を呼び寄せる原因になるのよ」
化学肥料などは撒きすぎるとその土地が痩せていくという話を聞くが、この魔法的肥料は撒きすぎると魔獣を呼び寄せるとは、なかなかに物騒な代物だ。
「アークは覚えてる? カナダ大森林は多くの巨木と魔獣の生息する森だったでしょ?」
彼女の問い掛けに頷きながら、カナダ大森林の風景を思い起こす。
「元々、初代族長様があの地に来た時、あの土地は今のような森ではなくて、大部分が荒地の荒野が広がっていたそうよ。それを族長様が作り出した『豊穣の魔結石』で土地を改良していって、今のような大森林に生まれ変わったのよ」
それはすごい壮大な植林事業だ。確か初代族長が今のエルフ族の里を形成したのが八百年前の話だというから、それだけの時を掛けてあれだけの森を育てたという事だ。長命なエルフ族であればそれも人族よりは容易かも知れないが、それでもあの地が以前は荒野だっとは思えないような光景が広がる森を見れば、その事実は驚愕に値する。
「当時は人族の各国から追われ狙われていたエルフ族は土地の防衛も視野に置いて、森を育てる際にわざとこの『豊穣の魔結石』を荒く砕いて土地に撒いていったそうよ。魔素を溜めこむ木々を植樹して道を閉ざし、集まって来た魔獣が障害となって土地から人を遠ざける事に成功して、今の大森林を形成したと聞いたわ」
彼女のその説明を聞きながら、周囲に点在する『豊穣の魔結石』の欠片の量を見やる。これらはここに偶然落とした物ではなく、誰かが故意に行った可能性が高い。
最近ローデン王国と神聖レブラン帝国との国境付近に魔獣が多いと言う話は、これに原因があるようにしか見えない。そうなると、誰がそれを行ったかという事だが──。
「これをこの場に撒いたのはエルフ族なのだろうか?」
単純な疑問を口にすると、アリアンは不愉快そうに眉根を寄せて此方を見やる。
「エルフ族が人族の国家の境界上に『豊穣の魔結石』を撒いて何の得があるのよ?」
彼女のそのやや険のあるその言葉の裏には、エルフ族の仕業ではないという事を信じて疑わない様子が見て取れる。
魔獣を呼び寄せる性質を利用すれば、エルフ族にもそれなりに利益を生み出す事は可能な筈だ。例えばエルフ族にちょっかいを出してくる国家の間に魔獣を呼び寄せて治安を乱して否応なくその対処を迫らせたり、あとは国家間の交易の妨害などだろうか?
自分にはまだ周辺の国家とエルフ族との関係を深く熟知している訳でもないので、あまり滅多な事も言えないし、言えば目の前のアリアンがますます不機嫌になる事だけは分かるが。
「それにこれを作ってるのは確かにエルフ族だけど、所持しているのはエルフ族だけじゃないわよ。あたし達と交易している唯一の人族の国家、リンブルト大公国なんかにも多くの『豊穣の魔結石』が交易を通じて渡っているし、そのリンブルトもそれを他国に売ったりしてるのよ?」
限られた土地で収穫量を大幅に増やす事を可能とする『豊穣の魔結石』は、人族の国家間でもかなり重宝されているらしく、唯一交易でそれを手にする事の出来るリンブルトと言う国はそれを輸出する事でかなりの利益を得ているという話だ。
その入手のしにくさを考えると、いずれにしても国家クラスの関与がなければ国境沿いに対して『豊穣の魔結石』をばら撒くなどという真似は出来ないだろう。
「それにしても、物騒な肥料であるな。人に渡せば争いの種になりそうな代物だ」
手にあった『豊穣の魔結石』の欠片を握り潰し、その粉末を風に乗せて周囲に撒く。
「元々はエルフ族が森を育てるのと、森で耕作する為に創られた物よ。それに一応は魔獣を呼び寄せるというのは伏せて、使用上の危険性だけは言い含めてあるわ」
「ほぉ、ならば人族はこの魔獣を誘き寄せる効果を知らぬのか?」
自分の問い掛けにアリアンはただ首を横に振って、呆れたような口調で答えた。
「何処にでも欲深い者はいるわ」
「……なるほど」
細かく砕いて薄く撒く事で作物の収穫量が上がると知れば、もっと集中して撒けばさらに収穫量が上がると踏んで、注意書きに危険と記されていても無視して敢行する者は必ず出てくるだろう。
そうなれば『豊穣の魔結石』のもう一つの特性に気付くのはそう難しい事ではない。
だがエルフ族がそれを知っても人族にそれを供給し続けるのは、仮に人族の暮らす土地が魔獣の跋扈する森に飲まれたとしても、彼らはその土地で暮らす術を持っているからだと考えると、彼らもなかなかに策士だと言わざるを得ない。
まぁこれは単なる憶測でしかないが……。
「これらの効力を無くす方法はないのか?」
とりあえずだが、ここに撒かれた『豊穣の魔結石』の効力を無効化出来れば魔獣の頻発による国境の混乱も治まるかと思い、アリアンに周囲の惨状の対処を尋ねた。
「地表にある物を地中に埋めれば多少は魔素の拡散を抑える事は出来るけど、どれ程の量がどの程度の範囲に撒かれているか分からないし、対処するのは難しいわ」
彼女は周囲を見渡しながら、その形のいい眉尻を下げて肩を竦めて見せる。
確かに、仮にそれらの対処方法を実行に移すには人手も時間も足らない。どうやら自分達に出来る事は目の前に見える『豊穣の魔結石』の欠片を踏み砕いては風任せで拡散していくのを見守るくらいしか手立てがないようだ。
アリアンの物問いたげな視線を向けられ、自分も軽く溜息を吐いて肩を竦める。
十中八九、人族の国家間での何者かの思惑によるものであろうそれらに、自分達がこれ以上何かをやれる事はないと判断してその場を後にした。
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